その手で 28.ナイと坂上家
イクは私の手を離さずに〈岩崎屋〉の三階に案内した。イクの家。二度目の、イクの家。
触れられるとはどういうことだろう。心臓が確実に拍動する。私にも心臓がある。イクにも心臓はあるだろうか。触れたら、分かるだろうか。
イクは部屋のドアを閉めると、ゆっくりと私に顔を下ろした。いつものイクの味がする。目を開くとゼロ距離のイクがいる。落ち着かない。私は求めている。イクの首に手を回した。熱をもった粘膜が私の口の中に入ってくる。イクの舌だ。私の口の中を丁寧に撫でていく。熱い。私のなかが熱い。イクが、イクだから、熱い。
ゆっくりと顔が離れる。視線の先のイクの瞳にも熱を見つけた。私たちは繋がっている。確信があった。私とイクは、繋がっている。
「ナイ、触れていいのか?」
私はゆっくりと頷く。
「どういう意味か分かっているか?」
分からない。分からないけれど怖くない。
「イク、私たちは繋がっているよ」
そうか、とイクは少し怖い顔になる。しかし私にとっては怖くなかった。イクは、怖くない。私だけの人だから。
私たちは服を着ていなかった。
しっとりと汗を掻いたイクの肌と、対称的に冷たいシーツと、私たちの体液。
抱き合うと、切なさにお腹の下の方の熱がきゅうっと絞られた。全身に感じるイクの匂い、体温、存在。この人に貰っているものはなんだろう。
イクが私の触れたことのない中心を押し広げる。痛みさえイクに与えられるものだからよかった。私の声がする。聞いたことのない、私の嬌声。ぴりぴりと何かが身体と、心を刺激する。何だろう。分からないことだらけだ。
「イク、私はどうなっているの?」
彼は答える。
「ナイ、愛してる」
かすれた声で言われて知る。イクに与えられているのは、愛だ。
そしてもう一つ知る。この感情は、幸せだ。
命のなり損ないの死骸をゴミ箱に捨てて、私たちは抱き合った。
今日は月のない夜で、いつもよりずっと暗い。暗い夜でもイクがいるからそれでよかった。ううん、それで幸せだった。
「イク、私、たぶん幸せだよ」
たぶんって何だよ、とイクがいつものように笑う。
「はじめてだから、分からない」
そうだよなあ、と私のつむじに鼻を当てる。イクの胸の中で私は目を閉じる。
イクはたくさんのものをくれた。名前、プレゼント、ラーメン、幸せ、愛。
「イクは幸せ?」
瞼に口付けをして「もちろん」と答える。
「じゃあたぶん私も幸せなんだと思う」
「そっか」とイクは私の髪を撫でた。
こんなに静かで穏やかな気持ちになれるなんて。やっぱり私にはイクが必要なんだ。
「ナイ、泊まっていくか? 家に連絡――」
私は心地よい眠りの中にいた。私の眠りには夢はなかった。