今いる場所と時間で考える
昨日、知人の紹介で、いなべ市内にて、国内でもITのある分野で突出されている企業の社長のお話をうかがう。いなべ市でのビジネス展開に興味があるとのこと。実現したらすごいことになるかもしれない。
近年、様々な分野で、いなべ市は地域ブランディングが成功し、様々な企業、団体、個人からオファーがあることだろう。まあ、立地と自然環境等をみたら、そうした可能性はあったが、やっと、目覚めたという感じだろうか。ただ、まだまだその可能性が大きいが、これは、こうした風を呼び込める人材を抱えることができるか否かが課題である。
本日、員弁町の多湖農園さんで気軽にいちご狩りを楽しんだのち、友人の店でランチをとる。この店の裏手からは鈴鹿山脈の絶景が見渡せ、心身、とてもいい状態に。
本当に、いなべ市は素晴らしいまちだ。心から思う。
この環境の中に都会並みのテクノロジー拠点があれば、先ほどいった未知の可能性は見出せるかもしれない。新たな発想は、現在では、こうした自然環境的な背景が絶対に必要だが、地域に残るアナログ至上主義は、ここの人々にそこまでの想像のジャンプを許すことがないかも・・・
帰宅し、愛知県の国際的なスタートアップ支援拠点や仮想現実プラットホーム、メタバース関係のWEB、YouTubeを視聴する。AIとビッグデータ、クラウドがどんどん世界を変えていく。世界は、すでに全く時代に入り、おそらく、現在の子どもや若者は、私たち50代のロートルとは、全く生きてきた環境、そして、感受性、世界観が違う。
私たちの頭の中は、長年もしくは、強烈な幼少期の原体験が思考のベース、常識となってしまい、自分の歩んできた道を肯定したいがため、新たな潮流を意味なく否定したくなる感情が起こってしまう。
今、ここで起こっていることは、もう、50年前、10年前と同じことではない。世の中は常に現在進行形なのである。
長く生きてきた者の利点は、いかに、新しいものを旧態然の環境に入れ込むことができるか?その交通整理ぐらいだろう。そのことを、我々、ロートルは肝に銘じねばいけない。
ただ、私は、できればついていきたいものだ。ライターになったのは、立花隆氏の「いつまでも、時代の最先端を見てみたい」という大いなるミーハー思考から。
そのためには、感覚や感性。今までを常に疑う精神性の維持が重要となる。