【闇深】Çağ Türk日本語版が突如閉鎖した本当の理由
日本で愛され続けたトルコのインターネットメディア「Çağ Türk」は、昨年10月頃突如としてアクセスが遮断され、以来閲覧不能な状態が続いている。政権交代とほぼ同時期に閲覧が遮られた同サイトは、どのような理由があって閉鎖に追い込まれたのだろうか。
トルコの政治とメディアに詳しいアジア人ジャーナリスト、ファン・マー(馬 券)氏によると、Çağ Türkの管理人にすべての責任があるという。
マー氏は語る。
「Çağ Türkの管理人は無名の日本人男性でした。彼は表舞台に姿を見せず、名前すらもわかっていません。私たちジャーナリストは、彼の名を、"サトシ・なかなかモト"と呼んでいます。」
「彼は昨年5月頃から日本のあるコミュニティーにておままごと活動にのめり込み、また私生活の多忙から、毎日更新を基本とした質の高い記事を量産してきたÇağ Türkに飽きてしまいました。彼は人一倍プライドの高い人物で、世界の多くのメディアがアメーバで記事を配信している様を見て、ひとりWordPressを選び、スターフリーサーバーという無料サーバーを契約して運営を行っていました。」
「彼は8月頃には前述のコミュニティーでスルタン空席のままカリフ位に就き、トルコの今を世界に伝える活動から離れてしまいました。彼はもはや記事を書くという行為自体に飽きてしまったのです。そして、悲劇が起こりました。」
思えば、この世界の重大ニュースは常にÇağ Türkの報道が最初だった。レジェップ・タイイップ・エルドアン氏が連合機構事務総長に就任した2019年3月、その最初の報道は我らがÇağ Türkであった。Çağ Türkがこの世界に齎した数々の偉業を、我々は忘れてはならない。
マー氏は、続ける。
「その悲劇こそが10月に起こった、Çağ Türk閉鎖事件です。彼は、長期間サーバー管理をさぼったせいで、定期のサーバー更新を忘れ、サーバーレンタル契約が終了してしまったのです。そしてさらに悲劇は重なり、彼はそれを復活させること自体がなんかもうめんどくさくなってしまったのです。」
「だからこそ、この事件は闇に葬られました。イノニュ政権下で報道の自由法(注:大統領府がすべてのメディア報道に検閲を行う法律)が制定されたこともあり、この事実をトルコ国民は知りません。」
これまで数々の報道で世界を沸かし続けたÇağ Türk。その最後は、あっけないものでった。