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芭蕉の宇宙観

2022.11.19 06:04

http://blog.livedoor.jp/equal2/archives/52139104.html 【芭蕉の宇宙観】より

私が芭蕉の俳句に興味を抱くのは、彼の俳句に親近感を感じるからである。どういった部分でそのように感じるのか。

それは、自然をあるがままに体験し素直に描写するという凡庸な作業にも似た俳句詠みから、次第にその綴られた記録としてのコトバの役割から、より大きな内観的なイマジネーション空間が静かにそして滔滔と溢れ出すような宇宙的なまなざしを感じるからである。

私は、俳句には興味が薄いが、芭蕉の俳句には強い関心を抱く。この宇宙的なまなざしがなければ、彼らしさを感じないと言い切っても良いぐらいなのである。

宇宙的な、と言ってしまえばなんだか大げさなようでもあり、同時に陳腐なように受け取ってしまう人もいるかもしれないが、私が言いたいのは、様々な出来事を全て自分のイマジネーション空間の中で動的に展開できるような、瞑想的とでも言ったら良いのだろうか、ダイナミックな時間的、空間的な蠢きの中に、自分の存在とそれをまなざす俯瞰的視点を持ち合わせた複眼的な時空間設定ができる意識を持ち合わせた存在、それが芭蕉だと言いたいのだ。

具体的で説明的。的確でわかりやすいこと。そんなことを俳句には求めはしない。少なくとも芭蕉の俳句には!

出来事に対応したことばーーーそんな単純な表現なら、芭蕉でなくとも良いのだ。

蝉の声をきいて、「やかましい」と表意、表現するだけなら、子供にだってできる。事実、そんな程度の俳句が多いし、言いまわしの妙や時代のセンスとやらで俳句を詠み、俳句を語る者の何と多いことか。

学者にしたって、せいぜい「歴史」的な解釈どまりだ。

せめて芭蕉の句を語るのなら、「哲学」を持ち合わせていなければ、その醍醐味は味わえないと心せよ。

不易流行

この哲学的概念の創出された意義が理解されているのだろうか。

ああ、流行ばかりに関心が行く現代社会のあさはかさよ。

https://ameblo.jp/rakuun22/entry-12704186432.html 【松尾芭蕉の宇宙観に学ぶ】より

松尾芭蕉の関連本を最近2冊読んだ癒し王ふじです。僕は、晩年全国の温泉を旅して回ろうと考えています

松尾芭蕉と言えば、俳聖、詩人、俳諧の確立者、俗世を捨てた孤高の人、高潔な人格者、風雅の人、造化随順思想などをイメージする人は多いと思います。

僕のイメージでは、シンプルに★旅をこよなく愛した人★新しい領域を求め自己変革しつづけた人★現場本質の求道者かつ表現者

芭蕉が残した紀行および俳諧集で一番有名なのが「奥の細道」。

江戸時代の平均寿命は50歳で奥の細道へと旅立ったのが、芭蕉45歳の時。

亡くなったのが51歳です。今に置き換えると、概算で男性80歳寿命として72歳くらいから旅にでて2400キロほどを150日間かけて歩いた(1日15キロ換算)ということになります。

伊能忠敬を例に出すまでもなくその凄まじい体力含む行動力と探究心は大いに学ぶ必要があります。(忍者としての任務もあったとの話もありますがそれはさておき)

年齢を言い訳に行動しないことは許されないと感じます。

芭蕉からの学びは一言でいうと、人生という旅を通じて形成される宇宙観なのですがそれをさらに3つにわけると次のようになります。

1.不易流行

2.本質求道現場からの湧き上がる表現

3.別れと悟り

野ざらし紀行、奥の細道など旅を通じて、人生というものの本質が少しずつ解き明かされていく。

時間を超越して変化しない本質一方で流転し停滞しない変化そのハザマで起こる出会いと別れ、弟子との死別を経て芭蕉が最終的に”かるみ”という悟りの境地にたどり着けたのは

自分の足で、自分の目で、五感すべてのアンテナから現場を体感することを実践し、それにこだわり続けそのゆさぶられた心情の本質を見抜き言葉巧みに表現し続けた。

現代風に言えば、一次情報による臨場感あふれる情報発信を忠実に続けたことで多くの人の心の琴線に触れ他の人が真似できない、容易にはたどり着けない高み、人生の本質へとたどり着けたのだと改めて思いました。

皆さんも松尾芭蕉、もう一度大人になってから読み返してみませんか?

社会人経験者ほど新たな発見があると思います。人生の本質に目覚めさせてくれます。

https://textview.jp/post/hobby/10053 【不易に立って流行を楽しむ】 より

人は生まれて最初に父母と出会い、次々と出会いを繰りかえし、やがて老いて死んでいく。つまり、出会いの後にすべての人々との別れがある。

この悲しみをどう乗り越えて生きればいいのか。これを問い続けたのが『おくのほそ道』の芭蕉だという。俳人の長谷川櫂(はせがわ・かい)氏に話を聞いた。

*  *  *

人間の世界にはもちろん喜びや楽しみもたくさんありますが、それ以上の悲しみや苦しみが控えています。その最たるものが親しい人々との別れです。その別れを生みだすのがじつは出会いです。

昔からいうとおり会うは別れのはじめ。人は生まれて父母、兄弟姉妹、夫や妻や友人たちと出会い、子どもが生まれれば子どもと出会います。しかしやがて老い、病み、最後は死んで愛するすべての人々と別れなければなりません。昭和戦争(日中戦争と太平洋戦争)でも東日本大震災でも数かぎりない別れがありましたが、戦争や災害でなくても出会いと別れは日常的に繰り返されています。

こうした別れの悲しみや苦しみに満ちたこの世界を人はどのように生きていけばいいのか。これが『おくのほそ道』の旅をしながら芭蕉が問いつづけていたことです。その自問の果てに芭蕉がたどり着いた回答が「かるみ」でした。

では「かるみ」とは何なのか。

「かるみ」とは一言でいえば悲惨な世界を軽々と生きてゆくということです。芭蕉は不易流行という考え方にたどり着きました。不易流行とは宇宙はたえず変化(流行)しながら、じつは不変(不易)であるという宇宙観でした。それは同時に自然観でもあり人生観でもあります。時の流れとともに花や鳥も移ろい、人も生まれて死んでゆく。その花や鳥や人もまた不易なるものが時とともに流行する姿なのです。

「かるみ」とはこの不易流行という認識の上に立った人生の生き方、つまり行動論なのです。人の世が出会いと別れを繰り返しながら、そのじつ何ひとつ変わらないのであれば、出会いや別れに一喜一憂することなく、不易に立って流行を楽しみながら軽々と生きていきたいという芭蕉の願いなのです。