現代という時代の認識
私(六月の村ソーシャルワーカーズ株式会社 代表取締役 坂本那香子)なりの時代環境認識を以下にまとめました。
構成は以下のようになっています。
1.自由市場資本主義の興隆
2.2000年〜:その限界の露呈
3.次世代モデルの萌芽
4.未来への予言と、決意表明
1. 自由市場資本主義の興隆
私は、スイス系のグローバル企業であるロシュ・グループに長く勤めたのですが、その中で人財育成の一環として著名なビジネス・スクールであるINSEADの研修に参加しました。
その中で見た、ひとつのグラフが強く印象に残っています。
それは、主要国の過去100年間の人口あたりのGDPの推移を折れ線グラフにしたものでした。
産業革命以降、着実に伸びていた人口あたりのGDPは、いったん第二次世界大戦で大きく足止めを食らいます。その後、大戦の影響の小さかったアメリカが急速に人口あたりのGDPを伸ばし、ヨーロッパ各国、日本、韓国が数十年掛けてそれに続きます。ところが面白いのは、どの国の伸びも、アメリカの人口あたりのGDPを上限として頭打ちになるのです。
この辺は日本の実感として、お分かりいただけるのではないかと思います。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本が出たのは1979年でした。その後のバブル崩壊を経て、1990年代初頭から現在まで続く、失われた30年の軌跡ですね。
これとほぼ同じ経路を日本に少し遅れて韓国がたどり、このままだとおそらく中国がたどります。
つまり、戦後の世界のイノベーションの源泉は、ずっとアメリカでした。どの国も、アメリカを追い越すことが出来ませんでした。
では、アメリカが体現していたモデルとはなんだったのでしょうか?
それはおそらく、自由市場資本主義であり、物質的金銭的豊かさであり、経済成長神話です。
近年、とみに悪者として扱われがちなこれらの価値ですが、私は、その強さと便益を決して否定していません。
まず、その中にいる人たちが悪の教団に洗脳された愚かな人々ではないことを、ロシュでの実体験を通じて私は知っています。それどころか彼らはむしろ、非常に人格的にも素晴らしい優秀な人たちの集まりでした。そこに明確に存在している課題を必死で解こうと努力している人たちでもありました。
世界全体で見ても、最近どこの本屋でも平積みになっている『ホモ・デウス』の上巻や、『FACTFULNESS』を読めば、我々人類がその間に成し遂げた業績の素晴らしさが身を持って感じられます。人類史始まって以来、我々を悩ませ続けた3つの課題、すなわち飢饉と疾病と暴力を、我々はとうとう克服しつつあるのです。
これは、だれがなんと言おうと素晴らしいことです。
人類が成し遂げた成果に、私はまずは大きな拍手を送ります。何千年も続いてきた三大課題の解決、本当におめでとうございます。
2.2000年〜:その限界の露呈
ところが、そこで、めでたしめでたしとは終わらないのが、現実の面白いところです。
時代の潮流が大きく変わったのは、やはり2001年のアメリカ同時多発テロ事件から、2008年のリーマンショックへの流れ、そして今回のコロナ禍だと思います。
この頃を境にして、世界の最善をアメリカが代表していた時代が終わりました。
それはおそらく、産業革命以降我々が信仰し続けてきたひとつの価値観の終焉でもあったと思います。つまり、一言で表せば、Money is Kingという信仰ですね。つまり、人々の幸福はだいたいは人口あたりのGDPのようなお金で計測することが出来るという信仰であり、明日は今日よりも主に物質的側面から良い日ではなくてはならない、という成長神話の終焉でもあります。
多分、自由市場資本主義は、ある一定の型を持つ課題を解くのに、非常に適していたモデルだったんです。すなわち、因果関係がはっきりしていて、一定以上のボリュームの人たちが共通課題として認識しえる課題です。
私が長くいたヘルスケア業界の事例をあげるなら、それは、AIDSのような課題です。HIVウィルスが原因で引き起こされ、これを解決すれば注ぎ込んだ開発費に見合うだけの売上が期待出来るという疾患です。実際、びっくりするぐらいの短期間でAIDSはコントロール可能な疾患になりました。
しかし、ボリュームが大きくて解決が比較的容易な疾患向けの薬をほぼ開発し終わり、次のブロックバスターはもう見込めないと言われている製薬業界が現在苦境に喘いでいるのと同様に、近年、自由市場資本主義もその光よりも影の部分を強く露呈するようになってきました。
具体的には、世界各国での経済格差の拡大と、中間層の没落です。これらから発生した事象が、2016年のEU離脱を求めるイギリスの国民投票であり、2017年のアメリカのトランプ大統領誕生です。
更に、2020年1月23日新型コロナウイルスの感染が最初に拡大した中国の武漢で、都市の封鎖が始まりました。2022年1月現在、新型コロナウイルスの変異株による感染拡大の影響が、全世界に影響を及ぼしています。各国間の移動を制限する規制によって、自由市場資本主義に一定のブレーキが掛かる事態が続いています。
3.次世代モデルの萌芽
では、自由市場資本主義が、歴史的に見て一定の役割を終えたとするならば、それに変わって次の時代を担うモデルは、一体、なんなんでしょうか。
その設問への答えを考える前に、もう一度、これから解決しなくてはならない課題の性質を明らかにしたいと思います。
すなわちそれは、
1.因果関係が単一ではない複雑系の課題であり、
2.全員が共通認識を持ちにくい、個別具体的な課題でもあります。
身近なところでは、私の祖母の事例がそれにあたります。
彼女は、最期まで衣食住に苦労してはいませんでした。一般的な意味での医療や介護も十分に提供されていました。ある人々から見れば、それ以上を求めるとはなんて贅沢な、という誹りを受けても言い訳のしようがない環境であったと言えます。
それでも、彼女の晩年は、決して幸福であったとは私には思えませんでした。
別の例としては、絶対的貧困に対する相対的貧困があげられます。生活保護を受けている家庭の子どもである高校生がスマホを持っていていいのかという議論が少し前にありました。これも全員の共感が得られるわけではない、現代ならではの貧困の形です。
世界のあちこちで発生しているであろう、こういった課題に対処することが、自由市場資本主義に変わる新しいモデルには求められます。
さて、それはなんだろう、と考える時に、私の脳裏に浮かぶのは、セルフマネジメント(自主経営)とホールネス(全体性)、それから存在目的の3つを基盤にするTEAL組織です。
ピラミッド型の中央集権組織ではない、新しい考え方です。恐怖や不安をあおる競争原理ではなく、喜びや安心を推進力にする何か別の原理です。
そして、それは、おそらく、産業革命以前の我々の先祖が長らくとても良く知っていた原理でもあります。
金銭的指標に基づく成長神話は、やっぱりどう考えても我々の本能にそぐわない部分があります。バランスドアクアリウムに象徴されるような地球という惑星のイメージは、基本的には均衡状態です。それぞれが減りもせず、増えもせず、という状態です。
その本能に基づいて、さまざまな社会は何千年にも渡って、強欲を罪としてきました。キリスト教しかり、仏教しかり。強欲が推奨されたのは、ごくごく近代のことです。
飢饉/疾病/暴力という人類の三大課題をめでたく解決した今、無限の成長よりもむしろ均衡状態を重んじる元々の人類の本能に立ち返ることが、我々を更なる幸福に導くひとつの道筋ではないかと、私は考えています。
4.未来への予言と、決意表明
ということで、私は断言します。
未来は明るいですよ、皆さん!!
『逝きし世の面影』に描かれている黒船到来以前の日本のような、「素朴で絵のように美しい国」がきっとこの世に立ち現れます。
それは、明治になってから日本にやってきた英国商人のクロウが感動を込めて日記にしたためたような世界です。
「夕暮れ時、村人たちは一日の労働を終え、村にただ一本あるだけの通りで世間話にふけり、夕涼みを楽しんでいた。道の真ん中を澄んだ小川が音を立てて流れ、子ども達は鬼ごっこに余念がない。」「この小さな社会の、一見して分かる人づきあいの良さと幸せな様子」
英国商人のクロウが書き残さなかったのは、明治期の日本は同時に、飢饉と疾病と暴力に定期的に苦しみながら、閉鎖的な村社会の中で個人の自由な選択が認められない封建制を隠し持っていたということです。
我々はきっとそこにそのまま戻るのではありません。
そうではなく、自由市場資本主義が成し遂げた様々な果実の上に、新しい共同体の形を見つけていくことが、きっと出来ると私は強く信じています。
だって、人間は、思い描くことの出来るものは、実現させることのできる生き物ですもん。
大丈夫、「素朴で絵のように美しい国」を、我々はきっと作り上げることができます。
そしてここに、私は高らかに宣言します。
上記のようなマクロ環境の認識に基づいて、私は、ミクロな実践を、誠実かつ着実に行い続けることを。
是非、皆さまと一緒にこの道を進んで行ければ幸いです。よろしくお願いします。