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「和」の美・知恵「和」の神髄を探る

2022.11.19 10:03

http://www.warakutaya.com/beautywisdom.html 【「和」の美・知恵「和」の神髄を探る】より

詫び寂び、そして粋日本人の美意識の変化

■見すぼらしく古いものが美しい?

日本の美意識といって最初に思い浮かぶのが「侘び寂び」ですよね。実は二つは別の意味なのですが、ひとつにして言われることが多いようです。

「侘び(わび)」とは、「わびしい」という形容詞から来ています。「わびしい」は広辞苑によれば“力が抜ける感じである”“心細い”あるいは“見すぼらしい”など、あまり良い意味ではありません。それがどうして良い意味、しかも美意識とまでなったのでしょうか。

一つは禅の影響、そしてその思想を受けた茶の湯の文化が考えられます。しかし「侘び」を美意識として意識して初めて使ったのは、江戸時代の茶書『南方録』であると言われています。

茶の湯では「侘び茶」や「侘び数寄」などという言葉が出来てきます。それらの意味は“表面は見すぼらしく粗末であっても、その質は優れている”ということです。

一方、「寂び(さび)」は、動詞の「さぶ」からで、本来は年月が経って劣化してしまったものを指しました。金属が「錆びる」のは、まさにここから来ています。そこから時を経て人がいなくなって寂しいという意味にもなり「寂」という漢字が当てられました。

これも「侘び」と同じで本来良い意味ではありません。しかしすでに吉田兼好の『徒然草』などに古くなった冊子に美を見出す記述があり、その古びたものを美しいとする意識は、俳諧や能楽の世界で重要視されるようになります。現代も骨董品に人気があるのは、この「寂び」の心です。

■マイナスがプラスに転じる

「侘び」も「寂び」も、日本の代表的な文化である茶の湯や俳諧、能楽などの中で、その美意識が育ちました。

西洋ではゴシックなどに見られるように、飾り立てることで美を表現し(もちろんこれだけが西洋の美意識とは言っていません)、日本では、むしろ飾らないことで美を表現する…。

美とは何かを追求すると、それはプラトンにまで遡る哲学的な命題になってしまいます。美しいと感じるものは、人それぞれ違いますし、文化によっても違います。

「侘び寂び」に代表される日本の美意識は、良くないもの、つまりマイナスを良いもの、プラスに転ずるという大きな特徴があるように思えます。それはある意味、“大人の文化”と言えるのではないでしょうか。つまり子供のころは甘い物が好きだったのが、大人になって苦いものの美味しさが分かるというような、成熟した意識を感じることができるのです。(もちろん、逆に言えば“ひねくれてる”とも言えますが…)

■もう一つの美意識「粋」

“大人の文化”といえば、もう一つの日本の美意識である「粋(いき)」についてもふれなくてはなりません。

これは江戸時代も後期、深川芸者について言ったのが始まりされています。身なりや振る舞いが洗練されている、人情の表裏に通じている、遊興に通じているというような意味です。つまりこれこそ“大人の文化”ですよね。

「粋」は、「侘び寂び」より現代に通じる美意識だと思います。「侘び寂び」は、こんにち日常語としてはほとんど使われることはありませんが、「粋」は、まだ使われていますし、「かっこいい」や「すっきりしている」などを良しとする美意識は生きています。

「侘び寂び」から「粋」へ、日本人の美意識も変化しているのかもしれません。

「和」の美・知恵「和」の神髄を探る…2

極めることが日本文化の神髄。

■実は日本は積極的な国民性をもっている

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」

これは『隋書』東夷伝に記されている、倭王(聖徳太子など諸説あるようです)が隋の皇帝煬帝に送った手紙です。これを見て、煬帝は無礼千万と大いに怒ったといいます。

それにしても、なんと大胆な手紙を送ったものでしょう。怖いもの知らずというべきかもしれませんが、当時の日本人は、いかに自尊心にあふれ、肝っ玉が太かったかが分かるでしょう。

日本の国民性といえば、礼儀は正しいけれど、控えめでおとなしいとよくいわれますが、この『隋書』の記述を見ても、そして戦国時代の武将などの勇猛果敢な姿を見ても、実は力にあふれ積極的な性質だったのだと、私は思います。

そういえば明治維新後、短期間で富国強兵策を推し進め、大国と渡り合える国力をつけたことも、太平洋戦争の敗戦から復興し、経済大国と言われるまでになったことも、その国民性のあらわれだったのではないでしょうか。それが勤勉さのせいだとの意見もあるでしょうが、勤勉なだけでは、世界に台頭する力はつかなかったはずです。そこには“そうなりたい”という積極的で強い意志があったはずです。

確かに日本は島国であり、外国の脅威にさらされにくかったことはあります。しかし、これだけの小さな国が、どうしてそこまでになれたのでしょうか。

■“猿真似”は悪いことではない!?

日本人はよく個性がないといわれます。“和を以て尊しと為す”ではないですが、西欧のような個人主義ではなく、協調性こそが善しとされることが多いようです。

それだけに、オリジナル性が求められる学術研究や商品開発などにおいても、個性的な独自のものは少なく、“猿真似”しかできないなどと侮辱されることもありました(というか今でも…)。

かつては中国に学び、戦後はアメリカに学び、そうして日本は発展を遂げてきた一面は確かにあります。しかし、それが“猿真似”だけに終わっていたら、今の日本はなかったでしょう。

たとえば日本はかつて中国から多くの文化を取り入れました。平城京や平安京の碁盤の目のような区画整理は長安を参考にしたものですし、仏教や貴族の生活様式も、中国文化からのものが多くありました。文化の基礎である文字も「漢字」という元々は中国のものですよね。

しかしその後、日本人は中国文化を独自の文化にまで発展、昇華させていきました。仏教は浄土真宗など日本独自の多様な発展を遂げ、漢字はひらがな、カタカナを生み、それらを併用して使うという独特の文化にまで発展しました。

今、日本文化で世界的になっているといえば、アニメが挙げられると思いますが、もちろん最初は海外のアニメーションの真似から始まりました。

最初は“真似”から始まったものが、どうしてそこまで独自の進化を遂げることができたのか。それは、日本人が積極的にそれらの進化・深化に取り組んだからです。アニメを単に子供のものという固定概念を取り払い、大人の鑑賞にも耐えられるものとする…それはすでに“真似”という域を超えています。

「物事を極める」ことは、日本人の大きな特徴のひとつなのかもしれません。

■極めれば、また新たなものが生まれる

「物事を極める」ことによって、独自の価値観を生み出したものに、“侘び・寂び”があります。本来、どちらもあまりいい意味ではなかったはずでしたが、日本人はそこに新たな美意識を見いだしました。“侘び”は茶の湯から、“寂び”は能楽などから理論化された概念ですが、お茶はもちろん中国から、能もその起源は中国から伝わった散楽にあるといわれています。

つまり、最初は輸入された文化でありながら、極めることによって独自の美意識や作法、様式、文化を形成したわけです。

日本の伝統工芸にも、この“極める”が大きな特徴になっていると思います。細部にまでこだわった造り、用の美としての使い勝手の追求とともに、豊かな遊び心(粋)をも併せ持ったこだわりぶり、極めぶりが日本の工芸品にはあります。

それは、最初に言った日本人の特徴である「力にあふれ積極的な性質」から来るものではないでしょうか。物事を極めようとする意欲は、決してただおとなしくて協調性があるだけの性質からは生まれてきません。

日本人は奥ゆかしすぎるというのか、自虐的なところがあるのか、自分たちの文化をあまり自慢しません。しかし、もっと自信をもっていいのだと思います。

おおらかに、あらゆるものを取り込んで、独自の文化にしていく、それこそ日本人のバイタリティーではないでしょうか。

「和」の神髄を探る…3

道、それは「真理」へとつながっている…

■精神や哲学の高みへ

2003年に公開された「ラストサムライ」は、日本人の武士道を正面から描いた作品ですが、欧米でも高い評価を受け、渡辺謙などの俳優が海外進出を果たすきっかけともなりました。

欧米で賛美される日本文化としての“武士道”は、礼節や仁義を重んじる倫理観がその主なものだと思います。今回の震災で、被災者の礼節をわきまえた行動が高く評価されたことにもつながるのかもしれませんね。

さて、武士道もそうなのですが、日本の武術や芸事の名称は、よく「道」がついています。たとえば、柔道、合気道、剣道、そして茶道、華道、書道などです。

なぜ「道」がついているのでしょうか。そして「道」とは何を表すのでしょうか。

たとえば柔道の場合、もともとは“柔術”の一派として講道館創始者・嘉納治五郎が名付けたものです(ちなみに合気道も“柔術”の一派とされています)。その理念には、技術だけではなく、「精力善用」「自他共栄」という精神的な理念を重視していました。ただ相手に勝てば良い、というのではなく、むしろ精神や体を鍛えることが大切だとされていたのです。

茶道にしても、その呼び方が出てくるのは江戸時代初期ですが、ただ、お茶を飲む作法だけではなく、主が客を迎える精神が大事にされ、茶室はもちろん、茶碗、掛け軸に到るまで、細部にまで及び心配りの総合芸術です。

「道(どう)」はテクニックではなく、精神や哲学にまで高めようとする、一筋の“道(みち)”なのです。

■中国の「道」、仏教の「道」

実は中国にも、そしてインドで起こった仏教にも「道」はあります。

中国で「道(タオ)」といえば老子や孔子に代表される儒家や道家の思想によくそれが現れていますが、宇宙や自然の根本的原理、人が本来歩くべき道=真理のことです。

仏教で「道」といえば、“悟り”のことです。禅語に「平常心これ道」というのがありますが、これは“何事にもとらわれなず、煩わされない心が悟りである”というような意味です。もっとも仏教といっても禅の言葉ですから、中国の思想が大きく影響していることは間違いありません。

人が歩むべき道、いや、人だけではなく万物が歩むべき道。すなわち真理が中国の漢字で表現すれば「道」の一語になるということでしょうか。

日本は中国文化に大いに影響を受けていますから、この真理という意味の「道」に深い思い入れがあったに違いありません。

■精神を鍛えることが「道」

ここでひとつ述べておきたい言葉があります。それは「残心」です。

武道では勝負が終わっても気を緩めずに身構えや心構えをしておく、それが「残心」です。以前、相撲の元横綱・朝青龍が取組後にガッツポーズをして非難されていましたが、それは、試合に勝ったからといって気を緩めて喜びのポーズをとるのは、「残心」という心得を忘れた行為だからです。

また茶道においても、客を迎える準備から始まって、最後客を見送り、茶室に戻ってその日の一期一会の出会いをかみしめるところまでが大切とされます。

もちろん、武道においては、最後の最後で思わぬ反撃を防ぐという実利的な面もありますが、心構えとしての「油断しない」というのは、ひとつの精神のあり方です。

傲慢になってはいけない、慢心してはいけない。これは武道や芸道がフィジカルなテクニックと磨くこと以上に、精神修行が大切であることを説いています。

「残心」の修養は、まさしく「道」です。

「道」となることによって、武術や芸事は単なる技術だけではなく、心も磨かなくてはならない。心身一如、その両面があって、初めて「道」を極めることができ、真理に近づくことができる。そういうことだと思います。

勝ち負けだけでない、利益があればそれでいいのではない、心のあり方そのものが「道」であり、これは極めて東洋的でありながら、欧米の方々にも共感される所以なのかもしれません。