悔しさを抱え、苦しんでいるあなたへ
過去に、思いがけずひどい言葉を言われた。
不当な扱いをされたのに、何も言い返せなかった。
突然の冷たい態度に、ただ呆然とするしかなかった。
そのような出来事を、時々フラッシュバックのように思い出し、頭の中でぐるぐると思いめぐらせたことはありますか?
あなた中で、何か処理しきれていない思いがあるのかもしれません。時に、その出来事に対して、感情的になってしまうこともあるかもしれません。あるいは、何度も「泣き寝入りした」と繰り返し心の中で繰り返すことがあるかもしれません。
この「泣き寝入り」という言葉には、感情が伴っています。辞書には『 異議や不服はあるが、そのままあきらめてしまうこと。 不当な仕打ちを受けながら、相手の力を恐れてしかたなくあきらめること』とあります。この意義や不服が、そのままあなたの心のうちに、苦く固く残ってしまっているのかもしれません。これはあなただけが感じるものではなく、多くの人が感じ得るものともいえるでしょう。
悔しい気持ちは、時に人の心に長く残ってしまうことがあります。
悔しい気持ちは、それを感じていい感情です。
この悔しい感情をも、キリストは引き受けてくださいます。
クリスチャンとして赦すことは求められていますが、なかなか、簡単にはできることではありません。
C.S.ルイスはこんな言葉を残しました。
『Everyone thinks forgiveness is a lovely idea until they have something to forgive』
赦すことは、誰もが素晴らしいことだと思っている。赦すべきことがそこにあるまでは。
悔しさを持ち始めるきっかけとなる出来事は、きっとあなたの心をナイフでぐさっと刺したような出来事だったことでしょう。固まって何も言い返すことができず、ショック状態だったかもしれません。
例えば、実際に私たちが道端で誰かに刺されたとします。そんな時、私たちはその刺した相手のところに行って、切られた部分を直してくれるように求めるでしょうか?そんなことはしないですね。私たちは医療に知識のある人のところに行き、直してもらうことを求めます。
私たちの癒し主は、傷つけた当事者ではなく、キリストです。
イザヤ書53:5にある言葉に私たちは心を留めたいです。
(キリストの)打ち傷によって、私たちは癒された。
正しい相手に、癒しを求める
私たちは時に間違った相手に癒しを求める時があります。相手を間違えると、私たちは結局自分の求めている解放、解決には至らないでしょう。たとえ相手が謝ったとしても、です。相手が謝った言葉を口にしたからといって納得できない時があります。だからこそ、キリストに扱っていただき、福音を思い出し、キリストにあるアイデンティティを思い起こす必要があります。
時間という賜物
もう一つ言えることは、神様は、時には『時間』をかけて癒されるということです。
傷を受けた瞬間、感情的に反論したり反応することは、いい結論かというと、ほとんどの場合、違うのではないでしょうか。一度言葉が外に出てしまえば、それを取り戻すことはできません。時に『時間』が私たちを冷静にしてくれます。
神様から与えられた癒しのための『時間』の中で、日々のデボーションや日曜日のメッセージやクリスチャンとの交わりなどの中から、聖霊様は私たちを真実へと導いてくださいます。言い表せない平安や赦しという解放を、神様が贈り物として、そっとくださる時もあります。
『時間』というものがどれほど神様からの贈り物か、時々気付かされる時があります。『時間』を通して、神様は私たちの心を柔らかく整えてくださいます。
みことばからなぐさめをいただく
悔しい思いを抱えて苦しむとき、詩篇13篇を一緒に読み自分の感情に向き合うこともよいプロセスです。神様に嘆き、叫び、泣くことは、傷ついた心を癒すための、はじめの一歩でもあります。特に3節、5節、6節では主にある真理を見ることができます。イザヤ53:3-4によると、キリストもあなたと同じような体験をされました。人々から蔑まれ、のけ者にされ、悲しみの人で、病を知っておられました。あなたの苦しみは、キリストが完全に理解してくださり、憐れみ、共に泣いてくださいます。
私たちの苦しみに同情し、彼の打ち傷のゆえに私たちを癒して下さるキリストに、あなたの思いをゆだねることができますように。
イザヤ書53:3-5
彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。
詩篇13篇
1 主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。
2 いつまで私は自分のたましいのうちで思い悩まなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで、敵が私の上におごり高ぶるのですか。
3 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください。私が死の眠りにつかないように。
4 「彼に勝った」と私の敵が言わないように。私がぐらつくことを、逆らう者が喜ばないように。
5 私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあたの救いを喜びます。
6 私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。