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七五調のリズム再考 ―拍で捉え直したい七五調

2022.11.19 07:08

http://tousenkai.cute.coocan.jp/toproom/TopRoom2/top20.html 【「音韻論」レポート】より                          

         七五調のリズム再考 ―拍で捉え直したい七五調―

                               科目履修生・江畑 哲男                              

0 はじめに(小論で解明したいこと)

 日本の短詩型文芸は、5音と7音の組み合わせで出来ている。

 短歌(5・7・5・7・7)、俳句(5・7・5)、川柳(5・7・5)、都々逸(7・7・7・5)、連句(「連歌」とも呼ぶ。5・7・5、7・7、5・7・5、7・7の繰り返し)等々、いずれも5音と7音の組み合わせになっている。

 上記の詩型には、「字余り」や(稀に)「字足らず」も見られる。「中間切れ」や「破調」と言って、「5・7・5」のリズムから外れた独自のリズムを形成する場合もある。しかし、そうした場合でも必ず基本的リズム(=5音と7音の組み合わせ)が意識されているのである。

 つまり、「6音」の句の場合には、5音を基本に考えて字が余っているから「字余り」と呼ばれるのであり、基本である「5・7・5」のリズムを壊しているから「破調」と称されるのだ。

 ところが、

(ア)音数的には定型(5音 or 7音)ではないのにもかかわらず、定型のように感じたり(=定型感)、

(イ)その逆に、あきらかに定型(5音 or 7音)なのに、字余りのように感じたりする場合が、実際にはある(この点は後ほど詳説する)。

 川柳歴40年、(習作時代も含めると)韻文歴50年以上の小生にとって、上記(ア)・(イ)は長年の謎であった。

 数多くのリズム論も読破したが、上記について納得のいく説明は残念ながらなされていない。それが現状である。リズム論の中では、『七五調の謎を解く 日本語リズム原論』(坂野信彦著、大修館書店)が秀逸と思われる。坂野論文では、日本の短詩型文芸のリズムの95%は納得出来る説明がなされている。坂野論文に沿って、小生も川柳講座等でそのリズムを解説してきたという経緯がある。

 しかし、これまた残念なことに、残り数%の部分については坂野論文でも解明出来ない。喩えて言うならば、デンと大きく構えた書棚にほとんどの書籍(=韻文のリズム)は収まるのだが、収まりきれない例外の一部書籍(=説明しきれない韻文のリズム)が残ってしまっている。これを何とかしたい。何とか出来ないものか。上記喩えを敷衍すれば、「すき間家具」(笑)はないものか、と小生はずっとずっと考えつづけてきた。

結論。

 あった! あった!、のだ。

 しかも、「すき間家具」を考案しているうちに、韻文の世界では常識とされていた大前提なるものを再考すべしという結論にも達した。考え直してみたら、違った光が見え始めたのだ。

 その考えは、小生が数年来温めてきた試案である。その試案を、定年後に麗澤大学院の講義を4年間受け、今回大野先生のご教示を受けて音韻論的に捉え直し、照射し直した。そうしたら、見事に解決された。

 名づけるならば、「江畑哲男大胆仮説」。

 以下、「これまでこの世界では常識とされていた大前提なるもの」の説明と併せながら、小論を展開していくことにしたい。

1 江畑哲男の大胆仮説

① 「定型」とは何か?

俳文学の世界で権威ある辞典によれば、「定型」は以下のように定義されている。

〈定型:文芸用語。和歌・連歌・俳諧・短歌・俳句などの一定の形式をいう。五音と七音を基調とする音数律によって、形が定まっている。現代詩が不定型自由律を主流とすることに対して、短歌・俳句は、伝統的な強固な定型によることを特色とする。俳句の定型は、五音・七音・五音(上五・中七・下五)の三句一章を成すいわゆる一七文字(一七音)である。これが日本語において一応の表現能力を有する最短の詩型であると考えられる。……〉            

 (傍点引用者、編者尾形仂ほか『俳文学大辞典』角川書店)

 川柳の辞典ではどうか。川柳界で最も権威のある辞典に当たってみよう。

〈定型:【形式用語】一定の形式、伝統的な約束。これに拠った詩歌を定型詩と呼び、前句附けの附け句が独立して一体をなした川柳もその一種。一般に「五・七・五」とか「十七音」と呼ばれ、5音節と7音節のフレーズを交互に三つ重ねて、五・七・五となり、全体では十七音節になるのが基本的な構成。……〉

 (傍点引用者、尾藤三柳監修・尾藤一泉編『川柳総合大辞典』雄山閣、第三巻「用語編」編)

 煩を避けるためこれ以上の引用はしないが、小生の手元にある川柳の入門書の類いのほぼすべてが、「十七字」「十七音」といった解説になっている。その数え方についても、「字」「音」「文字」「音数」「字数」「音字」「音節」といった用語で説明がなされている。いやいや、川柳の入門書に限らない。短歌や俳句・都々逸など日本の定型詩のリズムは、「5字」「7音」「十七文字」構成といった解説がなされているのである。

(もっとも、上記には理由がないわけではない。「かな1文字=1音」と数える日本語の拍の特殊事情がある。拗音を除けば、日本語は「かな1文字=1音」で数えられる。「特殊拍」と呼ばれる促音・撥音・長音などもすべて、他の自立拍と同じ長さになる。「かな1文字=1音」という原則で、5音と7音の組み合わせたる日本の定型詩のリズムが、キレイに説明出来てしまうのだ。この点、欧米語とは違う。そう言えば、短歌の異称に「三十一文字(みそひともじ)」がある。これなども拗音表記が存在しなかった時代を反映した見事な呼び習わし方であるとも言えよう。このあたりの日本語事情(=拍の数え方)にも詳しく立ち寄りたいのだが、拙論は省略して先を急ぐことにする。)

② 「モーラ」と「シラブル」

 ここで、『日本語学研究大事典』(飛田良文編著、明治書院)に、ご登場願おう。

〈音節:syllable【意味】「渋」と発音するとき、シ・ブという二つの単位に区切ることができる。二つの音は等しい間隔で区切ることができる単位であり、調音に費やす時間もほぼ等しい。二モーラとも二音節とも数えることができる。類似の発音をする語に「新聞」がある。……「渋」は二モーラ二音節、「新聞」は四モーラ二音節である。モーラは音韻論的解釈によるため、区切りの単位は明確であるが、音節の区切りは上掲二定義(加藤正信説と服部四郎説、引用者)で見たように主観的かつ直感的であり、人によってさまざまである。……〉

 そうだった!

 「モーラ」(拍)で考えていけば、きわめて明快なのだ。スッキリとした説明になるのである。

 小生は「すき間家具」の「寸法」ばかり考えつづけてきた(笑)が、なぁ~んてことはなかった。「モーラ」(拍)の概念を導入すれば一遍に解決するのだ! 「すき間」を埋める家具を考案するのではなく、書籍(韻文の世界)全体を収納できる新しい書棚(リズムの解説)の完成させればよかったのである。その完成を、「モーラ」(拍)概念の導入によって見ることが出来た。

 日本の短詩型文芸は、日本語によって構成される。当たり前のこと。そのリズムもまた、日本語の音節の数え方、すなわち「モーラ」(拍)という概念を導入して考えるべきなのは、理の当然とも言えよう。

 そもそも、「十七字」「十七音」といった解説、「字」「音」「文字」「音数」「字数」「音字」「音節」といった数え方で説明しようとするから混乱が生じたのだ。あたかも、韻文のリズムを「シラブル」(音節)で数えようとしたから、説明のつかない事例が少なからず発生してしまったのだ。

日本の定型詩は、日本語の数え方によって説明すればよい。それだけのことだ。こんな単純な理屈に、なぜいままで気づかなかったのだろうか? きわめて不思議な話だが、「かな1文字=1音」という大原則、拗音表記がなかった時代をずっとずっと引きずってきたのかも知れない。ならばこそ、「モーラ」(拍)という概念を今ここで導入し、解説不能の「すき間」を埋める必要があるものと、小生は確信している。

(ところで、日本の短詩型文芸のレジティマシーは、何と言っても和歌(=短歌)である。俳句や川柳ではない。その和歌は、流派にもよっても違うが、伝統的な和歌は和語(大和言葉)を尊び、旧字旧仮名で表記することが今でも普通に行われている。(旧字)旧仮名遣いに拗音表記はない。従って、「かな1文字=1音」という大原則を和歌が墨守しても、矛盾が生じにくかったという事情もきっとあったに違いない。この仮説も別な機会に証明していくつもりだが、拙論では先を急ぐ。)

(「すき間家具」の部分は、後述。)

 「七五調のリズム再考」。以下のように定義をしたい。

 〔江畑哲男の大胆仮説〕

川柳は、「五拍・七拍・五拍のリズム」を基本とし、全体が一七拍で構成される、定型詩の一種である。

2 「拍」(モーラ)概念導入で新たに解明出来ること

① 伝統的なリズム解説のまま、説明ができる場合

 伝統的なリズムの解説(5音とか7文字とか)がそのまま通用するのは、以下の場合である。拍(モーラ)と音節(シラブル)が同じ、つまり拍数と音節数と同一なのだから、「1字=1音」で指を折り、「5・7・5」と数えればよい。

   〔例題A〕

 ▽「ゆき」(雪)=2モーラ(拍)、2シラブル(音節)

 ▽「おとこ」(男)=3モーラ、3シラブル

 ▽「きたかぜ」(北風)=4モーラ、4シラブル

 ▽「おもてなし」=5モーラ、5シラブル

 ▽「アベノミクス」=6モーラ、6シラブル

② 伝統的なリズム解説で、留保条件が必要な場合

 伝統的なリズムの解説(5音とか7文字とか)でも通用するのだが、一部留保条件が必要な場合。一部とは、拍(モーラ)と音節(シラブル)が違っている場合である。

 留保条件とは、

(ⅰ)拗音は、2文字で1音と数えること。

(ⅱ)日本語の特殊拍(促音・撥音・長音)は、1音で数えること。

 初心者によく聞かれる質問の一つが上記(ⅰ)(ⅱ)だった。例えば、「チョコレート(←拗音も長音も含む)は、何音になりますか?」といった質問である。

  〔例題B〕

 ▽「もん」(門)=2モーラ(拍)、1シラブル(音節)

 ▽「きって」(切手)=3モーラ、2シラブル

 ▽「せんりゅう」(川柳)=4モーラ、2シラブル

 ▽「ふなっしー」=5モーラ、3シラブル

 ▽「オリンピック」=6モーラ、4シラブル

③ 伝統的なリズム解説でいくと、かなり厄介な説明を要する場合

 上記①・②については、これまで通りの解説でもさしたる混乱はなかった。「17音」と言い、「17文字」と呼んでも、②のような留保条件を付けさえすれば事足りた。

しかしながら、下記の〔例題C〕及び〔例題D〕の場合は、そうはいかない。伝統的なリズム解説では明らかに行き詰まってしまう。

そこで、どう説明していたか? リズム論では権威のある坂野論文(とくに参考資料の「2音基調」参照)を援用して、面倒な説明を小生などは繰り返してきたのであった。

 以下はその内容。初心者にはなかなか分かりづらいのだが、それでも拍(モーラ)の概念を導入しなくとも、つまりは坂野論文の範囲で、厄介ながら説明は不可能ではなかった。

〔例題C〕

 例えば、俳句の季語「日短か(ひみじか)」は、5音として扱われている。「なぜ?」という説明もなされないまま、「俳句界の常識!」でこれまでは片づけられてきた。

 しかし、これまでの音字数的な解説に従えば、明らかに「4文字」である。「4文字」なのに(「5音」や「5文字」ではないのにもかかわらず)、「5音」「5文字」「定型」として、「常識」として、取り扱われてきたのだ。

この例題Cについては、音字数の数え方の例外として、坂野論文(『七五調の謎を解く 日本語リズム原論』)の「2音基調」論を援用しつつ、川柳講座などで小生などは説明をしてきた経緯があった。(参考資料の「2音基調」参照)

 すなわち、「4文字」「4音」だけど、実際には、

    →「ひー みじ か・ ・・」、

(もしくは「ひ、 みじ か・ ・・」)と、読み上げるからという説明の仕方だった。

以上が、(ア)への解答になる。

〔例題D〕

 「日短か(ひみじか)」ではなく、今度は「日短かし(ひみじかし)」と表現した場合、どうなるか? 音字数的には「5音」「5文字」の計算だ。従って、「定型」のはずなのだが、なぜか字余りの感覚が残ってしまう。こちらは、(イ)の謎解きになる。

 これについても坂野論文で説明すれば、こうなる。

→「ひみ じか し・」とは、読み上げない。(参考資料の「2音基調」参照)

(やはり「ひー みじ かし ・・」)

↑ 6音分の長さと感じてしまう!(=「字余り感」)

④ 坂野論文を援用しても説明ができない場合(=「すき間家具部分」)

 以上、

① 伝統的なリズム解説のまま、説明ができる場合

② 伝統的なリズム解説で、留保条件が必要な場合

③ 伝統的なリズム解説でいくと、かなり厄介な説明を要する場合

という、三通りの例を見てきた。

 しかし、である。

①・②はともかく、③にはかなりの無理があることは、お分かりいただけたと思う。

「江畑哲男の大胆仮説」、その真骨頂はココから、である。

 拍(モーラ)の概念を導入すれば、〔例題C〕や〔例題D〕については、例外や留保条件を付け加えなくても説明が可能だ。「拍(モーラ)」で数えればよいのだから。

 さらには、下記に新たに示す〔例題E〕〔例題F〕になると、坂野論文を援用しても説明不能に陥ってしまう。なぜなら、坂野論文には休止符の部分(後述)についての言及がないからである。

 江畑仮説は、休止符も含めて拍の概念を導入して論を立てたものである。

 そうすると、〔例題C〕〔例題D〕 の場合はもちろん、〔例題E〕も〔例題F〕も、ものの見事に解明できてしまうのだ。(〔例題A〕〔例題B〕については、あまりにも自明のことなので割愛する。)

 以下、証明していきたい。

〔例題E〕

 ジ・エンド白人が勝つ物語   岩井三窓

字数や音数で数えると、「4字」「4音」になる。つまりは、「字足らず」になる。(字足らずは、字余りよりもリズムが悪い、とされている。)

 韻文のリズムが身についている人間にとって、習慣的に5・7・5のリズムで作品を読み上げようとする傾向がある。そして実際、上記の「ジ・エンド」も句会等ではそのように読み上げている。

「ジ・エンド」。音楽符号を使って示すならば、「ジ(8分休符)エンド」。つまりは、表記上(文字の上)の「・」(中黒、中点、ポツ)は8分休符にこの場合相当する。♪

そうなると、「4音」「4文字」だが、「5拍」という計算になる。まさしく、「定型」ではないか!

〔論証F〕

 校内暴力教師不信の目・目・目     江畑哲男

(一九八〇年代の作品。校内暴力が吹き荒れた当時の実感句だ。小生の代表作の一つ。)

 上記作品の拍は「8・7・5」である。上五は字余りだが、中七・下五は定型だ。

 なぜか? 「・」の部分は、「8分休符」であり、そこに「1モーラ分の休止が入る」から。そう考えれば、下5はこれまた「定型」ということになろう。表面上は「3文字」にしか過ぎないが、「5拍」で数えられるのである。

 実際音楽的に解析すれば、そのような披講になることは間違いない。

(音楽的披講の解析は、江畑哲男編著『ユニークとうかつ類題別秀句集Ⅱ』新葉館出版270ページ、淡路獏眠「川柳の楽譜について」を参照されたい。たしか大野先生にも謹呈済み。川柳の多くは句会で投句され、披講(発表)される。短歌や俳句と比べると、川柳の場合は耳で鑑賞する機会と要件が圧倒的に多い。とりわけ関東の句会はリズムにかなりウルサイという評判があるが、聴覚的(音楽的)要素を大切にしているからに違いない。ウルサイ割りに、文字表記のみにとらわれ、指を折って数えるという伝統的な解説に終始しているのが現状。しかし、ここでの深追いは避ける。なればこそ、小生による「拍」の概念の導入提案であった。)

 再び、繰り返す。

  川柳は、「五拍・七拍・五拍のリズム」を基本とする、

   定型詩の一種である。

 このように定義し直すことによって、冒頭提起した(ア)(イ)についても、さらには、休止符を含んだ「定型」についても見事に解明できたのであった。小生長年の謎を解明したのみならず、今後の韻文界で「拍」という考え方が広まることを念願している。

《注》

(1)国文科のレポートだと、縦書きで漢数字を用いるところである。本稿では、基本的には算用数字を用いた。理由は、横書きであること、読みやすいこと、リズムの説明が容易なこと。(2)参考文献は、引用箇所で示した。

(3)本レポートは韻文の専門的な内容という関係もあって、神経を使った。専門外の方にもご理解いただきたいという趣旨のあまり、かなり丁寧な(丁寧過ぎる?)説明になったキライもあったと思う。ご容赦願いたい。

(4)音楽記号の取り込みが出来なかった。コンピュターのスキル不足。ご免なさい。

(参考文献):エッセンスのみ

『七五調の謎を解く 日本語リズム原論』(坂野信彦著、大修館書店)の概要

1、この本では、日本語の音律を扱う

  音=言語の音

律=リズム

音律=言語の音を用いて生み出されるリズムのこと

 韻=言語音の「ひびき」、音感の性質

  「韻を踏む」=特定の音のひびき合い

韻文=詩歌の必須の形態的特質をなしているから

日本の詩歌に「韻」は一般的でない

→日本の詩歌は「韻文」ではなく、「律文」?

韻律=アクセントやイントネーションのこと(by 音声学)

2、日本語の音

「音節」(シラブル)と「拍」(モーラ)

「音節」=音声的な区切り、「拍」=時間的な単位

日本語では、音節と拍が基本的にぴったり一致する

日本語では、かな一文字=一音(除く 拗音)

一音一音、同等の単位。同じような存在感がある。

cf 「strike」は全体で一音(一シラブル)

3、二音基調

  日本語の語彙は二音を基調として編成されている

  (高橋龍雄『国語学原論』 「国語二音節基調論」)

「二音の環」として日本語のリズムの基礎として位置づける

詩人・福士幸次郎「日本音数律論」

  あき ぞら を  はと が  とぶ

        (一音分のポーズ=休止)

  いち にー さん しー  ごー ろく

4、四音の枠組

  四音語 38、8%

  三音語 22、7%

  五音語 17、7%

  二音語 11、0%

  一音語  4、8%

  カタカナ表記の略語

  アメリカンフットボール→アメフト

  ラジオコントロール  →ラジコン

  ハンガーストライキ  →ハンスト

  リストラクチャリング →リストラ

  プレミアム       →プレミア

  ほかに

  国連、学割、天丼、大検、なつメロ、サラ金、

5、八音の単位

  四字熟語

  東奔西走、交通安全、政権交代、放送大学

  ふんだりけったり、貧乏暇なし、ずんぐりむっくり

  あわてる乞食は貰いが少ない

6、拍節構造

  ○○ ○○ ○○ ○○  音

  ○○            律拍

  ○○|○○        半句

  ○○|○○∥○○|○○ 句

  もう|いい∥かい|・・ まあ  |だだ∥よー |・・

  あー|した∥てん|きに あー |ーー∥れ・ |・・

  なー|むー∥あみ|だぁー なー|むー∥あみ|だぁー

  「南無阿弥陀仏」

  かっ|とぅ∥ばー|せー きー |よーは∥らー|・・

  「野球の応援」

7、七音・五音の必然性

  タタ タタ タタ タタ (八音句)

  タタ タタ タタ タ・ (七音句)

  ※この短い一音分の休止の効能

  ア、句に変化とまとまりをもたらす

  イ、リズムの歯切れを良くする

  ウ、句を作りやすくする

  エ、打拍の破綻を回避する

  花咲き誇る 「はな さき ほこ る・」

  早や桜散る 「はや さく  らち る・」

  風に散る花 「かぜ にち るは な・」 ×

         「・か ぜに ちるはな」 ◎

        冒頭の休止で、瞬時に力をためて反動でパチンと

        はじくように打拍にはずみをつけている。

8、七七調と七五調

  歌は世に連れ 世は歌に連れ

           「・う たは よに つれ」

           「よは うた につ れ・」

   「四・三、四・一」構成

  くる |しい∥とき|の・ かみ|だの∥み・|・・

  さわ|らぬ∥かみ|に・ たた|りな ∥し・|・・

   「三・四・、四・一」構成

  ・じ |しん∥かみ|なり かじ|おや∥じ・|・・

  ・き |いて∥ごく |らく みて|じご ∥く・|・・

9、五七調と五五調

  「天地の 別れし時ゆ/神さびて 高く貴き」

  「あめ つち の・ わか れし とき ゆ・」

  三律拍プラス四律拍=中途半端な音律

  かと言って、

  「あめ つち の・ ・・ わか れし とき ゆ・」

  不自然、散文的

  五五調はさらに散文的、ブツ切りの感じ

  「秋の日の ヴィオロンの ためいきの

  身にしみて ひたぶるに うら悲し」

  余談=学生運動時代のアジ演説=五五調のブツ切り

  「われ われ はー、 アメ リカ のー」

10、律読法

  律文読みの基本=二音を一律拍とする打拍によって、

             五音や七音を四律拍に読んでゆくもの

  「古池や かわず飛び込む 水の音」

  あき かぜ ふき ぬ・

  「秋の風吹く」

  (1)あき のか ぜふ く・ =打拍が破綻するので×

  (2)あき の・ かぜ ふく =中途に休止、句が分裂×

  (3)あき のか ぜ・ ふく =中途に休止、句が分裂×

  (4) ・あ きの かぜ ふく アップテンポでスムーズに打拍

                   (以下略)