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感性を磨くには韻文に親しむことが最も効果的

2022.11.19 07:15

https://www.excite.co.jp/news/article/Jcast_bookwatch_book10058/ 【カリスマ現代文講師が石川啄木の短歌を読めという理由】より

 大学入試「現代文」のカリスマ講師として有名な出口汪(ひろし)さんの『日本語力 人生を変える最強メソッド』(水王舎)が出た。入試問題を「論理」で読解するというスタイルで絶大な支持を受けてきた出口さん。本書にはいくつもの問題が出題されているが、意外な作者の作品が多く採用されていることに驚いた。

感性と論理力の両方を磨く

 出口さんは、感性やイメージ、感情にかかわる「右脳」と論理、言語にかかわる「左脳」を自覚的に切り替えることで、感性と論理力の両方を磨くことができる、と説く。

 そして感性を磨くには短歌・俳句・詩といった韻文に親しむことが最も効果的だという。そして石川啄木の短歌から例題を出している。

 第3章「明晰な頭脳の作り方」で、いよいよ「論理」について説明している。論理とは「具体→抽象」といった頭の使い方だという。人間だけが言葉を持ったためにカオスから脱却した。こう説明する。

 天と地、男と女、動物と植物、好きか嫌いか、希望と絶望といったように、私たちは下界の一切をいったん言葉に置き換え、「イコールの関係」「対立関係」といった論理で整理した上で、物事を認識・整理し、そして考えるということを始めました。

 出口さんは「出口式みらい学習教室」を立ち上げ、小学生低学年の子どもを直接指導している。こんな問題を出した。

 次の文の中で最も大切な言葉は何か。またその理由を説明しなさい。

 小鳥が かわいらしく 鳴いた。

答えは「鳴いた」である。一文の要点であり、日本語では述語が中心となるからだ。複雑な文や長い話でも、まず主語と述語を見つけることだ、と書いている。

 評者は大人の作文の添削を長くつとめたが、主語と述語が対応しない文章をたくさん目にしてきた。だらだらと一文が続き、主語に対応する述語が現れないままに、また別の記述が始まるケースが多い。書いている人のアタマが整理されていないことがわかる。

 出口さんは、主語と述語は抽象概念であり、それだけでは表現は成立しない、と長塚節の「土」から例題を出し、「飾り」の部分の重要性を説明する。具体的であればあるほど、一つしかない場面を描写することができるからだ。

大人こそ童話を読め

 第4章では、五感を取り入れることで、瑞々しい表現になる、として、「大人こそ童話を読みなさい」と書いている。おすすめは新美南吉。嗅覚、聴覚、触覚も大切だという。

 出口さんと言えば、「論理」というキーワードで知られていたが、「感性」も重要視していることがわかった。本書の例題には、石川啄木、中原中也、梶井基次郎の3人の作品が多く紹介されている。偶然だが、3人には共通点があるという。3人ともそろって病気で30歳になってまもなく夭折していたのだ。

 凝縮した人生だったからこそ、あれほどの感性を磨いたのでは、と書いている。彼らの残した文学作品を「日本語の練習問題」として活用し、彼らの感性をそのまま自分のものにすればいいという。

大学入試から小説消える?

 いま、文学作品が大学入試から消えてゆくのでは、と文学関係者から危惧する声が出ている。2021年入試から「共通テスト」が導入される。センター試験は、現代文の問題は2題あり、ひとつは評論、もうひとつは小説だった。しかし、これまでに発表された「共通テスト」の例題では、自治体の広報や駐車場の契約書といった「実用文」が出ている。これに対して、単に情報を処理すればいいのか、と反発する関係者が少なくない。

 たしかに論理を磨けば、こうした実用文に対応するのはたやすいだろう。しかし、「論理」教の教祖・出口さんが、「感性」の大切さを本書で説いているのを知り、「共通テスト」への危惧の念を深くした。夏目漱石ら文豪の文章が教科書から消えたとしたら、日本語の魅力を次の世代に継承するのは難しくなるだろう。

 「共通テスト」にかんしては、英語の民間試験の活用の可否についての議論が出ているが、国語の問題についても注視していきたいものだ。

 BOOKウォッチでは、「共通テスト」について、『教育激変』(中公新書ラクレ)を紹介している。

 なお、本書は2013年11月にサンマーク出版から刊行された『日本語の練習問題』を改題、大幅に加筆、再編集したものだ。

(BOOKウォッチ編集部)

https://ootunomiko.blog.fc2.com/blog-entry-388.html  【万葉歌と記紀歌謡(3)】より

 初代天皇神武から第34代推古天皇までの期間に掲載された歌謡数は、古事記103首、日本書紀は99首です。その歌謡の分布を天皇代で調べると、神武天皇、景行天皇、仁徳天皇、允恭天皇、雄略天皇の時代に歌謡が集中しています。どのぐらい偏っているかを、歌謡数で以下に並べて見ます。

               古事記の歌謡  日本書紀の歌謡 

 (34代までの歌謡数)   103首     99首

 ①初代 神武天皇      13        8    

 ②12代景行天皇       15        7    

 ③17代仁徳天皇       23       21    

 ④20代允恭天皇       12       10    

 ⑤22代雄略天皇       14        8    

    合計            77首      54首

 ①~⑤の歌謡の割合    (75%)   (55%)

 古事記の歌謡で言えば、34人の天皇の治世があったにもかかわらず、たった5人の時代の歌謡で75%を占めてしまうのです。その歌謡もかなり特定の逸話の中で歌われています。「古代歌謡」の特徴は、口誦歌が日本のあらゆる場所で発生し、歌われた内容も多種に渡っていたはずです。記紀歌謡で見る限り、その特徴は当てはまりません。特定の逸話に偏って挿入されているのです。それを5人の天皇代で見て行きます。

http://musicmusicologic.com/music-of-ancient-greece-musa/ 【古代ギリシア音楽(1)「ムーシケー」について】より抜粋

music の語源

西洋音楽史のスタート地点として古代ギリシアが取り上げられるのは、現在確認できる範囲で音楽理論の始まりを古代ギリシアに求めることが出来ることだけが、理由ではありません。特に、(コレはいわゆる「人文学」にお得意の方法ですが、)「語源的」にも西洋音楽史のスタート地点は古代ギリシアに遡ることが出来るのです。

つまり、現在、日本でも幅広く使われている英語、ミュージック music の語源は、ギリシア語のムーシケー μουσικη に由来している、だから、西洋音楽史のスタート地点は古代ギリシアに求められる、というわけです。ちなみに、ドイツ語のムジーク Musik、イタリア語のムージカ musica、フランス語のミュージック musique も同じように、ギリシア語のムーシケーに由来しています。

では、古代ギリシアにおいて、ムーシケーは音楽「だけ」を指していたのかというと、そうではありません。

実は、ムーシケーは音楽だけではなく、本来は詩・音楽・舞踊の三つの要素から成立していました。つまり、詩を音楽的に節づけ、集団的に踊られていたのがムーシケーだったのです。

https://shinshomap.info/theme/japanese_popular_song_g.html 【歌謡曲と演歌】より

歌謡曲と演歌には、その時代の人々の夢と現実が入り交じっている。時代の吐息を感じさせる歌謡曲と演歌について述べる。

『書き下ろし歌謡曲』(阿久悠著、岩波新書)は、「個人授業」「時の過ぎゆくままに」「北の宿から」「青春時代」「熱き心に」そしてピンクレディーの曲などを手がけ、ヒットメーカーの名をほしいままにした作詞家・阿久悠による100編の詞の一挙書き下ろしである。

阿久悠は常に新しい歌謡曲の世界をことばにつむぎだしてきた。耐える女ではない強い女を演歌に描いたり、いわゆる歌謡曲の定番のメンタリティを超えたものをテーマとして次々にヒット作を世に送り出した。新しい世界が始まることを予感させる力を歌が持つことに気づかせてくれた作詞家である。

この本で紹介された歌謡曲の詞は実に多彩だ。阿久悠は歌謡曲の魅力を次のように語る。「歌謡曲に総論はないというのが僕の信念です。男と女の関係がそうであるように、すべて個別の事例であり、特別な事情があります。(略)日常の中にあるんだけど、じつはふだん目にしてないというか、死角に入っているというか、視野が狭ければそれは見えないし、広いヒトには見えるしという程度の、ギリギリのところにあるもの、それを探すのが作詞家としての仕事であり、おもしろさじゃないかと思っているわけです」

同じく阿久悠による『愛すべき名歌たち』(岩波新書)は「湖畔の宿」から「川の流れのように」まで彼の幼児期から心に残る歌、記憶に残る歌を順にとりだしてきて、100篇のエッセイにまとめた本。歌謡曲を通して、日本と阿久悠の50年間を語っていて読み応えがある。

「兄は十七歳で志願して海軍に入り、十九歳で戦死した。終戦の一カ月前のことである。その兄は入隊前少しばかりグレていて」で始まる「湖畔の宿」。「スカートは、おそろしい勢いで短くなっていた」が書き出しの「ブルーライト・ヨコハマ」。「ザワザワとした風と、足裏に地殻の変動をむずむずと感じる時代であったように思う」の「時には母のない子のように」。

「あの頃は、と言うと、じゃあ今はどうなのだと切り返されると困るが、沢田研二の魅力は圧倒的で、直接言葉を交わすのが憚られるような雰囲気があった。怖いとか威圧を感じるということではない。美女を前にして茫然自失、空洞になってしまった頭で立ちつくような感じで」の「サムライ」。言葉の魔術師ならではの上質なエッセイでもある。

『演歌の明治大正史』(添田知道著、岩波新書)は、明治の壮士節、書生節なども網羅する。楽譜入りのものも多く、資料的価値も大きい。政治批判をゆるされなかった時代に、歌が民衆にとって溜飲を下げる大きな力になっていたことがわかる。 一方、『「演歌」のススメ』(藍川由美著、文春新書)はクラシックのソプラノ歌手が演歌の音楽性について論じた1冊。「そろそろ日本人も、明治以来の音楽教育によって植えつけられた西洋音楽コンプレックスから脱却する必要があるのではないか。現に近代日本には、少数ながら、日本人としての美意識や音楽的伝統を基盤に、西洋音楽至上主義と戦ってきた作曲家や詩人たちがいた」として、民衆の心を動かし、慰めるメロディーを生み出してきた古賀政男、中山晋平、本居長世らの作品を検証する。クラシックは高尚で、ポピュラーは低俗といった思い込みを砕き、日本人のクラシック音楽コンプレックスを払拭し、自国の音楽の魅力を再確認させてくれる。