社会福祉士の実習報告会に参加して
社会福祉士のスクーリングで書いたレポートです。私はコロナで実習に参加することができなかったので、その代替として実習経験者による報告会をお聞きした感想をまとめました。
ちなみに、その後、無事に社会福祉士の国家試験に合格したことを、ここに併せてご報告いたします。
坂本
「実習報告会に参加して」
残念なことに、現状では社会福祉士という職種の一般的な認知度はそう高くないようだ。社会福祉士の国家資格の取得を目指していると話すと、多くの人は首を傾げ、「それってどんな資格?」と聞いてくる。更に残念なことに、国家試験を5ヶ月後に控えた身でありながら、私はその無邪気な質問に対して簡潔な答えを返すことが出来ずにいる。「英語ではソーシャルワーカーと言って、医療や学校、更生保護などの幅広い福祉の現場においてソーシャルワークを実践する人が取得することを奨められている資格だ」というようなことを、モゴモゴと口ごもるのが毎回の関の山だ。
社会福祉士という職種を一言で説明することが難しい理由の一端は、複雑化・深刻化するクライエントの生活課題に対して、総合的かつ包括的な援助を提供しようと志すジェネラリスト・アプローチにあるように思う。児童、高齢者、障害者などの特定領域に細分化するのではなく、それらに通底するソーシャルワークの共通基盤を重視しようとするこのアプローチは、実際に現場で発生している状況に対する優れて現実的な反応であったが、ニクラス・ルーマンのいう機能的分化が高度に発達した現代の日本社会においては、説明の難しさという逆機能を我々にもたらした。
今日、各人の実習報告を聞いて私が感じたことは、しかし、ソーシャルワークのジェネラリスト・アプローチには、そのような逆機能を大きく凌駕する順機能が備わっているということだった。
例えば、ある実習生の印象に強く残っている、療養型病院に入院している50代男性の事例を取り上げよう。この男性は思いがけず病いを得て車椅子での生活が余儀なくされ就労を継続出来なかったために、入院費の支払いすら滞るような状況に追い込まれてしまった。現在、消費者金融に約100万円の借金も抱えている。このケースを担当した病院の MSWは、男性とともに弁護士との自己破産の手続きに立ち会い、生活保護や身体障害者手帳の交付申請を進め、男性の新しい生活の再建に効果的にサポートしたという。多岐にわたる煩雑な手続きに伴走してくれる人がそこにいたということが、どれほどその男性を勇気づけたことだろうか。
あるいは別の実習生が共有してくれた、身体機能にはなんら問題がないが重度の認知症を抱えて特養に入居しているご高齢の女性のケースに着目したい。実習生は、ほとんど言語でのコミュニケーションが取れないこの女性について、娘さんが面会に来るとシャキッと嬉しそうになる、同じテーブルの人が亡くなったときはずっと体育座りをして寂しそうだったと、実習中に観察した様子を話してくれた。その何げない描写に溢れている実習生の視線の温かさに、私は心を打たれた。また別の実習生は、利用者とコミュニケーションを取ってくるようにと実習指導者に言われたが、くつろいでいる利用者にいきなり話しかけることが出来ず、隣りに座ってテレビを一緒に見ながら話のきっかけを探ったという。その細やかな心遣いにも、私は優しさと思いやりを感じた。これらの視線や心遣いはおそらく、利用者と同じ一人の生活者としてそこにいることが認められる社会福祉士のジェネラリスト・アプローチが、指導者と実習者の双方に共有されているからこそ実現し得たことではなかろうか。
一方で、各人の実習報告は、いくつかの課題を浮き上がらせてもいた。例えば、同一敷地内にいても障害者と高齢者は年に数回の行事の際にしか交わらないという現状や、「歩く練習がしたい」と訴える100歳を超えた女性を転倒防止の観点から諌める職員などが、それにあたろう。人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指す社会福祉士の立ち位置からは、高齢者施設の入所者に対する外出の禁止や、下剤の利用による排泄時間のコントロールなども、容易に看過することのできない課題が感知される。福祉現場における職員の質と量の確保が現実的に非常に困難であるという施設側の運営上の課題を、経常的に利用者に転嫁していないかについての自己検証が求められるところである。
今一度、社会福祉士が目指すソーシャルワークのグローバル定義を振り返る。
「人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人々のエンパワメントと解放を促していく。」
この定義が決して机上の空論などではなく、様々な福祉の現場で働く生身の人々によって日々実践されているのだと様々なエピソードから感じることができたのが、実習報告を聞いての私にとっての最大の成果だった。忙しい業務の中でも、一人ひとりの利用者の望みを把握し実現しようとする人々がいる限り、1948年の世界人権宣言や、2000年の国際ソーシャルワーカー連盟の総会におけるソーシャルワークの定義の採択は、徒労には終わらない。現在発生している課題は、ただ、我々が未だ理想の実現に向けた旅の途上にあることを意味するのみだ。
近い将来、私もこの栄えあるグループの一員に仲間入りすることを目指して、これから5ヶ月の試験勉強に頑張りたい。