「アイム・ユアーズ」コメントビデオ日本語訳:「アイム・ユアーズ」は子供向けの曲になると思っていた
2/11に初めてのラヴ・ソング集『ラララ・ラヴ・ソングス』をリリースすることを発表したジェイソン・ムラーズ。これを記念して、2008年の大ヒット曲、「アイム・ユアーズ」について自ら振り返ったムービーが公開となりました。ここではその日本語訳を紹介します。
「アイム・ユアーズ」はとても気持ちいい。
演奏していて飽きないし、自分のことのように感じられるから。
2004年の夏、「Mr.A-Z」のレコーディングの時に書いたんだ。
あっという間に、とても楽しく書いた曲で、いつか子供向けのレコードを作るために保存しておこうと思ったんだ。
童謡のようなものだと考えていたから。
なぜそうなのかはわからないけど、原色のまま書かれているからだと思う。
もともとラヴ・ソングとして書かれたものではなくて、歌うことの喜びを歌ったものなんだ。
目を閉じて、偉大なる未知なる世界に向かって歌うんだ。
より高い力に向かって「私を楽器にしてください。私はあなたのものです 」と。
僕は実際にはエレキギターを弾いていたんだ、多くの人は僕がどこかの島でウクレレでこの曲を書いたと思っている。
でも、僕は家にいたんだ。その前の月にジャマイカとハワイを訪れていたから、島から影響を受けていた。
そして、ボブ・マーリーのコードで一気に、芸術的な自分のあふれ出る創造性に身を委ねていたんだ。
そして幸運なことに、それをそのまま書き留めた。
僕はこの曲に心をくすぐられた。
でも、"Mr.A-Z "に入れるほどではなかったんだ。
ただ、この曲は愛らしいと思いながら、脇に置いておいたんだ。
そして2005年、この曲をライヴで演奏するようになり、『Mr.A-Z』が発売されてツアーに出るようになり、MySpaceのページに短い「アイム・ユアーズ」のデモを載せたんだ。
それがきっかけで、世界中とつながるようになったんだ。
そして2007年、『ウィ・シング。ウィ・ダンス。ウィ・スティール・シングス。』を作っていた頃、「アイム・ユアーズ」によりどころが必要なのは明らかだった。
誕生日が必要だった。
だから、そのアルバムのために、オリジナルのデモをなぞることに全力を尽くして録音したんだ。
それはちょっとしたラヴ・ソングになった...
2004年のある夏の午後に、その姿を現して
2008年にリリースしたところ、まさに月に到達したようだよ。それからずっと僕の心をくすぐり、楽しませてくれている。
そう、鏡で自分の舌をチェックしたことは何度もありるよ。
なぜそんなことをするのかわからないけど、それが僕の歌になったんだ。
この曲は、手放すこと、自分の邪魔をしないようにすることを歌っている。
僕が何かを作りながら
何かを歌いながら
身の程をわきまえながら
究極の降伏についてなんだ。
この詩では、虚栄心とは僕の邪魔をするもの、誰かの邪魔をするものと言っている。
僕は大丈夫に見える?
全部大丈夫?
僕のシャツは大丈夫?
髪型は?
この詩はそんなかんじ。
僕は自分自身をあまりにも長い間見つめすぎていた。
今こそ虚栄心を捨て、流れに身を任せ、今の季節に身を任せよう。
この曲は、僕自身の南部の言葉から生まれた。
2番目のヴァースでは、こうだ。
"愛されることは神に見捨てられた我々の権利だ"
変な話だけどね。
"私たちには愛される権利がある"と言っているようで、ほとんどののしっているようなもので。
神に見捨てられた権利ってどういう意味なのかもよくわかってないのに。
でも、このフレーズが僕の口癖になってしまっているんだ。
だから、他のソングライターがこの曲をカバーするのを聞くと、戸惑うんだ。
なぜなら、この曲は僕のボキャブラリーの中に深く浸透しているからね。
ある意味、この曲は僕にある種の表現を与えた、あるいは僕に、個人的な曲であればあるほど、実は普遍的なものになり得ると証明したようなものなんだ。
だって、個人的な歌を通して、人間性が本当に語られるからね。