俳句の作り方 作句のコツ
https://jphaiku.jp/how/index.html 【俳句の作り方 作句のコツ 】より
わかりやすい句を目指す
俳句は読んですぐに意味のわかる、わかりやすい句を目指した方が良いです。
高浜虚子は「平明にして余韻のある句」が良いと説きました。
彼は、朝日新聞に掲載された『虚子俳話』最終章「平明」で、世界、社会、家庭、人、言葉、文学、俳句と列挙して、それらすべてについて「平明は好き晦渋(難解)は嫌い」と語りました。
平明とは、わかりやすくはっきりしていることです。
江戸時代に作られた松尾芭蕉の句が現代になっても意味が通じ、私たちに深い感銘を与えてくれるのは、彼の句が平明だからです。
荒海や佐渡によこたふ天河
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
これらの句は、一読しただけで内容がわかり、かつ余韻のある、まさに高浜虚子が理想とした句と言えるでしょう。
流れ行く大根の葉の早さかな
こちらは高浜虚子の句です。
大根という季語から冬であることがわかります。
冬の清冽な水の流れと、その上流で大根を洗う誰かの生活をうかがわせる句です。
内容はいたって平明なものですが、世界の広がりを感じさせるまさに名句と言えます。
一読しただけでは意味がわからず、何度か読んで良さが伝わるような句もありますが、難解な句は読者を選ぶために、失敗する可能性が高いです。下手をすると、まったく意味が伝わらないということも有り得ます。
特に現代人は忙しく、たくさんの娯楽や刺激に囲まれていますから、一読して意味が伝わらなかった場合、何度も句を咀嚼してくれるとは限りません。一読してサヨナラされる可能性の方が高いでしょう。
また、文化勲章受賞者である俳人・有馬朗人は、『NHKテレビテキスト NHK俳句2012年4月号p20 有馬朗人の添削コーナー』で、次のように述べています。
回りくどい表現や言葉であると思ったり、文法的に不確かと感じた時は、良く知っている平易な言い回しや、平明な言葉を用いて作りなおしてみることも一法です。
NHK俳句2012年4月号 有馬朗人
NHK俳句によると、投句作品のミスとして、格好つけて良く知らない文語体の言葉を使ったら、それが文法的に間違っていたというケースが驚くほど多いようです。
このようなミスを犯さないためにも、平明な俳句を心がけた方が良いのですね。
●勝田哲さんのコメント2014/09/14
HK俳句や新聞の俳句投稿を見ても、分かりにくい言葉や漢字が多用され、この世界の人たちだけの自己満足の世界のような気がします。俳句を始めたいと思っていた私に二の足を踏ませるのに十分な難解さでした。「五月雨や大河を前に家二軒」「夏草や機関車の車輪来て止まる」こういう分かりやすい俳句はまるで素人のような感覚でしょうか。
お笑いと同じで、説明しなければ分からないような洒落(俳句)は無価値と思います。
俳句は写生
俳句は物や風景をよく観察して、そのありさまを絵のように17文字の中に写し取る文芸だとも言われます。
このような俳句の作り方を「写生」と呼びます。
写生の手法を確立させたのは正岡子規ですが、松尾芭蕉はすでにその先駆けとも言える作品を多数残しております。
例えば、こちらの名句です。
五月雨をあつめて早し最上川
松尾芭蕉
意味は、「五月雨(梅雨の雨)を流域すべてで飲み込んで増水した最上川の流れは、なんとも早くすさまじいことよ」といったものです。
作者の見たまま、感じたままの光景をそのまま表現しています。
しかし、ただ、「増水した最上川の流れがスゴイ」と詠むのではなく、「五月雨をあつめて」という表現を選んだこと、その着眼点から、作者の心の動きや性格が透けて見えます。
芭蕉の弟子である服部土芳はその著書『三冊子』の中で
「見るにつけ、聞くにつけ、作者の感じるままを句に作るところは、すなわち俳諧の誠である」
三冊子・服部土芳
と、芭蕉の教えを残しています。
見たままを作者の言葉で表現するという、正岡子規の写生手法の先駆けとも言える教えです。
俳人、後藤比奈夫は、その著書『今日の俳句入門』で、
「客観写生」とは心で作って心を消すこと
今日の俳句入門・後藤比奈夫
と述べています。
難しいですが、要するに、作意が透けて見えてはいけない、自然のありままをもっとも適した言葉で表現するのが良い、そのために作意の痕跡を消せ、ということです。
作意を消しても、そこはかとなく、作者の心の動きが見えるような句が名句となるのです。