俳人のバイオクリマ
https://www.bioweather.net/column/essay4/bw00.htm 【新年にあたって】より
はじめに
連続エッセイ『温暖化と生きる』は昨年12月に51回目をもって一応終了した。今年1月からは『暮らしの中のバイオクリマ』と題して書きたい。読者の方々から、これまでと同様、貴重なご意見をいただければ幸いである。
暮らしとは何か
暮らしとは何か。。。。難しい定義をここで述べるつもりはない。しかし、2011年3月11日、東日本大震災が起こって、人びとの暮らしが、直接の被災地ではもちろんのこと、遠いところの人びとも心を痛め、救援活動をしたり、さまざまの面で平常でない事態となった。
暮らしとは、日常の生活であって、平凡ではあっても平和な毎日の繰り返し、その連続である。生まれてから死ぬまでの生活のありようである。かつて、第2次大戦の末期頃、私はまだ20歳前であったが、当時の先生のひとりが、「平和な暮らしとはどんな暮らしですか」という学生の問いに、「“明日の朝まで俺は確かに生きている”と思って寝られる生活だ」と答えた。今、思うに、これは名回答である。当時東京は毎晩のように空襲があり、焼夷弾で焼け死ぬかもしれない、爆弾で吹き飛ばされるかもしれない、明日の朝のことはわからないという状況であった。暮れも正月も無かった。このような状況下で夜床に入るのは日常の暮らしと言えない。
余震は9ヶ月たって少なくなってきたようではあるが、仮住まいの生活、避難先の生活、失った家族を思いながらの生活は、寒さの折から大変であろう。これを歴史的な時間スケールでみれば、日本人の暮らしの一様相とはいえようが、このような震災の経験をしない人のほうが圧倒的に多い。
このエッセイでは、“平常な暮らし”の他に、自然災害に起因する“異常事態のもとでの暮らし”も取り上げたいと考えている。ごく普通の人間社会の中での暮らし、民俗行事としての暮らし、病気や健康と暮らし、住まいと暮らしなど、可能な限り多方面の分野から見た人びとの暮らしを考えてみたい。
バイオクリマとは何か
次に、「バイオクリマとは何か」少しふれておきたい。われわれはバイオクリマ研究会を母体として活動している。今さら、バイオクリマの定義をここでするのは筆者としては気が進まないが、バイオクリマという語は世の中ではまだまだ市民権を得ているとは言えない。このエッセイの初めての読者のためにも、ここでおさらいをしておく。
バイオとは生物のことである。例えば、バイオロジー(Biology)とは生物学、バイオスフェア(Biosphere)とは生物圏のことである。生物とは植物・動物でもちろん人間も含まれている。クリマとはクライメイト(Climate、英語)、クリマ(Climat、フランス語)、クリマ(Klima、ドイツ語)のことである。日本語では気候と訳す。
気候と気象を混同する人が多いが、気候とは1年を周期とする長い期間の大気現象である。半年、1年、2年、数年、数十年、歴史時代・考古時代、地質時代のような長い期間の大気現象である。地球温暖化などは気候現象の代表的なものである。季節も代表的な気候現象で、寒冬か暖冬かなども気候の問題である。一方、気象は短時間の大気現象である。1時間、1日などの大気現象で、天気(狭義では、晴れ、曇りなど、空の状態をいう。広義では気温・気圧などあらゆる要素を含む)と同じである。今日・明日などの大気現象は気象・天気である。気象と気候の中間(5日から半月位)の大気現象を天候と言う。
しかし、その境は必ずしも明確ではない。バイオクリマ研究会の研究者・関係者・会員などの実質的な母体は日本生気象学会で、ここがバイオクリマ(生気候)研究の日本における中心である。具体的にいうと、例えば熱中症は夏の高温・多湿の気象状態のときに発生し、今日、バイオクリマの最大の問題である。はなはだ、ややっこしい。気象病・季節病・気候病とはっきり区別できればよいのだが。
お正月料理
お正月には、“お雑煮か、ぜんざいか”、あるいは、“餅は四角か、丸いか”など、食物文化の話題は民俗学の課題でもある。魚は焼くか、佃煮か。肉は牛か、豚か、鳥か。野菜は何を欠かせないか、など、日本各地でさまざまな風習があり、また家庭によっても差がある。「冷蔵庫のない時代の保存食の一形態よ」では済まされないのが正月料理のバイオクリマの見方である。
なぜ、黒豆なのか、ハス(蓮根)なのか、くわいなのか。正月に際して、“一年の計”とする単なる語呂合わせではなく、語呂を合わせた“諺”として、食品栄養を通じた健康維持、地方生産物の消費拡大などの目的を達した結果と言いたい。通婚圏が全国的に拡大してきて、家族(両親)の出身地が複雑になってきても、そうして、食品の流通が全国的になり、また、生活スタイルが変化してきたとは言え、正月料理になお地方色があることは、やはりバイオクリマの重要性を示す好例である。
https://www.bioweather.net/column/essay4/bw11.htm 【夏の北国 ― 俳人のバイオクリマ】より
北国俳句歳時記
私事になって恐縮だが、私は東京で生まれ、小学校以来東京で学生生活を経た。しかし、墓は石川県の金沢市にあるので、時々墓参りに行く。10日ほど前にも、日帰りで墓参りに行った。その帰り、小松空港で売店の本棚の隅に『北国俳句歳時記』(北国新聞社、2003)を見つけた。内容は603ページ、さらに索引が74ページもある大冊である。定価は8400円と安くはないし、目方もある。持ち帰るには、老人の身にはこたえる。欲しくはあるが、買うべきか、どうしようか、しばし悩んだが思いきって購入した。
機内でページをめくっている間に、“買ってよかった”と強く感じた。刊行されて10年近くも経つが、どうしてあの本棚にこれがあったのか、地元出版社コーナーを持つ本の売店でもないのに。あれこれ、瞑想にふけった。
とにかく、内容は素晴らしい。明治36年(1903年)以来、北国新聞の「北国俳壇」に掲載された約13万句から約1万5千句を選んで例句としてあげている。百年に渡る作品を収録したことにより、今日ではあまり見られなくなった風俗や風習を詠んだ句もある。
俳句は、俳句そのものから情感を受け取り、鑑賞すればよいのであって、それを詠った俳人のバイオクリマまで解析するのは邪道だという説もあろうかとは思う。例えば、ロシアの偉大なる作曲家チャィコフスキーは慢性胃炎で苦しんでいたという。その事と、交響曲『悲壮』の音楽史上における価値判断とは無関係とするか、関係あるとするかは、意見の分かれるところであろう。日本では明治・大正・昭和初期の多くの文芸作家が貧困・病苦と闘いながら創作活動を行った。私の考えでは、作家の生活環境は創作された作品に反映・影響している。“ハングリー精神”は作家活動と関係あり、“ハングリー精神”の源にはバイオクリマが関連を保っていると思う。悪環境の効果がプラスかマイナスか、直線的が曲線的かなど、簡単ではない。また、逆に、過剰な作家活動がバイオクリマを悪化させる場合もあろう。それを分析するのは、評論に貢献する科学の役割であろう。
私はあえて、俳人のバイオクリマについてそれを試みたい。今回は夏について述べる。
季節と季語
日本人は季節を感じることが鋭く、季節観は細やかであると言われる。俳句の季語がその最たるものである。四季の変化を感じ取り、素早く反応するのは日本人の特徴だとされる。
6月は夏の始まりである。1年を4季に分ける場合は6・7・8月を夏とする。温帯に住むわれわれは常識的にと言うか、これにあまり疑いを持たない。しかし、地球上どこでもそうではなく、熱帯では6月になって特に暑くなったりしないので、熱帯に住む人たちは季節の変化を感じない。
高緯度地方では、冬と夏しかないと言っても過言ではなく、春と秋は短い。日本は細長い南北に延びる島国である。気候は、沖縄では亜熱帯気候である一方、北海道や本州の北日本の山地では亜寒帯気候である。四季の長さもかなり異なる。北国の夏はその点に特色があり、興味ある地方色を生み出す。
季語にも当然北国の特色がある。もちろん中央日本・西南日本などと共通した季語がほとんどだが、同じ季語でも捉え方に差がある場合もある。以下に、その特色を考えたい。
北国における夏の季語の特色
『北国俳句歳時記』の季語は、春・夏・秋・冬・新年に分けて、それぞれ時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物の七分野に分類されている。夏の特徴を捉えるため、どの分野がどの季節に多いか(表1)にまとめた。
(表1)季語分野の季節別出現数*
時候 天文 地理 生活 行事 動物 植物
春 35 35 21 85 44 58 137
夏 28 31 16 175 23 78 155
秋 38 37 12 64 29 44 132
冬 38 35 18 157 36 44 58
新年 16 8 2 71 27 4 5
*『北国俳句歳時記』により吉野作表
生活の分野に分類される季語が夏に最多であろうとは、実は、私はこの表を作るまで想像していなかった。これほど明らかに北国の夏が生活に密着し、季語として豊富であることを知らなかった。北国だから冬も多いが、冬よりも夏が際立って多いことは、北国に暮らす人たちの夏のバイオクリマの重要性を物語っている。
また、北国の夏には植物に関する季語が四季の内でもっとも多い。差は植物ほどではないが動物も夏に最も多い。生物の活動の季節がよく反映している。
「田打ち」と「代掻き」・「田植え」
「田打ち」とは、「代掻き」の準備作業で、北国では雪が解け、気温が上がってくるとおこなう。田の土を起こして柔らかくし、肥料をまき、十分に柔らかくする。「田打ち」は春の季語である。その後、水を張り田の表面を掻きならす。これを「代掻き」という。「代掻き」は夏の季語であるところが重要である。そうして「田植え」を待つ。昔は人の手でおこなったので、牛馬の力を借りても大変な労動であった。
遅れ居る梅に田打ちも遅れけり (藤沢木曜子、1975年5月16日、北国新聞)
1975年の冬は典型的なラニーニャ年で、冬型気圧配置の出現頻度も多く、低温であった。春の到来が遅れ、梅の開花も遅れた。この情景を捉えた句である。
ところが、「代掻き」・「田植え」は夏の季語である。昔は地域の人たち、親戚・家族が総出で、1枚ごとに一線に並んで苗を挿し、田植えをした。大変な作業であったが、にぎやかでもあり、稲作社会の大行事であった。田植え作業にも機械が次第に導入された。
加賀平野機械田植えもまじりけり (奈良さとし、1972年7月4日、北国新聞)
40年前ころの加賀平野の状況で、このころから田植え作業の機械化が急速に進んだ。また別の角度、すなわち、農民の側からの句として、
療養の窓に吾が田の田植え見ゆ (河崎初雄、1957年11月18日、北国新聞)
田植え行事に参加できない自分の健康状態の認識と、農民としての責任感・安堵感とが交錯し凝縮している。さらに、最近になると、
機械にて一人ぼっちの田植えかな (中村俊雄、1994年6月23ひ、北国新聞)
昔の事を考えると喜んでよいのか。孤独は現代の裏返しなのか。心の持ちようの転換も迫られる。バイオクリマの出番であろう。
(写真1)(写真2)は今年の岩手県雫石町における春から夏への推移である。
(写真1)「田打ち」前の水田と駒ケ岳の雪形。(吉野撮影。禁転載)
(上)駒の頭と前脚のほんの1部が現れる。全体は2012年冬が豪雪で、3~4月まで低温であったので、積雪で真っ白。手前の水田は雪が解けたままの状態で「田打ち」まえ、背後の草地は緑になっていない。2012年4月21日。
(下)8日後、駒の胴体が明らかになる。草地は緑になり、手前の水田は「田打ち」(春の季語)は終わって、「代掻き」(夏の季語)をする直前。4月29日。
(写真2)機械作業の「代掻き」と「田植え」の済んだ水田。夏の季語になる風景。(吉野撮影。禁転載)
(上)機械でアッと思う間に「代掻き」は終わる。普通は3回行われる。
(下)「田植え」は完了。駒ヶ岳の駒の胴体は黒く明らかになる。2012年5月6日。
2012年の冬は非常な豪雪で、しかも3月に至るまで低温であった。「田打ち」から「田植え」への変化は極めて明瞭であった。言いかえれば、春から夏への推移は1週間くらいの内におこなわれた。「田打ち」と山の残雪模様(雪形)によって春から夏へ、最近の労働環境の状態も理解できよう。このようなバイオクリマの観点からみた“季節現象の推移”については、雑誌『地球環境』(国際地球環境研究財団発行)の特集号(2012年5月刊行)を参照していただければ幸いである。