「宇田川源流」 北朝鮮拉致被害者であったジェイキンス氏が就職した佐渡金山の世界遺産登録がが韓国によって妨害されている
「宇田川源流」 北朝鮮拉致被害者であったジェイキンス氏が就職した佐渡金山の世界遺産登録がが韓国によって妨害されている
韓国と日本との関係ということをまずは考えなければならない。政治家として国を率いる以上、それは、単なる一議員(つまり立法府の代議員)であっても当然の事であり、大臣、特に総理大臣として行政を預かる、三権分立の行政(内閣)を司る人々においては、なおさらそのようなことはしっかりと学ばなければならない。それは官僚であっても同じことであり、特に教育や外交を担当する官僚は、当然にそのことに関してしっかりと学ばなければならない。
さて、日本と「朝鮮半島の国家」ということに関してどのように考えているのであろうか。日本は、なぜか「自国の歴史」でありながら、大東亜戦争(第二次世界大戦、太平洋戦争など様々な言い方があるが、昭和15年(1940年)に第二次近衛文麿内閣において「大東亜」という単語を使って基本国策要綱が策定され、昭和16年12月12日(1941年)に、東条秀樹内閣によって、「大東亜戦争」というように呼称すると帝国議会で決定された戦争名である。昭和20年12月15日にGHQによって日本政府に対する覚書「國家神道、神社神道ニ對スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ關スル件」(いわゆる「神道指令」)は発せられ、その中に「『大東亜戦争』および『八紘一宇』などの、国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉」の使用を公文書において禁止することが指令されたのである。なお、この指令を受けて、日本の公式な文書は「今次戦争」「先の大戦」「第二次世界大戦」という呼称にしている。ただし、昭和30年(1955年)の内閣官房編纂『内閣制度七十年史』では「大東亜戦争」の語を用い、衆議院・参議院共同編纂『議会制度七十年史』(1960年~1961年)では、「大東亜戦争・太平洋戦争」の語を並列で用いており、また昭和44年(1969年)之『外務省百年』の中では、大東亜戦争の名称を用いている。一応覚書となっているので、政府が「約束を守る」ということでそのように呼称することはなんとなくわかるのであるが、民間まで帝国議会の決定を否定するのはいかがなものであろうか。
当然に朝鮮半島に存在する国家(政府)に関しても同じで、そもそも明治43年(1910年)に行われた「日韓併合」は、何故「朝鮮」出なかったのか。そして日韓の「韓」の国名は当時いったい何という国家であったのか、そのことを加味したうえでしっかりと物事を考えられる人はいるのであろうか。
「韓国の反発がある中で…」佐渡金山“世界遺産”見送りへ 地元では落胆の声
新潟県や佐渡市が世界文化遺産への登録を目指している「佐渡島の金山」をめぐって、韓国が「朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所」などと主張し、反発している。
こうした状況に政府関係者は「韓国からの反発で登録を申請しても通すのは難しい。他の国から同意を得る地ならしもできておらず、実現の可能性は低い」と話す。政府は推薦の見送りを来週にも正式決定するとみられている。
地元の人たちからは「残念です、期待していたのに」「日本国として(外交的に)ちょっと弱腰すぎる」などの声が寄せられている。
一方で、自民党の保守系議員らは「推薦すべき」と強く求めている。安倍晋三元総理大臣は「論戦を避ける形で、登録を申請しないということは間違っていると思う」とコメント。
ユネスコは去年、「南京大虐殺の文書」の世界記憶遺産登録を巡って、関係国の合意がなければ審査に入らないとする制度を導入。世界遺産の審査にこの制度はないが、日本が主導して作った経緯があり、韓国の反発がある中で推薦すれば、国際的な信用を失う可能性があるとして、見送りの判断をするものとみられている。(『ABEMAヒルズ』より)
2022年1月22日 14時0分 ABEMA TIMES
https://news.livedoor.com/article/detail/21551492/
さて、今回佐渡金山を日本政府がユネスコの世界遺産に登録する動きに対して、韓国が、令によって「強制労働」などと言い始め、日本政府ふが登録推薦を見送るということになっている。ちなみに言えば、安倍内閣の時は、軍艦島などを含めそのような妨害に関係なく推薦をしているのである。
さて、佐渡金山といえば、上杉謙信の時代から金を産出していた場所であり、江戸時代などを通じて金の産出が継続していた。その金の「水揚げ」があることから、新潟港葉、「天領」であったわけであり、天領であったからこそ幕末にオランダの商人エドワード・スネルが庄内藩など佐幕派各藩に武器を貿易する根拠港となった。
そして私の経験も含めて話をすれば、拉致被害者の曽我ひとみさんの御主人であるジェイキンス氏が日本に戻ってきてから就職したのが、佐渡金山の案内人であった。もちろん、当時は既に金の採掘は行っていなかったので、佐渡金山観光に関する案内人であり、少なくとも韓国の指摘する「強制労働」とは異なる内容である。逆に言えば、ジェイキンス氏が案内するということができるくらい、問題のない場所である。
さて「石炭」と「金」の鉱山の違いは何か。単純に、「金」というのは、それを単独で持って行っても金銭的価値がある。石炭は、当然に価値があるが、一つのかけらをもって言っても価値が少ないものである。そのために、古くは伊豆土肥の金山は「罪人の採掘場所」となていた。これは「強制労働をさせる」ということではなく「金を盗み、私腹を肥やすことのできないように生活まで管理をするため」である。それでも金を盗むものが出てきてしまう。それも、採掘した金鉱石を分類する女性が、身体検査が甘いことから懐などに入れて盗むことから、「ネコババ」という言葉の語源となっているのである。
佐渡の場合は、当然に島であることからそこにいる人々は信用されていた。つまり、ネコババが少ないということになっていた。そのうえ、山形庄内の「本間家」の本家が商業を行っていて北前船の根拠港になっていたことから、裕福であったとされる。歴史などを見れば「強制労働」などは存在せず「ネコババをしない信用のあった人だけが金山に入ることができる」ということであり、もしも韓国の主張しているように「1400人の韓国人が就労していた」ということは、「1400人の信用されていた韓国人がいた」ということに他ならない。強制労働ではなく戦前の日韓友好のしるしであるということになる。
さて、そのような「佐渡金山」に関する歴史、特に「金鉱山」であることの特殊性を、文部科学省の役人たちが全く勉強していないということに他ならない。そのようなことで文部科学省の官僚が務まるのかはかなり大きな問題である。
現在の岸田内閣は、「弱気」であり、毅然とした態度でしっかりと対処することができない。今回の内容は、「何か抗議があれば、日本人の権利が制限されるにもかかわらず、政府はその日本人の権利を守ることができない」ということに他ならない。日本という国はそれでよいのであろうか。