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まだ語られていない物語は何ですか

「関わり過ぎる」という愛みたいな暴力

2017.11.08 13:29

俺の役目は、人のことを代わりにやってあげることではなく、その人がしたいことを自分でできるようになるように、寄り添うことです。


それにもかかわらず、頼まれてもいないことを勝手にやって、本人に「やってあげた」と贈りつけることが結構あります。


ありますというと知っていたみたいですが、素直に反応してくれた人に気付かされました。


それは愛じゃない、その人の可能性を削ぐ、暴力になりえます。


俺の場合、この「関わり過ぎ」という行為は、関係が近い/近くなりたいと思っている人にほど、起きる傾向があることを発見しました。


つまり、俺は、これまで、近くにいる、いて欲しい人たちこそ、傷つけまくってきたのかもしれません。


残念ながら、今となっては、たくさんの思い当たりがあります。


さらに言うと、こんなことを人に発信した記憶も蘇ってきます。


「暴力を振るう自分がいることに気付いたんだよ。俺って最低。それで俺は落ち込んでるんだよ。」


そんな歪んだ表現は、俺自身のナルシシスティックな自己満足のためでしかありせん。



どのように関わるのがフェアで平和的なのでしょうか?




今のところ、俺がやってみているのはふたつです。


■ニーズに耳を澄ませる

「手をさしのべてあげる」のではなく、

きちんと、相手と自分のニーズを聴き合って、お互いに支え合えれば、いいですよね。


「助けて欲しい」

「愛したい、愛して欲しい。」


そこに、向かっていくのではなく


そこから、始めればいいですよね。


まずそこでつながって、

そのために、私たちは一緒に何をしようか。


■伏せ目がちに深く信じる

これは、、言葉にするのが、難しいけれど、、


思い出されるのは、リストラティブ・サークルをホストしている時の、カール・ステヤートさんのartです。


対立を修復しようとする当事者たちの間にいる時のカールは、私の当時の走り書きによると、こんな感じでした。

目から光を落とす。


当事者に目線で助けを求められても、伏せ目のまま。


手はポケットに隠して、少し、うなだれるような姿勢で。


でも体は閉じていない。足は軽く組んで、自然に、斜め下へ流しておく。


ただ、本人たちの自力を深く信じて、そこに在り続ける。



(ただし、場が歪んだまま閉じそうだと感じた場合は、リフレーミングなど、より能動的な働きかけをしていました。)


これを参考に、このまえ、OSTの場をホストした時に、自分なりにやってみたところ、私がしたいことのためには、効果が高いみたいです。場のオーナーシップを、進行者から当事者へと移して、自力を高めるなどの効果があると感じました。


ただ、ホスティングに相当なMP(マジックポイント)使います。私は、次の日、1日起きられませんでした。。そのくらいの奥義です。




あなたの身近に、関わり過ぎ/関わられ過ぎ、という愛みたいな暴力はありませんか?

あなたは、それらと、どう関わりますか?