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【米大学の卒業生を集めて座談会・後編】それぞれのターニングポイント。思い描いていたのとはちょっと違う未来

2022.01.28 16:46

前回に引き続き、「米大学の卒業生を集めて座談会」のレポートをしていきます。前編では受験から大学生活までを振り返ってもらいましたが、今回の後編ではそれぞれの卒業後の夢、それを見つけたターニングポイントについて話を聞いてきました!


目次:


参加者プロフィール

ー名前、卒業校名、専攻、現在していること(2021年夏時点)

あむ(司会進行)

えりか(CA)

えりか(MS)

ゆめか

ななか


好きを見つけた、未来につながったターニングポイント


Q3. 大学生活で一番必死だった瞬間、もしくはこれはターニングポイントだったという出来事はなんでしたか?


えりか(CA):二つあって、 ひとつは一年生の時に、演劇と教育を掛け合わせた授業を受けて、その相性の良さに気付かされたとき。好きなこと、興味のあることって組み合わせられるんだ!と気がついた。この先、演劇の手法をつかった教育や育成をしたいと考えているけど、あの授業をきっかけに私はこういうことをやりたいというのが分かって、そして口にすることができるようになったなと思う。それが繋がっていき、今の会社にも出会えたので、自分にとって大きな経験だったよ。


もうひとつは、さっきも話をした、3ヶ月半で14カ国回ったという船旅の話。なかなかできる経験じゃないし、ガーナに行って日本の教育に取り入れたらいいなという教育方針を見たというような、自分の持っていたイメージがひっくり返る経験が多かった。


ゆめか:私はこれ!と選ぶのは難しいけど、一番必死だったのは総合大学への編入準備と、四年生の春学期に博士課程の受験で全部落ちたあとに、就活にシフトしたときかなと。


編入は、一年生の夏に総合大学のリサーチアシスタントをしたことをきっかけに考え始めた。当たり前だけれど、機械の数や研究室のお金のかけ方において、リベラルアーツとの違いを目の当たりにして。その時点ではまだ、編入に対しては足踏み状態だったのだけれど、二年の秋にプラハに留学した時に、精神系心理学には興味ないなという気づきがあった。そこで自分が心理学内の細分化されたどの分野に興味があるのかを意識するようになったかな。そこから社会心理学分野や認知脳科学、どんな教授がいるかなど具体的化されたものを検索するようになって、編入を決めて出願準備をしはじめた。


もう一つの必死だった瞬間として、博士課程の受験に落ちたあとにシフトした就活の話は、今振り返ると不思議なご縁で全て繋がっているのかなと思うんだけれど。私が三年で編入した先のUniversity of Pennsylvaniaに、とあるNGO出身の教授がいて。その教授はもう亡くなられたけれど、私はたまたまUniversity of Pennsylvaniaに編入して、結局巡り巡って卒業後にその教授がかつていたNGOで働いているので、不思議なご縁だなと。今振り返ると一連の動きが全てつながっているのかなと思います。


えりか(MS):私が考える人生のターニングポイントは二つあって、ひとつ目がカールトンで統計学の入門クラスをとったときで、「あ、これが私のやりたいことだ」と思った瞬間だった。小さい時から、例えば「なんでこの国はとうもろこしの生産量多いんだろう?こういう気候だからか」とかデータを見て考えることが好きで、今まで興味あったことと合致していました。


あ、これだ!と興味のある分野が見つかって、そこから将来について考える中で、二つ目のターニングポイント。二年の夏のインターンシップで、私がいたマーケティングのチームの隣にいた市場分析の分野に出会って、その消費者の行動分析というのがまさに自分のやりたいことを体現していた。だから、将来像が具体化できたその時が、2つ目のターニングポイントかな。


ななか:ターニングポイントかぁ。私はマウントホリヨークに入ったばかりの時に、ダンスオーディションに落ち続けて、隣の大学のハンプシャーのオーディションに行ったのね。そこでダンスの作品でなくて衣装制作の過程でダンサーを必要としている人がいて、参加することになって。


そのプロジェクトではこの衣装着て動いてみてとかだったけれど、その中であなた振り付けの才能あるよと言われて、そこで振り付けに興味を持ったタイミングがターニングポイントかなと思うね。ほかにももちろん色々あるけれどね笑

卒業!(写真:ゆめか)


自分を知ること。流されず、納得する道を選ぶこと。


Q4. では最後の質問です。もし卒業した今、目をキラキラさせた高校生に、海外の大学に行ってよかったこと・得たものを聞かれたら、どう答えますか?


ゆめか:すごいベタだけど、クリティカルシンキングかな。無意識に身についたものだけれど、教授の話聞くとか、文章を読む、ちゃんと反論してくれる友達と話すということの積み重ねがあった。何に関しても鵜呑みにしないというか。「こういう見方もあるよな、この人ならこう感じるだろうな」とか、批判的な見方を自然と持てるようになったかなとは思う。


あむ:あれだよね、批判っていうのは必ずしもネガティブというわけでなくて、違う立場からみてとかだよね。


ゆめか:そうそう。叩くとかそういうのじゃ全然なくて、いろんな見方をとるというか。例えば、かつてはBBC、CNNは正しいリソースだと思い込んでいた。でも今だと、記事読んでもこれはきっと受け取り手によっては違う見方をするよねと考えるようになった。よりセンシティブになったということかな。他にも代名詞とか、相手の呼び方を一つとっても色んな人がいるから気をつけようとか、そういう余裕が出てきた。(補足:She/Her、He/Hisだけでなくジェンダーニュートラルの代名詞としてThey/Theirが存在する。米大学では自身が周りに使ってもらいたい代名詞を自己紹介の際に添えることが多い。)


あむ:それは代名詞の話にしても、こういうものがありますと授業などを通して知識を得たのか、習慣的にこうやるんだと身についたのか、どうやって変わっていったと思う?


ゆめか:両方だと思う。カールトンでは特に大学として意識的に、自己紹介で自分の代名詞は何かを言うようになっていたり、周りにもthey/themを使う人もいたりしたから。私はアジアでしか育っていないし、直近は日本だし、最初は他人事というか、こういう世界もあるんだ、慣れることあるのかなと思った。でも慣れる、慣れないとかではなくて、受け入れていく必要があるんだなというのを身を持って実感したかな。


えりか(CA):私が大学で得たものは、自分をよく知れたこと、当たり前の道を進まなくても大丈夫と思えるようになったことの2つかな。


たぶん両方、出願の時から始まっていた。高校生の時にエッセイを書いたり、課外活動をしたりしたときから、自分はこれまでどんな経験をしてきたのか、何が好きで、なにが向かないのかを考えて、自分と向き合う時間が多かったのかなと思う。だからこそ、例えば「じゃあなんでその学校にしたの?」という質問にしても、ある程度理由があって、目標にもなっているというのは身についてよかった力で、今にも繋がっているかなと思う。自分がどういう人間か知っているからこそ、相手への接し方も変わったり、意見も言えるというのも感じているかな。


もうひとつの当たり前の道を進まなくても大丈夫と知れたというのも、海外大学進学の選択から始まり、大学でも各々が自分のことをやっているという環境に身を置けた。就活でも、海外大生に多いボスキャリではなくて、周りの大人に話してまわって決まったのね。そうやって、こんなやり方でもいいや、やりたいように生きていて大丈夫と思えるのは、出願に始まり、大学に通ったからだよなと思います。


ゆめか:それに付け足しみたいになるけど、「こうでなくてはいけない」に囚われなくていいのかなとは思うようになった。今振り返ってみると、自分で見立てた将来像にがんじがらめにされてた節があったかなと。もちろん無理をしなくちゃいけないときもあるけれど、ちょっと寄り道するくらいの余裕を持っていると、4年間いろんな選択肢から選ぶことができるかなと思う。


進路に関しても、ユーペン(University of Pennsylvania)にも日本の大学生のような就職ガチ勢というような人たちも多くて、そこに飲まれそうになったこともある。だから研究に携わる仕事をしたいと思いつつも、実際3年生でボスキャリに行ってみたけど、やっぱりここでは戦えないなと感じた。


そこから日本のいわゆる就活をすることは私はなかったけれど、日本の就活が悪いということでもなくて。そうして色々行ってみて、やってみて、考えてみて、一番納得のいく形で進めたらいいんじゃないかなと思います。


えりか(CA):周りに合わせるというのが日本の、少なくとも私の周りではあって、それに押しつぶされそうというのある...よね?


ゆめか:キャンパスにいると、体感的に感じることが多いと思った。ユーペンはカールトンと違って、スーツを着て大学の授業受けている人がいることとか、今日この企業がインタビューしていますとプラカードが貼られているとか。今はまあそういう選択肢があってもいいよなと思うし、なぜ自分は企業就職に抵抗を持っていのだろうかとも考え直したりもするけど。


えりか(CA):私がさっきひっかかった就活と言ったのも、「あなただから欲しい」より「この中だとあなたです」というような選び方が不思議で、自分には合わないと思ったからでもあるんだよね。まずみんなと同じに合わせるという空気から、王道ではない海外大学に進学して、就活でまた型に合わせるという点で逆戻り感してるなとも感じてたんだけど、みなさんどうだった?


あむ:私は日本の学生に混ざって、王道の日本の就活をしたのね。最初はリクルートスーツ一色で、同調することを求められていると感じて、居心地が悪かった。だから自由な服装でといわれた場では、それでもスーツを着たり、控えめな服を着る学生が多い中で、好きな服を着るといったような小さな抵抗をしたりもした。


でも終えて思うのは、そういう同調を望んでいる企業もいるけれど、そうでない企業もいるということ。応募者が1万人とかくるから、どうしても効率化を図るために型を揃えることを求めないといけない部分はあって。それでも企業によっては、よりパーソナルな質問をしたり、面接を面談・対話と呼んだり、その人自身を知ろうとするところもあったかな。きっと企業側のしたい就活と大学生のしたい就活のずれもあるのかもと感じて、誤解していたなと印象が変わった部分はある。

ミネソタの冬(写真:えりか)


思い描いていた未来とは違うこともあるし、それを受け入れられるようになった。


あむ:えりかちゃんも就活したんだっけ?


えりか(MS):私は就活惨敗で。もともとは卒業後に直接大学院行こうと思っていたけれど、コロナで授業をオンラインでとることはもったいないから、就活に切り替えました。滑り込みでやったからすごく納得のいく結果ではなかったけれど、私が4年間で学んだことのなかで「自分が幸せか。メンタルヘルス大切にしよう。」というのがあった。だから、就活を続けることもできたけれど、自分が幸せかを考えて、ご縁があった会社に行くことにした。今は一年働いてから修士に進むのもいいなと思っていて、自分が思い描いていた方向に行けなくても修正できるというのが大学の学びでもあり、就活の体験かな。


ゆめか:私も思うようにいかなかったことがほとんどで、それでも巡り巡っていく縁を大切にして、繋がっていくものがあるのかなと思います。焦らず、じっくり大学生活を送ってもいいと思うし。


私もずっと大学院に行くと思っていたけど、落ちてから就活に切り替えて。そこでよくある進路としてのリサーチアシスタントに応募して、それも惨敗して。結局は想像していた、研究室で働くという進路にはならなかったけれど、いずれ働きたいなと思っていたNGOで働くことになって、それもそれでいいかと囚われずに考えるようになった。


えりか(CA):そうだよね、最初の就職先が全てじゃないしね。うまくいかなかったからやばいというより、次なにか決まるまでという考え方でもいいのかなと思えてくるよね。


ゆめか:うんうん。


えりか(CA):ごめん、私がすごく卒業後の話題に話を逸らしてしまった気がするけれど。ありがとうみんな...。


あむ:いい話いっぱい聞けたよ笑。じゃあ4年間で得たこと、ななかちゃんにまとめてもらおうか?


ななか:まとめるの私?!えーと。私はこの4年間を通して、日本にいたときよりもいろんな立場の人たちへの理解が深まった気がするかな。例えばアメリカ人といってもいろいろな人がいて、文化があるし、多様性を知れたというのがよかった。ちょっと、高校生へのメッセージも伝えていい?


あむ:もちろん!


ななか:私が最近意識しているのが、知識というのはさまざまな使い方があると思うけれど、人に優しくするために使うのが一番いい使い方ということなんだよね。例えばさっきの、人の多様性に対する理解というのも、相手の事情を知って、優しくするために使うのがいいかなと最近思う。だからどこの大学に進学しても勉強はすることになると思うんだけれど、そのときに人に優しくするために使うというのを頭においておいてくれたらと。


あむ:素敵なメッセージだと思います。周りの友人を見ても、同じ4年間アメリカで学んでいても、そういう考えに行き着くんだなという人もいるし、同じ知識を学んでも使い方、使う使わないで大きく変わるよね。


さいごに(編集者より)

みなさん、今回の二部にわたる『米大学の卒業生を集めて座談会』はいかがでしたか。


この座談会の主催者である筆者はかつて高校時代に、アメリカの大学に通う先輩に「海外の大学に通ってよかったことは?」と聞いたことがあります。大学に三年通った今、もし同じ質問をされたら「色々なことが起こりすぎて、そんな単純明快な一文で答えられないよ!」と言いたくなります。それにもかかわらず、今回、夏に大学を卒業したシェアブロメンバーに「アメリカで四年過ごした振り返りを聞かせてほしい」とお願いをしました。


この四年間で経験したこと、感じたことの全てをこの場で語ることなどできない、そう部分的に切り取って語らざるを得ない状況に対する心地悪さを私も理解しています。今回参加してくれたメンバーの皆さんの中にも、実際にこのような感情を覚えた人もいたかもしれません。それにも関わらず、壮大なトピックを引っ提げて開催したこの座談会への参加を快く引き受けてくれた皆さんにとても感謝しています。


こうして最後に編集日記を書くことにしたのは、読者の皆さんに、この記事の中で話していること以外にもきっと、それぞれにたくさんの出来事があり、思ったことがあったということを伝えておきたいと思ったからです。


また、この記事の中で、高校時代に思い描いたキラキラの大学生活とは必ずしも同じではなかったということを赤裸々に話している部分がありますが、ここまで読んでくれた高校生の皆さんにはぜひ学部留学に対してワクワクしていてもらいたいと思います。(まだ筆者は卒業していませんが)アメリカでの生活は本当に山あり谷あり、学びありです。なんてエキサイティングなことでしょう...!


最後に、この座談会に参加してくれたメンバーが過去に書いた記事のリンクを貼っておきます。今回の振り返りでは踏み込むことはできなかった、その時々の出来事や感じたことをシェアしてくれています。ぜひ読んでみてください。


書きそびれたのですが、もう一組、この卒業生メンバーによる座談会を夏に開催しています。近々その二組目のレポート記事もアップする予定なので、楽しみに待っていてもらえるとうれしいです...!


2022/1/20 natsumi