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富士の高嶺から見渡せば

歴史戦・外交戦の幕は切って落とされた、攻勢あるのみ

2022.01.29 15:10

 歴史戦の幕は切って落とされた。 

卑怯で汚い韓国を相手に、歴史の真実を国際社会に向けて訴え、日本人の名誉を取り戻すための戦いであり、ウソで塗り固めた詐欺国家・韓国の欺瞞と陰謀を世界の人々の目の前に曝し、歴史のねつ造と隠蔽の実態を突きつける言論と学術発表、外交と国際世論づくり、海外広報活動の総力戦である。

 岸田首相は28日、「佐渡島の金山」のユネスコ世界遺産への登録推薦を閣議決定する方針を表明し、登録実現のために韓国の主張に反論し、国際社会に訴えるための省庁横断のタスクフォースを立ち上げる考えを示した。 

この直後、韓国外務省は「待っていました」とばかりにソウル駐在の相星大使を呼び出し、「ただちに中止するよう厳重に促す」という傲慢な要求を突きつけた。 中央日報によると、「韓国政府は2015年の日本の軍艦島(端島)などのユネスコ登録当時と同じく、ユネスコと関連国を対象に外交戦をする計画だ」として「外交戦」を宣戦布告した。

「外交部はイ・サンファ公共外交大使を団長に関係機関および専門家が参加する対応タスクフォース(TF)を28日に直ちに発足し、今後これを中心に資料分析だけでなく交渉、通知などで機関別の専門性を活用し、本格的に対応する」とし「7年前の日本の軍艦島など登録推進過程で得た経験を十分に活用し、今回の状況に合う現実的な戦略と段階的対応策を用意し、積極的に対処する」と述べた」という。 

中央日報1/29「韓国政府、佐渡金山の世界遺産推薦に「強い遺憾」…日本大使呼んで抗議」

彼らにとって「明治日本の産業革命遺産」のときに日本を騙し討ちにし「強制連行foreced labor」を認めさせた経験が大きな財産になっていることは間違いなく、今回も勝てるという自信を誇示している。 それなら、受けて立とうではないか。前回の轍は決して踏まない。 

▼韓国は強制連行の証拠を提示できない 

「加害行為」があったという訴えを認めるためには、具体的な「被害認定」が必要だ。そしてその被害の実態を証明し、証拠を提出すべきなのは、当然、「呼訴人」の側である。(「呼訴人」とは、セクハラを告発されて自殺した朴元淳前ソウル市長のセクハラ被害者の女性秘書に対し、与党「共に民主党」の議員が呼称した新造語で、つまり「被害者」ではなく、「ただ被害を訴えているだけの人」の意味だが、まさに今の韓国に当てはまる) 

佐渡島の金山にも端島炭鉱(軍艦島)にも朝鮮半島出身労働者の強制連行がなかったことは明らかであり、韓国人自らが、「強制連行」があったことを具体的に示す証拠となる過去の記録や文献を発掘し、それらを証拠として提示することはできていないし、当時を経験した生存者から直接の証言を記録する作業も行っていない。

それは「慰安婦」を自称する女性たちが、具体的に日本軍や官憲によって強制的に連行されたという証拠を提示できず、「性奴隷」として働かされたという実態を具体的に提示できないのと同じだ。国史教科書研究所の金柄憲所長の著書『赤い水曜日 ~30年間の慰安婦歪曲』(빨간 수요일 30년간외 위안부 왜곡)を韓国人はしっかり読むべきだ。

「強制連行」について韓国側が依拠するのは、1965年の日韓基本条約の締結に反対して朝鮮総連系の朝鮮大学校講師の朴慶植が書いた謀略本『朝鮮人強制連行の記録』か、それに類する広瀬貞三のような日本の左派系の研究者の論文しかない。 

むしろ当ブログでも何回も紹介したが、戦前、炭鉱で働いた朝鮮人労働者が当時の自分たちの姿を写した写真からも、作業の安全のためにキャップライトなど十分な装備と労働服が与えられ、がっしりとした体型からも栄養状態も行き届いていることがわかり、さらに実際の給与明細書からも、彼らが十分な給与や賞与を与えられていることがわかり、退職に際しては餞別金も贈られていることが分かる。さあ、これらのどこに「奴隷労働」だったという証拠があるのか。 

「強制連行」「奴隷労働」という言葉だけで、それを指し示す実態の証明や証言がない。韓国側がそう主張するのなら、それを具体的に証明する証拠や証言を提示することを要求しつづけよう。 

▼国際法に基づいた「強制労働」の定義 

さらに「強制労働」や「徴用」という言葉の定義を、国際法に照らして厳密にする必要がある。日本政府は、維新の党の馬場伸幸議員が提出した「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書に対し、去年4月27日に、以下のような政府答弁書を閣議決定している。 

「強制労働ニ関スル条約」(昭和七年)第二条において、「強制労働」とは、「処罰されるという脅威の下に強要されたり、自らの任意で申し出たのではない労務をいう」と規定されているが、「緊急の場合すなわち戦争の場合においては強要された労務には含まれない」とされていることから、「募集」、「官斡旋」及び「徴用」による労務については、いずれも同条約上の「強制労働」には該当しないものと考えており、これらを「強制労働」と表現することは、適切ではないと考えている」。 

衆議院 質問名「「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書」の経過情報> 

つまり、募集や官斡旋による動員は、脅されたり強要されたりしたものではなく、自らの任意で申し出た労働であり、「国家総動員法」第四条の規定に基づく「国民徴用令」による徴用は、「戦争の場合は強要された労働」には含まれないため、そもそも強制労働には該当しない、のである。 

▼韓国の世界遺産の多くは「強制労働の現場」だった 

ところで、世界遺産と強制労働の関係を考えたとき、「強制労働の現場」を世界遺産に登録することは許されない、という韓国の主張が仮に通った場合、多数の奴隷が強制的に働かされなければ建設できなかったはずの、中国の「万里の長城」やエジプトのピラミッドも世界遺産たりえないし、世界遺産の「オーストラリアの囚人遺跡群」はアボリジニーの強制移住そのものの現場だ。 

2007年に世界自然遺産として登録された「済州火山島と溶岩洞窟群」は1948年4月3日に起きた「済州島4.3事件」と呼ばれる騒乱事件をきっかけに、朝鮮戦争を挟んで1954年9月まで続く島民の虐殺事件の現場であり、NEWSWEEK誌によると、政府軍・警察の粛正によって島民の5人に1人に当たる6万人が虐殺され、済州島の村々の70%が焼き尽くされたといわれる。まさにキリングフィールドである。自然遺産とはいえ、そんな虐殺の現場が世界遺産に登録されていいのだろうか? 

<NEWSWEEK 2000/06/18 “Ghosts Of Cheju”> 

ソウルの朝鮮時代の宮殿のなかで唯一世界遺産に登録されている「昌徳宮と後苑(秘苑)」は、1505年、燕山君という国王が、1000人を収容できる宴会場「瑞葱臺」を建設させた現場で、「坐すべきは千人、高さ十許丈なり、名づけて瑞葱臺と曰い、臺前に大池を鑿つ。差員(=監督官)一百監督し、役軍(=徴用労働者)は数万なり。呼邪(=大勢で力をあわせる際のかけ声)の声、昼夜止まず、声は天地を震わす」(燕山君日記巻六一)とある。つまり数万の奴隷労働者が突貫工事で働かされ、労働者の悲鳴が昼夜を分かたず天地を震わせたというのである。 

ソウルの中心部は、かつて一周18・6キロの城郭・漢陽都城に囲まれていたが、この城郭は、李氏朝鮮を開いた初代国王李成桂が、今のソウル、当時の漢陽に首都を定めたとき、全国の農民20万人を動員して、たった100日で作らせたものだという。2015年に世界遺産に登録された「百済歴史遺跡」にも、同じように丘陵を利用して一周2.6キロの城郭を築いた熊津(ゆうしん)百済時代の首都「公山城」(忠清南道公州市)の跡がある。さらに同じく世界遺産の「水原華城」や「南漢山城」も同じように丘陵や山の頂上に作られた巨大な城郭のあとだが、いずれも大勢の奴隷労働者を働かせる必要があった巨大土木工事の跡だ。 

同じく世界遺産の「慶州歴史地区」と「朝鮮王陵」は、かつての新羅の首都、慶州市内に残る数百という古墳と、朝鮮王朝の歴代国王の陵墓40基を指定したものだが、同じように土を丸く盛った巨大な円墳は、怠惰な両班が自ら作るわけがなく、奴隷の手がなければできなかったことだ。つまり、朝鮮半島の歴史にとって、奴隷と奴隷労働の存在がなければ、何も成立せず、何も残らなかっただろう。だからといって、それらが持つ歴史的、文化的価値を否定し、切り捨てるつもりはさらさらない。 


▼歴史の隠ぺい・ねつ造にたけた民族 

佐渡金山が世界史のなかに残した歴史的な価値、世界の経済史・産業史の発展に残した偉大な功績を国際社会に向けて誠実に訴える一方で、韓国人たちがそうした価値を一方的に否定し、あったことをなかったことにする歴史の隠ぺい、なかったことをあったこととして歴史をねつ造する、その体質を世界の面前に晒すことも重要だ。 

その最たるものは、慰安婦問題であり、元徴用工たちの日本企業に対する賠償請求だ。そして日本固有の領土である竹島について、朝鮮時代はその位置さえ把握できず、自分たちの地図に表記もできなかったにもかかわらず、あつかましく歴史的にも国際法的にも自国の領土だったと主張する。それなら国際司法裁判所で決着をつけようという日本の提案にはいっさい応じようとしない。

旭日旗を戦犯旗だという不当なでっち上げは、ここ10年ほどの話だが、世界中から旭日のデザイン、放射状に広がるすべてのデザインを抹殺しようとしている。日本海を自分たちの国のなかで「東海」と呼ぶのは勝手だが、日本から見て北、または西の海を「東の海」と呼ばなければならない理由も義理もない。しかし彼らは、世界中の地図や教科書から「日本海」を消し去り「東海」を押しつけようとしている。 

最近では、中国との間でもこの種の呼称や起源論争を巻き起こしている。キムチと似た漬物は中国では「泡菜(パオツァイ)として昔からあり、それを中国人がわざわざ「キムチ」と言わなければならない義務はない。「韓服」(ハンボク)と呼ばれる衣裳は、明の時代の人々も同じような服を着ていたことは間違いなく、どちらがオリジナルか、などと争う必要はなく、それぞれの風土に応じて変化していった結果だと思えばいいことだ。

最近では、旧正月の英語表記がChinese New Year であることについて、旧正月を祝うのは中国だけではないと文句をつけ、Luner New Yearに変えるべきだと主張している。そんなに嫌なら使わなければいいだけで、他国に押しつける話ではない。 

いずれにしても、韓国は自分たちに都合の悪い歴史は徹底的に隠ぺいし、ねつ造する国民である。「漢江の奇跡」に民間借款を含めて日本の経済協力金8億ドルが使われたことは教科書ではいっさい触れられず、ハングルの新聞やハングルの教科書は日本人の手で最初に作られたという事実は徹底的に隠ぺいし、国立ハングル博物館という国の教育施設からもその事実は排除されている。 

▼産業近代化と無縁な奴隷社会 

そもそも韓国は日本併合まで、商業をはじめ、いかなる産業もなく、車一台が走れるまともな道路も1本もなかった国である。近代の産業革命とはいかなるものであり、労働の価値や資本の価値とは何かも分かっていなかった韓国の人々に「佐渡島の金山」の本当の価値、世界史に残した功績が理解できるはずがない。 

そもそも李氏朝鮮の時代に政治や社会を牛耳った両班(ヤンバン)という貴族階級は、自ら汗を流して労働することを極端に忌避し、人口の半数から多いときには80%を占めた奴隷階級、白丁・奴婢と呼ばれる人々を奴隷労働に駆り立て、その労働の成果を徹底的に搾取し、奪いとることしかしなかった。1930(昭和5)年10月10日付「朝鮮新聞」には、朝鮮語で「イゾン」と呼ばれる奴隷8人が平安南道平壌近郊で発見されたという記事がある。併合から20年も経ってもまだ山間部の豪農の家などではそうした奴隷が働いていた証拠であり、彼らにとって奴隷労働はそれほど身近な存在だった証拠でもある。 

さあ、歴史戦である。かれらの知られたくない惨めな歴史も徹底的に暴き出そう。