イギリス紀行20
エリオットの住まいに詩人として刺激をもらい、ふと見るとトマス・モアの銅像が置いてある。トマス・モアは「ユートピア」を書いた理想主義の人で、1500年前後に活躍したらしい(ヘンリー八世の離婚に反対して処刑された)。歴史の授業とかで習って以来、トマス・モアのことを考えたことなんてなかったけど、ちゃんと銅像が置かれている。それくらい影響を与えた人なのだろう。ある意味エリオットの銅像はないので、トマス・モアのほうが社会的には重要なのかもしれない。イギリスにはそういう社会学者や哲学者が現れて、影響を与えた歴史がある。ホッブスの「リヴァイアサン」、ジョン・ロック、アダム・スミス(あと「社会契約論」のルソーはフランスだが)、そういうことの積み重ねの中で合理主義や経験主義、または民主主義が育まれ、根づいてきたのだろう。
そこが日本との違いだとも感じる(当然福沢諭吉や新渡戸稲造などはいるが)。日本は今だにお役所主義(ルール主義)でありながら、雰囲気にも呑まれる(忖度する)。周りの目を気にする村社会が残っている。本当の意味の近代化や合理主義が隅々まで浸透するのはいつになるのだろう。それでも昔とは違ってきてるだろうし、少しづつ進化しているのだろうけど。そんなことを感じながら、チェルシーの中心街へと戻って行く。途中でハンバーガーを食べて、なぜかアメリカで食べたローストビーフバーガー(自分史上最高のバーカー)のことを思い出す。イギリス旅行が2020年2月で、アメリカ・ロス旅行がその前年の11月であるから思い出すのも理にかなう。たった三ヶ月のうちに二度も海外とは(それまで十年近く海外に行ってなかったのだ)。映画祭のおかげさま。
このチェルシーには後日また来ることになる(たまたま乗り換えの都合で、しかし奇跡のようなことが起こるのだ)。この時は夜に映画祭・授賞式があるから、ハマースミスへと戻った。イギリスらしく「それなりの格好をして参加」ということなので、自分なりの格好をした(スーツはよいのがなかったので、オリジナルの服)。会場ではこの服のせいで中国人と間違えられ、隣のイギリス人はあたりがきつかった。最初は理由が分からなかったが、話してて「日本人」と分かると態度が急によくなった。それくらい今中国人というのは影響力が強いのだ(正直ある意味嫌われている?)。ただそういう差別意識があること自体少しショックというか、嫌な気持ちにもなった。何しろ中国人は、同じアジア人なのだから。