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フェスボルタ文藝部

想い出にかわるまで (大谷健児)

2017.11.09 11:32

卒業アルバムは、オカズである。

それ以上でもなければ、それ以下でもない。


卒業アルバムは決して、束の間の柔らかな感傷を呼び覚ますためのツールじゃない。

殊に、異性から、あたかも季節外れのゴキブリのように見なされていた私たちには、純然たるオカズ以外の何物でもない。


オナニーは、スポーツである。かのニーチェや孔子やシュバイツァー博士も、辞世の句で綴ったように。

射精という名の神々しい終着点に向かって一心不乱に駆け続ける、深淵なる心(とちんこ)のマラソン。

それが、オナニー。


勝利も敗北もない無情で孤独なレースを、私たちは、闘い続ける。

それぞれが擁く孤独の最深部から、未来へと繋がり得る何かを手にするため。


私たちは、絶望する。

あらゆる疲弊を携えながら、射精という小さな大偉業を為し得た刹那に。


私たちは、失望する。

過去を振りほどこうともがきつつも、成し得なかった恋にせめてもの汚濁を浴びせる醜怪な自分に。


更には、圧倒的な空虚さに。

あるいは、決して分類できない、その錯雑した感情の名づけ難さに。

そして、眼前にただ広がる虚無の大海原が、あまりにも広大なことに。


オナニーに際して私たちの胸に怒涛の如く去来する、様々な想い。

そしてそれは、卒業アルバムをオカズにした時、残酷なほど顕著である。


かつて「魔人ブウ」と胸中で名付けていたドブスをオカズにして、イッた時。


小錦に踏まれた干し芋のようなツラをしていた、定年間際の女教頭で、イッた時。


その不毛にしてアグレッシブな私たちの生きざまを、誰も褒めてくれはしない。

事務的な労いすら投げてもらえぬまま、名状し難い暗澹たる絶望だけが、我が胸の隅々にじんわりと横溢する。


卒業アルバムにブチまけた精液の数だけ、私たちは強くなる。


卒業アルバムをオカズにした数だけ、私たちは逞しくなる。


卒業アルバムを精液で真白に染め上げた刹那、私たちの心は、セピア色に鈍く輝く。

その心許ない残光が、私たちの明日をそっと照らし出す。


キミのアヌスに、乾杯。


今日のオカズは杉田玄白でした