想い出にかわるまで (大谷健児)
卒業アルバムは、オカズである。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。
卒業アルバムは決して、束の間の柔らかな感傷を呼び覚ますためのツールじゃない。
殊に、異性から、あたかも季節外れのゴキブリのように見なされていた私たちには、純然たるオカズ以外の何物でもない。
オナニーは、スポーツである。かのニーチェや孔子やシュバイツァー博士も、辞世の句で綴ったように。
射精という名の神々しい終着点に向かって一心不乱に駆け続ける、深淵なる心(とちんこ)のマラソン。
それが、オナニー。
勝利も敗北もない無情で孤独なレースを、私たちは、闘い続ける。
それぞれが擁く孤独の最深部から、未来へと繋がり得る何かを手にするため。
私たちは、絶望する。
あらゆる疲弊を携えながら、射精という小さな大偉業を為し得た刹那に。
私たちは、失望する。
過去を振りほどこうともがきつつも、成し得なかった恋にせめてもの汚濁を浴びせる醜怪な自分に。
更には、圧倒的な空虚さに。
あるいは、決して分類できない、その錯雑した感情の名づけ難さに。
そして、眼前にただ広がる虚無の大海原が、あまりにも広大なことに。
オナニーに際して私たちの胸に怒涛の如く去来する、様々な想い。
そしてそれは、卒業アルバムをオカズにした時、残酷なほど顕著である。
かつて「魔人ブウ」と胸中で名付けていたドブスをオカズにして、イッた時。
小錦に踏まれた干し芋のようなツラをしていた、定年間際の女教頭で、イッた時。
その不毛にしてアグレッシブな私たちの生きざまを、誰も褒めてくれはしない。
事務的な労いすら投げてもらえぬまま、名状し難い暗澹たる絶望だけが、我が胸の隅々にじんわりと横溢する。
卒業アルバムにブチまけた精液の数だけ、私たちは強くなる。
卒業アルバムをオカズにした数だけ、私たちは逞しくなる。
卒業アルバムを精液で真白に染め上げた刹那、私たちの心は、セピア色に鈍く輝く。
その心許ない残光が、私たちの明日をそっと照らし出す。
キミのアヌスに、乾杯。
今日のオカズは杉田玄白でした