たくさん食べて、自由に「出す」
Facebook船木 威徳さん投投稿記事【 たくさん食べて、自由に「出す」 】
今朝、と言うより、昨夜から全身の筋肉痛です。痛いと言うより、右腕、右手の指がうまく動きません。昨日は、朝から、総勢14名の仲間たちと、ようやくできあがった1反足らずの大切な畑に、3000片ほどのニンニクのたねを植え付けてきました。
みんな、それぞれに仕事をこなし、忙しいのに、大事な休みの日を使って楽しく畑仕事ができたことが素晴らしい想い出になりそうです。
天気もよく、暖かくて、作業した畑のそばで食べる「のり弁」は最高の味でした。
もう何ヶ月か、畑に通ううちに、周りの農家の方々には、ずいぶん、親切にしていただき、
こちらが申し訳なくなるくらい、もらってばかりです。
いまは、なんといっても、さつまいも🍠と、里芋。
車に積み切れないほどの量をいただき、分けても分けても、まだ、残ります。
農家の庭のみかんも、何百も摘みましたがまだたくさんなったまま。
訪問するたびに、間引き大根をいただくのですがむしろ、見事な葉に自然のエネルギーを
感じます。
改めて、人間の「自由」とは何か?を思います。
普段の生活のなかでも、顔も知らない、名前も知らないたくさんの人たちの仕事のおかげで、私は笑って生きることができている。
その人間にしたって、小さな小さなタネが、びっくりするほどのスピードで大きくなってゆく大根ひとつ、ゼロから作り出したわけでもなんでもない。
ただただ、不思議に満ちた世界で、だれの制限や強制もなしに、おもうがままに「感動」できることこそ私、私たちの「自由」なのではないか?
まだまだ、たくさん残る、土まみれのさつまいもの山を前にそう感じました。
〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
4年前 この日の思い出を見る 船木 威徳2017年11月15日 【思い切りウンコができる自由】
『 自由 』を辞書で引くと、
1. 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「自由な時間をもつ」「車を自由にあやつる」「自由の身」
2. 勝手気ままなこと。わがまま。
3.《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
4. 法律の範囲内で許容される随意の行為。
(goo辞書から引用)と、あります。まあ、想像の範囲の説明でしょう。
私は、自由、平等、友愛のフランス革命の話を中学生の頃、本で読んだとき、非常なうさんくささを感じたのを覚えているくらい、素直ではありません。
歴史上、聞こえのいいフレーズで自由だの、愛だの、みんなが知っているようで実はしっかりと「自分のもの」にしていないことばを繰り返し訴えるときこそ、「危ない」と、感じてしまうのです。
現代は自由ボケしている、だとか、自由は勝ち取るものだとか言う人もいますが、果たして、「『自由』とはなんなのか?」から、改めて自分のことばで説明している人をそうそう、見かけるでしょうか?
政府や貴族、上流階級や資本家、といった、分かりやすい「支配者」っぽいグループから、
なんらかの権利を奪い取った、取り戻した、などと教科書で学んできましたが、それもなかなか怪しいと感じていますし、実際、私は、それらは本質的に「ウソ」だと考えています。
ぼんやりした、なんらかの概念。「当然分かってるよ」と思い込んでいることば、いまさら、本当は、なんなの?その概念の本質は果たしてなんなのか?
そんなことを改めて考える「はずがない」ことばこそ、私たちを支配しようと考える敵は
巧妙に、私たちの頭に刷り込んできます。
私のなかにある、しつこいくらいのテーマは、「自由」です。
人間は生きている限り、「取り込む」「代謝する」「出す」を繰り返しています。
「取り込む」のは水や酸素、食べものだけではなく知識や、病原菌や、ニュース、音、光などいろいろあります。
「代謝する」というのは、食べものが筋肉や脂肪に変わって、エネルギーを使うだけではなく、取り込んだ情報をもとに自分の考え、思い、感動、思想を自分で内側に形づくることだと考えています。
「出す」は、ウンコ、汗、おしっこ、息を出すだけではなく自分のなかに創り出された、思想やスキルや、感動を外に向かって表現することまで含むのです。
私は、(哲学者でもなんでもないので、個人的なあくまで、夢想のようなものですが)
「自由」とは、これら、「取り込む」「代謝する」「出す」を、ためらいなく、3つとも行えることだと考えています。
それが、最近、ちょっと、難しくなってきています。
便秘の人たちが、大きな病気を抱えていることさえあるように、「取り込む」、「代謝する」はまだいいとしても「出す」ことに、無言の圧力がかかっているような、
ウンコを元気にしたくても、「おまえ、時代や社会の空気が読めていないな。ほかのひとが臭いと感じるウンコは、控えるのが大人のマナーだよな。」・・・という、空気を感じるのです。
いいでしょうか?「取り込む」自由、「代謝する」自由は、まだまだ、充分にあるのに、それを使わないのは、自分から、誰かに与えられた「誰かのための自由」を喜んでいる、家畜のようなものだと思います。
「取り込む」自由、「代謝する」自由も「出す」自由の手に入れ方も、やはり、『 本 』のなかに、その糸口があります。
読書の秋です。
価値のないテレビや、ネットをやめて子どもも大人も、おじいちゃんも、お姉さんも
『 本 』を読みましょう。
そして、自分の頭で、脳みそが筋肉痛になるくらい自分の力で「考え」ましょう!
*海外の作品は違った訳を読み比べるのもいい。
*柿は普通のお宅の庭になっているものがいい。
~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり