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じゅんじゅんホームページ

過去を引き摺る者、先を憂う者、存在しないアレコレに翻弄される。

2024.01.12 05:48

クレジットカードを含む、借金の類いが苦手である。

なにかそういった失敗をしたり、被害を被った訳では無くて、漠然と、物心付いた頃には、それらに対して疑念があった。

目に見えない、実在しないはずのものがこの手にあるというのは、とても恐ろしいことだと本能的に察知していたのかもしれない。


最近思うのは、お金に限らず、ないはずのものをあると思い込んだり、まだ起こっていないことを起こると想定してしまうは、とても危険なのではないか、ということ。

一歩先を見越した行動は、記憶と時間に囚われて生きていく私たちに必要不可欠なもの。

しかし、それが取り越し苦労になってしまうと、心身によろしくない影響が出てくる。

思い込みとは本当に厄介な症状で、様々な感情を助長する。

よい方へ向かうのであれば勿論問題は無いが、それがマイナスの分野となると、とてもよろしくない。

しかも後者の場合、あっという間に、本人の手には負えない大きさになってしまう。

気付いたときには気力も体力も奪われて、どちらが本体であるのかわからなくなる。

不安や恐れとは、奇しくも人から生まれ、人にだけ寄生する生物なのだ。


危惧することと、不安を増幅させ自らを追い詰める行為とは、全く違うものだ。

恐れを直視したくないが為に、漠然としたそれらを一緒くたにして、分析せずに蓋をしてしまう。

なにが潜んでいるのかわからないので、恐怖心は増すばかり。

得体の知れない世間体や普通という基準が、"何物をも真っ直ぐに見据える"という行為を難しくさせてしまうのか。

いろいろなパターンがある。

でもきっと、根本はとてもシンプルなのだと思う。

ステージでは、受信をしない。

目に映るものに意味をもたせない。

感触にとどめる。

漠然と確信を持てるところまでは来れたので、ようやく始まりなのかもしれません。

昨年か一昨年、お笑いライブを観た帰りの音香ちゃんと私。

なかよしか。

我ながら、いくつになっても、思考と行動の振り幅が激しい。


昔から豪語しているが、常時考え過ぎる脳と過敏過ぎる心的感触を緩和するために酒を呑む。

何より、楽しいからではあるが。

でもそれも、根本的な不安が清算できた今、必要のないものなのかもしれない。

でもまあ、楽しいからね。

まともに生きるより、へらへら笑って笑われる阿呆くらいが丁度良い。

はじめてのことをたくさんしようと思った。

無理だとは明確に思っていなくても、なんとなく、ちょっと厳しいよなと避けてやっていないこと、たくさんあるって気付いた。

新しい場所に行って新しい人と出会って、また新しいつながりが出来ていって、私が気付かなかっただけで、スイッチはいつもそこにあったんだろうなあと思う。

面白そうなところには死ぬか行くかを天秤にかけて後者を選んで飛び込んで、話したい人には酒のチカラを借りた上で勇気を出して話しかけて。

そうやって、知恵やなにかの力を借りて、進んで戻ってよちよちやってきたし、いまだに自分ひとりではなんにもできない。

今あるたくさんのご縁と、ここに至るまでのすべての存在に感謝して。

今日もまた、私はビールを呑む。

10日、遅れ馳せ乍ら、2024年きど藤初め。

私の敬愛し止まない居場所のひとつ。

おふたりで切り盛りされていて、ピーク時は満員になる立ち呑み屋さん。

なによりも、どのおつまみも安くて、美味しい。

いつの日からか、なにも言わなくても赤星の中瓶と肉豆腐を出してくださるようになり、私の個展のポスターを貼って戴いたり。

いまでは"じゅんじゅん"の愛称でも呼んで戴き、感謝極まりない。

幼少期、家族の不仲で家の中に居場所がなかった。

ライブハウスが、唯一あたたかくて安心できる場所だった。

私を脅かすものは1mmも存在せず、なによりも、楽しかった。

ライブに行くようになった中学3年生頃から、ライブハウスは私のリビングで、帰る場所になった。

きど藤も、私のなかでは帰る場所。

すごくすごく、大切で、ほっとするところ。

年明けからイベント続きでなかなか行けていなかった。

お店に入り、新年のご挨拶をしたのち、赤星と肉豆腐をいただく。

お隣の方がトイレから戻ってこられて、すみませんどうもと言い合うと、なんと、私がイタリアへ行くきっかけとなったTさんだった。

あー!!!っとふたりして大声で笑ってしまった。

Tさんも、この日がきど藤初めだったとのことで、お互い、連絡しようか否かと思っていたと打ち明け、引き寄せですかねと乾杯をした。

Tさんは会社勤めをされていて、国内外問わず旅行が大好きで、いつもSNSに旅行記を載せてくださる。

旅行会社のツアーなどではなく、安い航空券でバックパックの安宿をめぐる、私と同じスタイルの方で、いつも面白いお話を聞かせていただける貴重なおともだち。

私が花粉症に苦しみボックスティッシュを抱えきど藤のカウンターでビールを呑んでいたら、大変そうですねと話しかけてきてくれて、いまに至る。

いつかポンペイに行きたいと口にした私に、

「いつか、じゃない、いまでしょ!」

と青天の霹靂な一言を喰らわせてくれた。

Tさんはアーティストに興味があるということで、私なりの持論を用いていつもアレコレお話をする。

この日も楽しいよるだった。

Tさんが帰られたあと、カウンターで何本目かの赤星を注ぎ呑み、せいやくんからお借りしたフジコ・ヘミングの本を読む。

きど藤の暖色系の明かりの下で、ほろ酔いつつ、書物を読むのが、とてもとても好きだ。

人から本を借りたのはひさしぶりだ。

先日職場の男の子に、興味があったらと仏教の本を貸したのだが、迷惑だったかなあとすこしおもった。

おもしろいです!と言ってくれているが、その実、などとやましくも考えてしまった。

しかしながら、いざ、自分が本を貸してもらう側となると、本当に曇りなく、うれしいきもちになった。

扁桃体の仕業なのか、人間は懸念を疑いに、疑いを不信感に育てるのがうまい。

きちんとあきらかにして、目の前のその人を、きちんとこの目に映してゆけるよう在ろうよな、とあらためて思った。


年が明け、たくさんの出会いと再会と、煙を上げそうな速度でまわりゆく世界に、足元をとられることなく、泳げている感覚がある。

ようやく、スタートラインに立てたのだろうか。

まだまだ、たくさん、もっと知りたい、感じたい。

今夜も、どこまでも、鮮烈に。