キリスト教分裂2-あまちゃん王アンリ1世
2017.11.10 03:28
1031年に即位したアンリ1世だが、母コンスタンツがまたもや3男、4男に反乱させ、独立系諸侯も反乱させたというからハンパじゃない。前回も書いたが、この時代まだ女性は相続権もっていて強かった。中世史の大家、ペルヌー女史はキリスト教の1夫1婦制の効果だと述べている。
たまらず王はノルマンディーに逃げて、領地をやる見返りに兵隊をもらって逆襲に転じ、母コンスタンツを幽閉する。1034年にトラブルメーカーの母が亡くなってようやく安堵を得た。弟達はおとがめなしで、ロベールはブルゴーニュ公につけた。さすがに身内を処分する余裕はなかったようだ。
国内でシカト状態のアンリは国外と同盟しようとする、ローマ皇帝コンラート2世との縁談は当の皇女がなくなってしまう、皇后の元夫の娘と結婚したがこれも死去。父譲りの女運の悪さよ。そして信頼していたコンラート2世にはブルグンドを盗られてしまい、諸侯にも次々に領地を増やされてしまった、甘ちゃんだねえ。
もはやできることは、父と同じく子孫に期待を託すのみ。キエフ公家のアンヌを、ビザンツの血筋とPRして1051年に結婚。翌1年に王子が誕生すると、7歳で共同統治者にして世継ぎを決めた、だってもはや51歳。またまた残念な仏王だが、息子にはフィリップというアレキサンダー大王の父の名をつけた。
下は反乱した弟ロベールを許すアンリ1世