『内村鑑三先生御遺墨帖』
桜の花は開いたり
日本魂は開いたり
361時限目◎本
堀間ロクなな
わたしにとって最も親しみ深い古書店と言えば、札幌市の北海道大学正門前に位置する弘南堂書店だ。毎年、古書目録を送ってくださり、つい先だっても最新の第63号が届いた。週刊誌大の本文118ページのうち、巻頭の36ページには目玉商品をカラー印刷で紹介するという立派さだ。その過半は北海道関連の文献・資料に占められているものの、続いて近代文学作品の初版本や著名作家・文化人の肉筆などもずらりと並んださまは壮観で見飽きることがない。まことに贅沢な恩恵に浴しているわけだが、実のところ、わたしはこちらの店に足を運んだことがないばかりか、ネットの古書サイトを介して注文したこともほんの一度きりに過ぎず、それが『内村鑑三先生御遺墨帖』だった。
珍しい稀覯本や肉筆原稿を眺めるのが楽しくても、みずから大枚を払ってまでコレクションしたいとの願望はおよそない。それだけに、もう10年近く前、内村と縁の深かった北海道の地から非売品の記念出版物を買い求めたことは(のけぞるほどの価格ではなかったにせよ)ちょっとした冒険だったし、現物が届いたときには想像を上回るしつらえに圧倒されてすっかり嬉しくなったのを覚えている。
稀代のキリスト者、内村鑑三が世を去って十年余、その揮毫、原稿、葉書・年賀状、メモなど100点あまりの肉筆を写真版で、B4判の厚紙の片面ずつに再現してリボンで綴じあわせたうえに、内村の弟子で編集兼発行人の長谷川周治による大部の解説書も添えられている。奥付には非売品/限定一千部之中第三八三号とあり、昭和十六年五月三十日発行とされているから、太平洋戦争がはじまるざっと半年前のことで、すでに物資も窮迫していたはずの非常時下でよくこれだけのものを制作できたと感心してしまう。
長谷川は序文に、内村が毛筆を苦手として、よほどの場合のみ揮毫に応じていた事情を記しているけれど、確かに収録された数々の筆跡はお世辞にもうまいと言えず、小学生でも手習いしたらもっと巧みに書いてのけるだろうと思わせる。しかし、そこにはハナから上手に書こう、他人に誇ろうといった意識がなく、おのれの感懐のまま率直に筆をふるった態度がまざまざと見て取れるのである(もともと、内村の伝記でこうした放胆な筆跡の写真を目に留めたことが、本書を入手したいと考えた動機だ)。
そして、当然ながら揮毫された文言には聖書由来のものが多い。だからと言って、金釘流で「汝勿盗」とあしらったのにはつい首をかしげたくなる。むろん旧約聖書におけるモーゼの十戒のひとつではあれ、全体、「なんじぬすむなかれ」と綴った色紙を受け取って、喜んで床の間に飾ったりする者がいるだろうか? だが、そんな世知辛い思惑を蹴飛ばすかのような気迫のこもった文字を前にすると、どうやら簡単な話ではなさそうだ、という思いが湧き上がってくる。ひとはだれでも他人のモノやココロを盗んで生きている、そうしないと生きていけないのが実情ではないか、だとしたら、神が命じたこの戒めに対して、自分は盗みなんか働いていないと開き直るのではなく、これまでさんざん盗みを働いてきたと受け止め、わが身のぶざまさに痛みを覚えることのほうが肝心なのだろう、と――。まったく不思議だ。
もうひとつ、強烈な印象を受けたものを引こう。この「桜」と題した詩文が、高らかに軍靴の足音が鳴り響きつつある時期にしたためられたことを考えると、背筋が伸びずにはいられない。果たして、内村は当時の世相に向かってだけ筆鋒を振りかざしたのだろうか。わたしには、そうした過去を遠い忘却の彼方に追いやり、いまや桜の季節がめぐってきてもとかく花見のことしか頭に浮かばない、われわれの慢心をも叱咤しているように感じられるのである。
開いたり、開いたり、桜の花は開いたり、日本魂(やまとだましひ)は開いたり、嗚呼何と美いかな。
開いたり、開いたり、桜の花は開いたり、然れども三日を出でずして取り去らんため、人畜を養ふに足る実一つをも遺さずして。
開いたり、開いたり、桜の花は開いたり、日本魂は開いたり、然れども余は栗、柿(渋柿にても可なり)、林檎、香橙(ゆず)(刺あるも可なり)たらんと欲するも桜たらんと欲せざるなり。
追記。弘南堂書店の最新の古書目録で、わたしの目をひときわ釘付けにしたのは、明治三十九年四月八日付の島崎藤村の毛筆の書簡だ。兄の広助に宛て、自費出版した『破戒』の経費や次女・孝子の死について報告している。価格は275,000円也。ともあれ、コロナ禍が収まったのちに、今度北海道へ出かけたときにはぜひとも北海道大学正門前の店舗を訪れてみたいと思う。