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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ウィーン体制7-イタリア立憲革命

2022.02.01 11:12

スペインで始まった立憲革命は、イタリアに波及、まず1820年6月15日に、シチリア島のパレルモでアリアータが主導する暴動が起こり、ブルボン家は逃げ出して、革命政府ができた。7月には炭焼党のミキニーニが、自分の騎兵を率いてノーラで蜂起し、グリエルモ・ペペの師団が加わった。

反乱軍は憲法制定を求めて、サレルノで大歓待を受け首都ナポリを覗う。ここに至り国王フェルディナンド1世は憲法制定を約束し、ナポリでも立憲革命が起こり、8月には両シチリア議会ができた。しかし、シチリアは独立派だったため、ナポリ側は拒否し、交渉の決裂後、ナポリ軍がシチリア議会を解散させてしまう。

さらに翌21年にはサルディーニャ王国のアレッサンドリアで3月9日サルディーニャ軍が蜂起。反乱は数日で首都トリノに波及して、国王ヴィットリオ・エマヌエーレ1世は退位した。次の王には弟のカルロ・フェリーチェが就き、進歩的なカルロ・アルベルトが摂政となり、スペインの1812年憲法を採用した。

トリノで起きた立憲革命は、ピエモンテ地方に波及、ナポリ王国の革命と共に全土が革命の雰囲気に包まれた。しかし、ウィーン体制のもとでの国際連合英仏露墺普の5カ国会議はその革命への対処で会議を開き、干渉をしてゆく。その中でイギリスは立憲革命には好意的で、五カ国同盟は崩壊する。