余白
たしか中学生の頃、本を見ながら初めてヨガをしました。
ポーズとポーズの間には必ず休むと書いてあり、別に疲れる訳でもないのになぜ休まないといけないのだろう、ガンガンやった方が効くんじゃないの?と思ったものです。
今では、その休んでいるときにこそ、循環したり回復したり満ちてくるものがあるのを感じます。
日本には「間」の文化があります。
音と音の間にあるもの。
器を覗き込みたくなる盛り付け。
行間に感じるもの。
全てを説明したり埋めたりしないのが粋。
コミュニケーションでもそうですね。
立板に水で話されると、こちらが思考する間を持てないことがあります。
また、自信や相手への信頼が足りないと、反論の隙を与えないかのように、つい一方的にまくしたてがち。
達人は、こちらの咀嚼時間も持たせてくれつつ、話をリードしてくださいます。
先日GReeeeNのインタビューを聴きました。
顔は出さずに活動を続ける4人組ボーカルグループで、皆さん現役の歯科医師でもあります。
「『道』や『キセキ』など、GReeeeNの曲は応援歌にも聴こえますね。」という投げかけに、作詞作曲を担当するHIDEさんは「応援歌を作りたい訳ではない。」と。
それでもなぜか人の背中を押していることに、他のメンバーがこんな風に答えていました。
寄り添った歌詞を書き、「僕だったらこう考えるよ」という指針を伝え、でも余白が必ずあって自分で決められる。追い込むことをしない。僕はこう思うな、君ならどうだろうね。余白を持った優しい性格の持ち主が書くからこうなるんじゃないか。
なるほどなぁとしみじみ感心しました。
HIDEさんの人間性も、メンバーとの関係性も洞察も素敵だなぁと思いました。
余白を持つ(残す)のは、ある意味勇気のいることかもしれません。
忙しい現代では、素早い答えの提示を求められることが多いし、またそれが「デキル人」であるかのような風潮すらあります。
でもそればっかりだと何だか疲れてしまいますね。
社会のスピードと魂の時間がかけ離れすぎて、生きづらさを感じている方も多いのではないでしょうか。
私もブログを書くとき、押しつけ決めつけにならないように気をつけます。
あくまでサンプルの1人として、私は今はこう考えるとか、こう感じる人もいるんだよって発信したいと思っています。
うまく伝わっていなかったら未熟さ故ですね…お許しください。
皆さまの中にご自身の何かが湧くきっかけになれればと願いつつ。
余白や間の粋な大人になりたいなぁ。