節分の鬼から枠の視点を考える
鬼 で連想されるもの
=赤 青 黄
=こわい
=襲ってくる
=角が生えている
=大声で威嚇してくる
=節分
=母親が激怒した状態、形相(昔の漫画でよく出てきた印象)笑
=悪者
=むかしばなしによく登場する
=金棒
=ぱんつ(なぜかトラ柄)w
=強いパンツを履いている♪(みた人がいるのかな?)笑
ほかには なにがあるでしょうか
節分といえば「恵方巻き」
吉方向を向いて願いを思い浮かべながら「無言」で食べきります。喋ったり笑ったりしたらあかんのです❣️
もちろん、笑かしてもあかん!!!🤣
さて。
どちらかというと私の中の鬼さんのイメージは「悪」よりでしたが、昨年のカタカムナの講座の中で「日本のむかしばなしをカタカムナで読み解く」グループの発表を聞いたときにそれまでの「悪い鬼」と言う概念が崩れ落ちました。
そこにはお互いを尊敬しつつ、相手のためを想って身を引くところがあったり、非常に良心がある、仲間おもいである、実は誤解されていたのかも、と感じました。
あともう一歩、むかしばなしの世界へ踏み込んでいたならば鬼に対する認識は簡単に変わっていたのではないだろうか
子どもが幼い頃にやっていた絵本の読み聞かせ、あれは本当にあのやり方でよかったのだろうか?
どの絵本を選ぶか によってはとても危険な洗脳となり得るのではないだろうか?まさにこの「鬼」のように。
むかしばなしや言い伝えなどには、本当に伝えたい 残したいと言うワンメッセージにいろいろな装飾をして、わかりやすい例えばなしなどにして後々に連綿と繋ぎ 残すためのものだと思うのですが
私が見聞きした(限りなく偏っているのかもしれませんが)鬼さんはいつも非道で、粗暴で、暴れん坊の悪者でしかなかった。だから、鬼よ去れ と。
また、それは自分自身の内側の「悪」と比喩されていることもあり、胸に手を当てて自身の行いを振り返ってみよう と言うものでもあるのかもしれない
真偽はわからないものの、今回感じたのは
これまでに〇〇とは△△だ と教えられたもの、記憶しているものについては
いつも「それは本当?」 「それは真実?」
誰かのご都合に合わせたもの、沿ったものを教え込まれていないだろうか?
それが当たり前だと 信じ込まされていなかっただろうか?
それこそが、本当だよ!と思い込まされてこなかっただろうか?
そんなしょうもないこと かもしれないが
これが日常、あなたの行動の全てを築いているとしたら???
そんなことに気を取られている時間なんてないんだ と思ったあなたこそ
「そんなことを考えさせる時間がない」と思い込まされて意図的に
「考えないように」と言う流れを 素直に受け取って、素直に信じ切っているのではないか???と 一考のきっかけになることを 祈ります!
思い込みの枠から視点を外してみよう。
ちなみに節分って、2月だけじゃないんですよね
一年に4回。季節ごとにちゃんとあるみたいですよ 知ってました???😁