薪ストーブと今年の目標
今年の目標は、脱効率!効率を考えずに行動したいと思っています。
効率とは、、、
機械などの仕事量と消費されたエネルギーとの比率のこと
わが家の暖房の一つは、薪ストーブです。
始めは、つけるのが大変でした。便利なスイッチに慣れていたので、
ポンと火を入れれば、誰でもつくものだと思っていました。
ストーブ屋さんに、教えてもらった通りに木を組んでつけるのですが、なかなか大きな火にならずに、なんども火の様子をみる必要があります。すぐにつけたいときは着火剤を使ったり、自分の付け方を工夫してみるのですが、上手にできず、消えてしまう時もあります。
ストーブをつけたいのは、朝起きたばかりの寒い時や家に帰ってきた時など、寒いからすぐにつけたい上、あれもこれもしたい忙しいタイミングが多いです。
なのに、なかなかつかないばかりか、手がとられるので、なんとか楽に早くつかないものかと試行錯誤していました。つけるのがだんだん、めんどうになってきた時期もありました。
着火剤を何個も入れたり、薪ストーブがすぐ着くという情報をあさったりしていました。
それから数年、
今では、なぜあんなに、面倒だったんだろうと、不思議に思います。
つけるのが早くなったのでも、手間がとられなくなったのでもありません。
単に、それに慣れたのです。時間がかかるものとわかってますし、たまに様子を見てあげるのにも慣れました。赤ちゃんが生まれたばかりのとき、慣れずに、ずっと気をはってしまいますが、慣れてくると、見るべき時と放っておいてよい時がわかるのに似ているかも。
時間の経過とともにただ、そのリズムに慣れただけ。最近は、火をつけるのが楽しみでもあります。
効率よく
効率ってなんだろう?と考えます。ついつい、早く簡単に、無駄なくと考えてしまうからです。今までの手間がかかることを続けるべきか、効率を優先させるか。
効率が良い=楽なこと
気が付いたら、勝手にこのように考えていました。
だけど、効率よくすることで、本当に時間を短縮しているのだろうか?それが本当に楽なことなのだろうか?
スイッチ一つで部屋が温まるところから、くらべると格段に人的には、効率わるく部屋を暖めています。火が付いたと言っても、なんども薪をくべに行かないと、火は消えてしまいます。だけど、スイッチを押していた時には存在しなかったはずの、その時間はどこからきたんだろう?他の作業に支障がでていないのです。
それどころか、夕食の後今までは時間がなくて、お風呂に入らなくちゃ、片づけをしなくちゃ、などと言っている間に寝る時間と大騒ぎだったのが、ストーブの前でゆっくりする時間ができました。暖かいストーブのそばにみんな集まってくるからです。
この時間は、いままでどこに隠れていたんだろう?
楽か大変かで行ったら、薪ストーブはすごく大変。つけるのももちろんですが、薪を用意するところから始めなくてはいけません。冷たい雨の続く日、家の中に入れておいた薪が残り少なくなった時の絶望感。
また、ストーブが冷たくなっていると暖かくなるまで時間がかかります。寒い朝、冷たいストーブの火がなかなかつかないのを前にして、スイッチ一つのストーブは、何て楽なんだろうと何度おもったことか。
だけど、ストーブだけではなく、何事も時間をかけてすればするほど、時間がたっぷり現れるようにも感じます。そして、それにより現れた時間が不思議な効果を自分にもたらしてくれている気がするのです。
スイッチによって短縮したと思っていた時間はもしかして盗まれていた?さらに楽だと信じていたスイッチは楽だけど楽しみを奪われていた?
といってもそれは、そんな感じがするだけ。目にも見えないし、数値にも現わせません。
効率をもとめずにやった結果がそこにあり、それを心地よく感じます。
それが本当なのか幻なのかはわかりませんが、今年は、なるべく効率悪くやることを続けたいと思っています。
とおもいつつも、ついつい効率よくしたいという無意識の気持ちに流される日々ではあります。1年後、この気持ちがどう変化しているのか楽しみです。
<a href="https://pixabay.com/ja/users/jacquesuhlemann-4588631/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=3257722">Jacques Uhlemann</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=3257722">Pixabay</a>からの画像