津和野城
1. 城のデータ
[所在地] 島根県鹿足郡津和野町後田他
[築城年] 1295年
[築城者] 吉見頼行
[遺 構] 物見櫓、馬場先櫓、石垣、空堀など
[別 称] 三本松城、蕗城
[形 状] 山城
[登城年] 2015年5月17日
(※トップ写真:津和野城・人質櫓台の高石垣)
2. 城の歴史
1281年の弘安の役後、鎌倉幕府は元軍の再襲来を警戒して、石見国の防御のために吉見頼行に命じて石見に下向させたといわれる。1295年から30年もかけて、前身である三本松城を完成させた。以後、吉見氏が三本松城を居城とする。
1600年の関ヶ原の戦い後、吉見氏は毛利氏に従って萩へ移る。代わって坂崎直盛が石見に入り、城を大改修し、現在見られる津和野城へと完成させた。1617年には、因幡鹿野藩より亀井政矩が4万3000石で入り、以後幕末まで亀井氏が11代続いた。津和野城は1871年に廃城となり、山上の建物が取り壊された。
3. 城の見どころ
津和野城は鎌倉時代に吉見氏によって築かれた中世山城を基に、江戸時代初期に坂崎氏・亀井氏によって完成した近世山城である。城は津和野盆地の南西部にあたる標高約367mの霊亀山の山頂に築かれた。麓を流れる津和野川を天然の堀として、中世には全山を要塞化して使用されていたと言われる。
城の縄張は、本丸(三十間台)を中心として、北側に太鼓丸、二の丸、西から南にかけて、三の丸が取り囲んでいる。二の丸の下に帯曲輪を設け、大手道方向からの防衛ラインとしている。自然地形を巧みに活かしながら築かれていることがわかるだろう。山頂部の本丸(三十間台)、二の丸、三の丸などの主郭部と、織部丸と呼ばれる出丸部分は総石垣で築かれている。山上の建物は現存しないが、至る所でほぼ完成期に達した時期に築かれた石垣群が見ることができ、その迫力は日本三大山城に数えられる備中松山城、岩村城、高取城にも十分匹敵すると思う。
まず、山麓の津和野藩藩庁跡から見学すると良いだろう。現在は嘉楽園となっている。嘉楽園の道路に面する所に物見櫓が現存する。この物見櫓は藩庁にあった巨大な長屋で、現存例は全国でも唯一という貴重なものである。外観は一重であるが、内部は二階建てである。二階の一部は畳敷となっており、藩主が弥栄神社の祭礼を上覧する際に利用されたと伝わっている。
(下写真:物見櫓)
さらに、嘉楽園の東側、津和野川沿いには二重の馬場先櫓が建っている。当時藩庁の外郭ラインにあった隅櫓の一つであり、一階は厩番役人の詰所、二階は穀物を備蓄した蔵として活用されていたという。物見櫓、馬場先櫓ともに地元の石州赤瓦で葺かれており、深い赤みの色合いが実に鮮やかである。
(下写真:馬場先櫓)
山上の城郭に至るには現在3つのルートがある。江戸時代の登城路である大手道、中国自然歩道、そして観光リフトである。リフトで上がれば楽かもしれないが、お城ファンであれば、堂々と大手道から行くべきであろう。大手道は山麓にある藩庁跡の南端から上がり、本城と出丸の間の鞍部に続く道である。登城時、整備があまりされておらず、加えて九十九折れの険しい道のりのため、相当体力を必要とした。途中、野面積みで築かれた石垣を数ヶ所確認できた。また、運搬途中の石材も転がっていた。
大手道を上がりきると、本城と出丸の分かれ道になるが、先に出丸から確認しておきたい。出丸は本城から北へ200mほど離れた位置にあり、完全に一城別郭の構えとなっており、周囲は堅固な石垣で固められている。本城を側面から防衛するための拠点であった。築城の指揮を坂崎直盛の弟・浮田織部が取ったことから、別名織部丸とも呼ばれる。吉見氏時代の砦を壊して築かれたとされ、周囲は堅固な石垣で固められている。出丸からは津和野市街を一望することができる。おそらく、津和野藩領を監視する役割もあったのではないかと想像できる。
(下写真:出丸石垣)
本城に向かうと、まず東門跡にたどり着く。ここから城の中枢部に入るため、実に複雑かつ堅固なつくりになっている。二の丸、帯曲輪、太鼓丸、三の丸、天守台の石垣が二段、三段と折り重なるように続いており、その様子は実に圧巻である。三の丸の三段櫓跡はまさしく三段に石垣が連なり、当時は平櫓も三段になっていたため、三重櫓に見えたという。東門跡を抜けると、西側に三の丸、東側に行くと天守台、本丸(三十間台)に続く。
天守台は本丸(三十間台)よりも低い位置にあり、これは全国的にも珍しい位置関係である。かつて天守台には三重天守が存在したらしいが、1686年の雷火で焼失したという。石垣隅部は完成期に達した算木積みとなっている。
(下写真:天守台石垣)
天守台の下を南側に進むと、南門跡のある広場に至る。ここから本丸南端に張り出した人質曲輪の高石垣を望むことができる。約10mの高さを誇り、城内随一の高石垣である。勾配も急で、代表的な撮影スポットである。
天守台の北側の太鼓丸を経由して、山頂部である本丸(三十間台)にようやく到達する。この間の虎口には当時鉄門櫓があり、厳重な構えがされていたという。
(下写真:太鼓丸から見た三十間台)
本丸(三十間台)は台形状の削平地である。ここからの景観は実に素晴らしい。南西側を望むと、人質曲輪、三の丸を見下ろすことができる。さらに南方には石見国と長門国の国境である野坂峠が見える。また、東側には石州赤瓦の津和野城下を一望できる。標高約907mの青野山の新緑の緑と、城下町の赤とのコントラストが実に美しい。
(下写真:人質曲輪・三の丸を見る)
4. 城のポイント
①中世山城を大改修した総石垣の近世山城 ⇒坂崎氏時代にほぼ完成した
②山麓に残る物見櫓、馬場先櫓 ⇒藩庁の現存する櫓としては唯一
③山上城郭部の石垣群 ⇒人質曲輪の高石垣が最大の見どころ