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生死一如

2022.02.08 12:36

Facebook長堀 優さん投稿記事

東洋思想が説く「生死一如」という教えは、 今この瞬間に生きていることの意味は、死を抜きにして考えることはできない、 という人生における大切な摂理を示しています。

 「死」と向き合うことは、決してネガティブなものではなく、人生を前向きに生きるためにはぜひとも必要な態度なのです。

 そうはいっても、実際には、死と向き合うなんて怖くて、とか、死んだらどうなるのか、など戸惑いや不安が湧いてくるのも事実です。

 しかし、ありがたいことに、この人生における最大の命題に対し、重要なヒントを与えてくれる素晴らしいご著書が二冊上梓されました。

 しかも、難解な哲学書や宗教書よりもはるかにわかりやすく書かれています。

 早速ご紹介しましょう。

 一冊目は、船戸崇史先生の新刊「『死』が教えてくれた幸せの本質」です。

 死、をタイトルに据えるには、勇気が必要であったことでしょう。

 しかし、多死社会に突入した今だからこそ、この単刀直入ともいえるタイトルが、より大きな意味をもってくると感じます。

 死があり、命に限りがあるからこそ生が輝く、人生におけるこの真実が多くの人に共有され、当たり前になれば、看取りの現場は確実に変わるはずです。

 経験豊富な船戸先生やスタッフによる温かいサポートを受けながら、辛い現実と向き合う患者さんたちが、ご家族との愛と絆を取り戻す、そして深く癒され、人生の真実に気づいていく、そのような感動的な数々のエピソードに、私の涙腺は見事に破壊されました。

 機を見て船戸先生は、患者やご家族の心の中に立ち入り、思い切って勇気ある言葉がけをし、必要な気づきへと導いていかれます。

そのような時の先生は、慈悲に溢れた司祭のようです。誰にでもできることではありません。「誰しもに必ず訪れる死の瞬間まで、めいっぱい生き切ることができるのか。このために医療者はどんなサポートができるのか。」

 深い悲しみの中にある患者さんと一緒に迷い、悩みながら、自らに問いかけ続ける船戸先生の気迫には、凄みさえ感じます。

 末期がんの患者さんの多くが望むことは旅行です。

その希望を叶えるため、船戸先生は自らが率先して患者さんたちの旅行ツアーを計画されています。何が起こるかわからないのですから、生半可な覚悟でできることではありません。

実際に、自ら強く望んで中国桂林への気功ツアーに参加されたKさんも、現地へ向かう途中、機上で亡くなります。

 当地で火葬されることになり、死に目に会えなかったご家族もいました。

その心中を慮り、船戸先生は、ツアーを続けるかどうか真剣に悩まれます。

しかし、大きなショックを受けたに違いない同行の患者さんたちが、怖さや悲しみ以上に、勇気と元気をもらっていたことを知ります。

 そして、先生は、その後もツアーを続けることを決意されるのです。

 「今朝もまた 覚めて目が見え 手が動く ああ極楽よ この身このまま」

 船戸先生のお宅にかかる短歌です。

 白血病で亡くなられた先生のお母様が、死を前にして書かれた短歌です。

 グッと胸に迫るものがあります。

 病状が進行したIさんは、食事も取れず満足に歩けなくなったのに、毎日ニコニコして過ごし、目に映るもの全てが愛おしいと語っていました。

そんなIさんを見て、船戸先生は、短歌を読まれた時のお母様のお気持ちに思いが至るのです。 そして次のように語ります。

 「生きていることの幸せ。それは死を見据えた向こうにしか存在しない境地です。

 生きていればこそ、目に見えるすべてのことが愛おしい。

 『ああ、極楽よ、このみこのまま』という境地は、他でもない『生きていること』そのものの実感なのでしょう。」

 まさに「生死一如」、この心境こそが、「死」が教えてくれた「生きる」という幸せの本質そのものなのです。

 死が遠いものと考え、毎日生かされていることのありがたみを忘れがちな我々には、決して感じることのできない至福の境地です。

 心ある医療者に囲まれた安心感のなかで、このような心境に至り、旅立てる患者さんは本当に幸せです。

 誤解を恐れずにいえば、がんに罹ることは不幸なことばかりではありません。

 考えようによっては、自分を最高の幸せに導いてくれる可能性があるのです。

 看取りの現場が癒しに溢れれば社会は優しく愛に満ちたものに変わります。

 明るい社会の到来を願いつつ、この本が多くの方に読まれることを願っています。

 もう一冊は、中部大学教授の大門正幸先生のご著書「生まれ変わりを科学する」です。

 バージニア大学を始め、世界の研究者と連携を図りながら、学術的な立場から過去生記憶を科学的に検証されてきた大門先生渾身の一冊です。

 私事ながら、大学で初めてドイツ語の教科書を見たとき、私は強い既視感にとらわれました。

 その後、ドイツとはいろいろなご縁ができ、学生時代の一人旅行を合わせると計七回渡独することになります。

 外科医の本道から逸れた活動に入ってからのこと、「見える」方々の何人かから、前世でナチスのホロコーストに関わっていたと指摘されるようになりました。

 驚きはあったものの、しかし、今世での行動を考えれば、自分なりに腑に落ちるものがありました。

 しかも、嫌々ではなく、しっかり悪事を楽しんでいたんじゃないか、という感覚までだんだん蘇ってきました。

 それ以来、私はなお一層今世での使命を大切に考えるようになりました。

 前世あってこその今世です。言い訳がましくはなりますが、ナチスでの体験も必要だったと私なりに考えています。

 人間の考える善悪を超えたところに魂の進化・成長があるのでしょう。

 私のような薄ぼんやりとした記憶ではなく、大門先生のご著書には、もっとはっきりとした過去生記憶を持つ人が登場してきます。

 911のツインタワー襲撃の際に100階にいて命を落としたときの状況を克明に語る三歳の子供、 三歳になる前に、カーペンターズのトップ・オブ・ザ・ワールドを上手に歌い、ホームセンターの地球儀を見るや、イギリスのエジンバラを指差して「えでぃんびぁ」と発音する子供、 子供であるだけに、これらのエピソードには、否定しきれないリアリティを感じます。

 大門先生は、このような体験談を大切にし、その実証に努めてこられました。その成果がこの一冊にまとめられているのです。

 大門先生、池川明先生たちのTV番組などでのご活躍に加え、インターネットでの交流の発達、 さらには転生をテーマにした娯楽作品のヒットなどにより、現代社会にじわじわと過去生記憶が浸透し、最近は皆の意識も変わりつつあるようです。

 大門先生は、人間観、世界観の大転換へ向け、胎動が鳴り響き始めているようだと語りますが、わたしも全くその通りと思います。

 輪廻転生を繰り返しながら、魂は成長と進化を重ねていく、

 死を超えた命を意識すれば、生まれてきたことの意味を理解しやすくなるのは確かです。

 そして、生まれ変わりという考えが多死社会を生き抜くためのヒントになることは間違いありません。

 「生死一如」の言葉通り、死とどう向き合ったらよいのか、死んだらどうなるのか、を考えることは人生をより深く理解することにつながります。

 この二冊を通じ、死との向き合い方を考え直す方が増えることを願っています。

 長くなってしまい、申し訳ございません。ここまでお読みいただきありがとうございました。

 最後になりますが、本年の六月二十六日、岐阜県関市、船戸先生が開設されたリトリート「リボーン洞戸」にて講演と対談の会を開かせていただきます。

 どうぞよろしくお願い致します。