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【ゆるログ】北京五輪の思い出①

2022.02.09 08:00

今回のゆるゆる記事は、折角北京で冬季五輪が行われているので、2008年に出場したこちらは夏季の五輪についてです。

恐らくご存じの通り(ご存じ無かったらgoogle先生に聞いてみてください…笑)、私は4×400mリレーの代表として出場しました。

この五輪においてリレーは、「その国が持っているリレーの記録の上位二つの平均によるランキングで、16位以内に入ると出場権が得られる」というものでした。

当時大学4年生だった私は、その決定当日、卒論のデータ収集の為に福島県選手権のビデオ撮影に来ていました。というのも、ランキング締め切りまではまだ期日があったため、まさかその日に決まるとは思っていなかったのです。

それが、その日以降期日まで条件を満たすレースが無いという事が判明し、その日に決定となった訳です。

バックスタンドでのんびりビデオを撮っていたら(自分が出場しないレースというのは気楽なもんです)、監督から電話がかかってきました。

「お前、今どこにいる!?」

ちょっと焦った様子だったので私も焦ります。なんかやらかしたかと思いつつ、恐る恐る卒論のため県選手権に来ている旨を話すと、「そんなんどうでもいいから今すぐ来い!!」と。

監督=ゼミの指導教官でもあったので、卒論がどうでもいいことなんてある!?と思いつつ指定された場所へ行くと、先輩たちもそこに居て、監督の口から告げられたのは、「オリンピックが決まったぞ!!」と。

文字通り飛び上がって喜んで、近くにいた人たちからは怪訝な表情で見られました。笑


その日のうちに東京で記者会見が行われることになったのですが、それまでは絶対に誰にも話すなと言われていたので、県選手権の会場にいた同級生に「ごめん、理由は話せないけどビデオ撮影代わりにお願い!!」と託し(今思うと本当に申し訳ない事をしましたが、同級生はもしかしてオリンピックが決まった?と察していたようです。感謝…😂)


そこからすぐにスーツに着替えて、東京へ。

そして行われた記者会見…


例によって画質が悪いのは勘弁してください😂


ちなみによく意外と言われるのですが、東京~福島は1時間半くらいで行けるので、その日のうちに福島へトンボ返りしました。

怒涛の一日だったので、帰りの新幹線は爆睡でした笑

翌日から壮行会やらなんやらで大忙しでしたが、それもまた嬉しい悲鳴でした。


ちなみに…記者会見が終わった後は情報解禁になりましたので、真っ先に「誰に電話しよう!?」と悩みまして。

まずは家族だな!と思って電話するも仕事中で繋がらず笑

迷った結果、陸上人生の道を歩ませてくれた、高校、中学の恩師に電話しました。

(もちろんその後に、代理でビデオ撮影してくれた同級生にも連絡しました…)


壮行会では、小・中と懐かしい友人たちが駆けつけてくれたりもして。

高校の壮行会では、2か月前に教育実習でお世話になった先生方、生徒たちにも祝福してもらって。

今の自分を支えてくれる人、くれた人って誰なんだろうと、改めて考えた日々なのでした。


オリンピック始まってからのお話はまたいずれ…☺