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映画 『沈黙』を見て  岩田春子

2017.11.13 01:12

     グレンデール モールの劇場で、「沈黙」の映画を主人と見に行った時の事である。遠藤周作のこの作品が日本でベストセラ−に成った頃読んだが作品の中でキリストの顔の肖像入の踏み絵を吉次郎が踏んで逃げ出す所が強烈な印象を受けたが,後は殆ど覚えていなかった。

映画は、17世紀にキリスト教禁止令が出された江戸幕府を背景に,井上と名乗る長崎のお奉行役員があの手この手を使い宣教師達に作戦的に踏み絵を踏ませ転ばざるを得ない状況に追い込んで行く。宣教師のロドリゴ(映画の主人公)は自分だけの為ならいつでも殉教の覚悟は出来ていたが、カトリックの信徒達が痛々しく張り裂けるような拷問を受け、十字架の磔に曝され,殺されて行く姿を見るに見かねて、「踏み絵を踏め,踏んで生きるのだ、転べ,転べ、転ぶのだ。」と叫びつつ自分が見本と成って踏み,転んでしまう。と言う筋書きであった。

主人と結婚してまもなく、「もし踏み絵を強制されたら,貴方は踏むの,踏まないのどうするの」と聞いた事があった。彼は、「その場に成ってみなければどうするのか分からない,何とも言えない」と答えた。私は即座に、「私は決して踏まない,譬え死んでも。。。」と答えた事があった。だが映画のように戦略的で作戦的だと自分もどうなるのか分からないと思わされた。

日本のキリスト教は1%足らずでのび難いと良く言われているが其の理由は極めがたいが,歴史的にも,個人的にも良く転ばされたり,転んで行く信徒を見かける。第二次世界大戦の時,相手アメリカがキリスト教国なので、勿論英語カタカナや宗教も禁止された。軍の命令で牧師、教会に戦争が終わる迄,日本国の宗教を名乗れと言われ,殆どのキリスト教宗派が其れに従ったと言う。従わなかった人達は石打ちにされたり,牢獄にぶち込まれたりしたようである。

ある日,韓国の牧師に次の様に言われた事がある。「日本人は葬式は仏教、結婚式はキリスト教,お祭りは神道で,之を旨く調合出来る不思議な民族だ」と言われても別に,文化、カルチャーだと思えば何でもないことだと思っていた。だがある日牧師たる方が,あっちに頭を下げ,こっちに頭を下げ、人ずきあいだと言うのを聞き、キリストは我が罪の為十字架に迄おかかりになられ、我に永遠の命をお与え下さった生ける犠牲を思う時、キリスト以外の神でもない神々を拝む事は,夫以外の男に走るようなもので霊的姦淫に等しい事を知ってからは、献身の意味をより深く理解出来る様に成った。神は決して「沈黙」しておられるのではない。今も生きておられ,祈りを聞いておられ,信ずる者たちの心の中に聖霊により住んでおられる。

映画の帰り、「踏んで転んでしまつた」主人公の顔がちらつき、周囲を見渡すと、チャイニーズニユーイヤーズの飾り付けの大きなドラゴンや古い大きなヘビが大きな口を開けて飛び掛かってきそうな雰囲気で,まるで聖書のアダムとイブをまんまと騙したサタンの様にも見え、ロドリゴを転ばしたのもサタンの罠に。。。と呟きつつ雨上がりのモールを歩いていたとき、右足が縺れ、すってんころりと滑って大勢の人々の前で転んでしまった。後で気がつくと、アブラムシの様に頭を地面に就け足をばたつかせていた

一瞬真っ暗に成り、周りの状況が掴めないでいた。3、4人の男性達が私の頭の方にしゃがみ、「Are you O.K? May I help you!」と案じていた。しばらくして、ゆっくり立ち上がり歩き出してみた。コーヒーを飲んでいる人々、スイーツを楽しんでいたあらゆる人種の方々が一斉に心配そうに私を視つめていた。穴があれば入って隠れたい所だが、右足がピリピリ痛み、ビッコをしながらやっとの思いで車にたどり着き、自分はなぜ転ぶ映画を見て転んでしまったのだろう。自分の信仰も弱く古びて、もろく成って来たのだろうかと思案しつつ家に帰り着き、息子に 「映画館の近くで、マミーね 転んでひっくり返っちゃったのよ.転ぶ映画を見てさ、未だに痛い,痛いよう」と顔を歪めながら、ああだった,こだったと,手足を上げて説明していると、彼がケラケラ、ケラケラ大声で大笑いをしながら;「マミーは愛すべき役者だね,映画を見るより今の実演の方がずーと面白い。」と

俳句

枯れ野原、緑吹き出す、春の庭

   白い滝、無数の光り、秋空に

短歌

アメリカが、2つに分かれ,若者は、夢を失い、さま酔い迷う

ソロモンの,宮での祈り、トランプも、知恵が欲しいと、政権統治