『シン・君主論 〜 202X年、リーダーのための教科書』を読了
運命の女神は果敢な者に従う!
自分の本にサインを求められたときに、いつも書く言葉ですが、これは『君主論』の中の一節を僕が勝手に短くしたもの。
それくらい『君主論』は大好きな本で、何よりも、著者のニッコロ・マキャヴェッリが当時(西暦1500年前後)国内外の君主たちと接する中で、「この君主の中に一筋の光を見た!」「君主かくあるべし!」と心酔して、『君主論』を書くキッカケにもなったチェーザレ・ボルジアに関しては本も漫画もほとんど読んでいるくらい大好き!
なのに、、、この本『シン・君主論 〜 202X年、リーダーのための教科書』は、”今の” 僕にはスーッと入ってきませんでした。
現代の日本のビジネス状況に合わせて、『君主論』をベースに「リーダーシップ」という文脈で書いているので、僕にはドンピシャな本なはずで、書いていることに何も反論はないんだけど、でも、ちょっとなーーーーと思ったのは、、、
おそらく、とにかくリーダーは強くなきゃダメ!実力を備えた強いリーダーが求められる!ということが、これでもかというくらい迫ってくる書き方をしているからだろうと思いました。
もちろん言っていることはすごく正しいと思うのと、小気味いいくらい現代の日本のビジネスパーソン、リーダーたちをぶった斬っているんだけど、最近、僕は「弱い人ほどリーダーシップを発揮できる!」というところに立っているので、、
ちなみに、それとは別に、この本で一番大好きな箇所は「日本社会は本来アジャイルでフレキシブルだった」と書かれていたところ。
(アジャイルもフレキシブルも、別にカタカナ使わなくてもいいんじゃ?というのは置いておいて、、、)ここに書かれていた「日本人も日本社会も、本来もっと “ユルい” のだ。」というのは、僕が講演でよく話す「日本人は時間にルーズだった!」と使う話に近いものがあります。
一節を抜粋すると、、、
「日本人が真面目で秩序を重んじるというのも幻想で、歌舞伎の世話物や落語の題材を見ればわかるように、登場人物である江戸の庶民たちは総じてだらしなく、働くのを嫌がる怠け者ばかり。歌舞伎の世話物は当時の庶民にとっての現代劇なので、これが江戸時代のリアリティだったのだろう。そして、当時の日本は、とてつもなくクリエイティブだった。歌舞伎や浄瑠璃にしろ、浮世絵などのアートにしろ、現在も日本が世界に誇る文化が花開いたのはこの時期だった。」
グローバル人材育成やグローバル教育に関わっている人たちの中に、「日本人は〇〇だけど、海外は〇〇で、、、」とまことしやかに話す人がいる(というか、そんな人たち多いですよね⁉️)けど、こういうことも知った上で、まずはその固定概念やステレオタイプを壊して欲しいよなー