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第一章 桜花月団開花物語 内幕

2018.03.30 13:00

🌙欠ける記憶 雲隠れ🌙




 それはまるで、記憶が雲によって隠れてしまっているようだった。紫さんと話しているとき、里舞さんと話しているとき、それ以外でも感じていた違和感。これは“私の話している言葉”じゃない。確かに自分の口から発せられる言葉だし、自分の声に聞こえるし、相手もそう聞こえているんだろうけど。

「美月?」

「あっ、あぁ……何ですか?」

 突然、隣で一緒に歩いている里舞さんが話しかけてきた。相手が話しているときもこの言語が使われていて、聞いたことも習ったこともないはずなのに、言葉の意味が分かってしまう。

 里舞さんは私の顔を心配そうに覗き込んで、耳に掛けていた髪が崩れたのを手で掛け直していた。

「いや、浮かない顔をしていたものだから。気になって」

 どうやら私は考えていることが顔に出てしまう性分らしい。

 私の説明力じゃ上手く伝えられないだろうけど、相談してみる価値はあるかもしれない。よし、と気合いを入れたら、どうしたーと先導している魔理沙さんに声をかけられた。何でもないです、と返す。

「里舞さん、私の話している言葉って何語ですか?」

 案の定、訝しげな顔をされた。

「日本語じゃない。何で?」

 にほんご。

「にほん……」

 私が顎に手を当てて唸っているのを見て、里舞さんは言う。

「……美月ってどこから来たの?」

「どこからってそりゃあ」

 続きを言おうとした、そのとき。

 耳を劈くような奇妙な音がした。

「っ!?」

 思わず耳を塞いでも音は止まず、次第に頭が痛くなってきた。耳を塞いでしゃがみこむ私に、里舞さんがどうした美月、と呼びかけてくれているような気がするが、謎の音に掻き消されてよく聞こえない。ぎゅっと目を瞑ったらだんだんと音は小さくなっていった。

 目を開けるとそこには里舞さんと霊夢さん、魔理沙さんが私を囲むようにしゃがんで様子を窺ってくれている。

「美月、どうしたの!?」

「歩き過ぎたかしら……大丈夫?」

「無理してたんだな。ここらで休むか」

 みんなの顔を見て安心した私は、冷静に深呼吸をして体の震えを止めた。そしてある決心をする。

「少しだけ、私の相談を聞いてもらえますか?」



 春の暖かい日差しを遮っている、近くの木の下に座る四人。木漏れ日の中の気温はちょうどよく、吹き抜ける風は心地よい。

「それで、相談ってのは何だ?」

 魔理沙さんが私を見て言った。まだ表情に心配の色が見える。

「私……記憶をなくしていると思うんです」

 笑顔で言ったつもりなのだが、私にはそんなことはできなかった。

「基本的な言葉は覚えていますが、お母さん、お父さんの顔も思い出せないですし、兄弟……何ていたかどうかも分からないです。住んでいた場所も、好きな食べ物の名前も、使っていた言葉も、全部」

 吹かれた風によって木々がさわさわと動き、私の顔に影を作った。

「美月……」

 三人の中で一番悲しそうな顔をしてくれていたのは、里舞さんだった。哀れみような複雑な表情といったほうが近いかもしれない。

 帰りたいって言わなかったのは帰る場所がなかったからね、と小さく呟いたのは霊夢さん。魔理沙さんも頷きながら真剣に聞いてくれていた。だが、話したいのはそんな話ではない。みんなのほうを見て私は笑う。

「でも!」

 バッと立って木陰から抜け出した。

 迎えてくれるのは太陽の光の暖かさ。

「私は“日暮美月”であって、もう過去の“みづき”ではないんです!」

 私は髪をなびかせながら、クルッと回って驚いている三人を見た。

「だから、相談とはいうのは……この世界のことを教えて欲しい、です!」

 そして最後に、こういうことを言うのって照れますね、と頬を掻きながら付け加えた。

「……見直したぜ。美月!」

 急に魔理沙さんが私のほうに飛び出してきた。

「お前がどこで育ってどういう経緯でここに来たかは知らないけど、とにかく私はいいと思うぜ、その考え!」

「私もそう思うわ。美月」

 霊夢さんも微笑みながらやってきて、私の肩をポン、と励ますように叩いた。

「過去のことを思い出せなくても、また不意に思い出せる日が来るかもしれない。その日まで過去のことは思い出さないようにするのも手よ」

 さっきうずくまってたのは思い出そうとしたからそうなったんでしょう、と霊夢さんは言った。当たりです、と私は笑う。

 霊夢さんの言う通り、自分からは思い出さないようにしようと思う。それにしてもあの耳に響いた音は何の意味をもつのだろうか。

「……美月」

 里舞さんは木漏れ日の下で私の名を呼んだ。考え事をやめて、里舞さんのほうを向く。

「過去を断ち切って今に目を向けるのは、すごくつらいことだって私は分かる。思い出したくない……そういうこともあるけど、楽しかった思い出もその中にはあるから」

 里舞さんはゆっくりと目を閉じながら、刀を握りしめた。風が吹いてその黒髪を揺らす。

「つらくなったら、いつでも相談してね?」

 目を開けて里舞さんは告げた。

「ありがとうございます!」

 私は里舞さんの気持ちが嬉しくて、そう笑顔で言ったのだが、その後からなぜか里舞さんが目を逸らして後ろめたそうにしているのには気づかなかった。



「まずは幻想郷のことからね」

 霊夢さんは人差し指を立てる。

 私たちは再び人間の里に歩みを進めていた。

「幻想郷とは今私たちが立っているこの世界のことで、幻想郷の外はそのまま外の世界、という名前の世界が広がっているわ。本当は日本とかそういう名前なのだけれど。それと幻想郷を隔てているのは常識と非常識……」

「博麗大結界ですよね」

 霊夢さんの説明を遮ったのは里舞さんである。

「……よく知っているじゃない。そう、博麗大結界よ。私、博麗の巫女と紫、他にも色々な人物が管理しているわ」

 私はおずおずと手を挙げる。霊夢さんが分かりやすいように簡潔に話してくれているのに、それを広げて詳しいところまで掘り下げるのは何だか悪いような気がしたからだ。

「常識と非常識とは何ですか?」

「いい質問だな」

 前から私にビシッと指を指したのは魔理沙さんだ。ちなみに右の前は霊夢さん、左の前に魔理沙さん、その後ろに私、横に里舞さんがいる。

「博麗大結界には外の世界を常識、幻想郷を非常識とする性質があるんだ。だから、外の世界の非常識を幻想郷に常識として入れることができる。つまり私も霊夢も里舞も美月も外の世界でいう非常識なんだ」

 頭がこんがらがってきた。何とか追いつきたいと思い、霊夢さんと魔理沙さんに質問しまくろうと考えた矢先、里舞さんが言った。

「美月、あとのことはこれから行く紅魔館の図書館で自分で調べたほうがいいと思うわ。きっとあなたの好奇心は底が知れないだろうから」

「たっ……確かにそうですね……!?」

 私が里舞さんに考えていることを読まれたということからの驚愕と、名案すぎる考えに驚いたその顔に、三人はなぜか爆笑し、道中は笑いに包まれたのであった……?



 人間の里に向かう道も終盤。さすがに笑いが絶えた一行の中で、里舞さんが不意に私に目を向ける。

「美月」

 さっきの笑い顔とは裏腹に、考え込むような顔をしている里舞さん。その声は前の二人に聞こえないようにしているのか、小さかった。

「どうしましたか……?」

 その理由は分からないまま、私は同じように声を潜めて問いかける。霊夢さんと魔理沙さんは気づいていない。里舞さんはゆっくりと告げた。

「私も……記憶をなくしていると思うの」

 一瞬時が止まったような気がした。

「えっ、それは」

「大切な人の名前と、その人と最後に会ったときのことについて……だと思うんだけど、それも定かではなくなってきたわ」

 浮かない顔をしながら里舞さんは言う。

「たいせつなひと」

「そう。大切な人」

 里舞さんは木漏れ日を潜った後、頷いた。

 私はどう声を掛けていいか分からなくて、口を開けては、また閉じる。全部の記憶をなくしたことと比べたら、その量は違っても悲しみはさらに深い。断片的に失うことの怖さは分かるが、私には共感できるほどの記憶がなかった。

「……ごめん、忘れてくれていいから」

 そう言う里舞さんに私はもっと悲しくなってしまう。でも、私はやっぱり何も言えない。

 絞り出したのは、大切な人と言われたときにふと思ったことだった。

「大切な人、私もいたような気がします」

 パッと里舞さんが私の目を見た。

「そうなの?」

「はい」

 そう言って笑うと、少しだけ記憶の雲が晴れたような気がした。日の光が私を見守るように照らしてくれていた。



            《三話に続く》

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