【日本産新鉱物】 大阪石 Osakaite
大阪石 Osakaite IMA2006-049 Ok
Zn4SO4(OH)6·5H2O;三斜晶系
IMAステータス:"Approved" (IMAが設立された1958年以降に承認された有効な種)
鉱物名:産地 (大阪府) にちなむ.
模式地:大阪府箕面市 平尾旧坑
模式標本:国立科学博物館 (ホロタイプ:NSM-M28983)
原記載:大西政之 (益富地学会館),草地 功 (岡山大学),小林祥一 (岡山理科大学)
- Ohnishi, M., Kusachi, I. and Kobayashi, S. (2007) Osakaite, Zn4SO4(OH)6·5H2O, a new mineral species from the Hirao mine, Osaka, Japan. The Canadian Mineralogist, 45, 1511-1517. https://doi.org/10.3749/canmin.45.6.1511
大阪府箕面市 平尾旧坑 (Hirao mine, Minoh, Osaka Prefecture; Type locality).FOV ~2.5 mm.
模式標本の片割れ.
大阪府箕面市 平尾旧坑 (Hirao mine, Minoh, Osaka Prefecture; Type locality).FOV ~1.8 mm.
これも模式標本の片割れ.
大阪石は大阪府から初めて記載された新鉱物である.この鉱物は私が発見に関わった2番目の新鉱物であるが,その誕生は難産であった.以下にその経緯を書いてみたい.
大阪石が発見された場所は,平尾旧坑と呼ばれる箕面市に位置する廃坑で,古くから “ラング石” が産出することで知る人ぞ知る鉱物産地であった.しかし,私が鉱物に興味を持ち出した1990年代後半には詳しい場所は不明になっており,幻の産地と化していた.そんな “ラング石” が欲しいという動機で平尾旧坑を探し始め,数回のフィールド調査の結果,ついに1999年3月に再発見することに成功した.再発見された平尾旧坑は銅・亜鉛の二次鉱物の宝庫であることがわかり,それから夢中で何度もフィールド調査を行った.調査を重ねていた1999年6月2日,坑壁にぶら下がっている “淡青色のつらら” を見つけた.暗闇で懐中電灯に照らされた “淡青色のつらら” はキラキラと輝いていた.これはただ物ではないと思い,軟らかそうなつららが壊れないように厳重に梱包し両手に抱えて持ち帰った.はやる気持ちを抑えて,数日後に益富地学会館の藤原 卓氏のもとで粉末X線回折を行ったところ,現れた回折パターンはJCPDS (現ICDD) の “ウッドワード石” に一致し,思わぬ希産鉱物の出現に喜んだ.が,話はこれで終わらなかった.当時の私には化学分析を行う手立てがなかったため,深く考えもせずにこの結果に納得し,満足していた.しかし,しばらくしてこの鉱物を電子プローブ・マイクロアナライザー (EPMA) で定性していただく機会に恵まれた.その結果は,Zn,Cu,Sが主成分で,ウッドワード石に含まれているはずのAlがまったくないというもので,すっかり途方に暮れてしまった.
その後,2001年に大学へ入学し,間もなく鉱物学が専門の小林祥一先生のもとで鉱物の研究ができるという願ってもない機会に恵まれた (というよりも,研究室に押しかけて,居候させていただいたというほうが正しいだろうか.どこの馬の骨とも知れない学部1年生を受け入れてくださった小林先生の寛大なご配慮には感謝してもしきれない).最初の頃は同じ平尾旧坑から見つかり日本新産となったクテナス石やラムスベック石などの研究を行っていたが,これらの論文を書き上げて一段落した頃,“ウッドワード石” についても再検討してみようと思い立った.EPMAによる定量,粉末X線回折,赤外分光分析,物理的性質などの測定を行い,データを総合的に検討したところ,この鉱物はウッドワード石ではなく,1986年にオーストラリア連邦科学産業研究機構 (CSIRO) 鉱物化学部門のI.J. ベアー博士たちが報告したZn4SO4(OH)6·5H2O組成の合成物 (Bear et al., 1986) と一致することが判明した.合成物としては知られているが,天然では初めての発見,つまり新鉱物になる資格があるものだったのである.これには興奮したものの,肝腎な結晶学的データと化学分析値の精度がなぜかよくなく,新鉱物として確立するには不十分であった.それでも,ここまでの概要をひとまず2003年に仙台で行われた日本鉱物学会で発表した (大西ほか,2003).
学部4年になってから籍はそのままで草地 功先生の研究室でお世話になることになった.草地先生は岡山県布賀や広島県久代の高温型スカルンの研究で著名で,それまでに9種の新鉱物を世に送り出されていた.大学院で草地先生の研究室に正式に所属になり,修士課程の研究テーマの一つとして岡山県布賀からの未知鉱物を与えていただいた.この未知鉱物は紆余曲折を経ながらも約1年でデータをまとめることに成功し,新鉱物・沼野石として国際鉱物学連合の新鉱物・命名・分類委員会 (IMA-CNMNC) に申請するところまで漕ぎつけた.しかし,平尾旧坑のZn4SO4(OH)6·5H2O組成の新鉱物候補の研究は暗礁に乗り上げたままで,1年以上が経過していた.そんなある日,顔なじみのインド人ポスドク (変成岩岩石学者) が草地研究室に来られた.実験の合間に雑談していたときのこと,私の机に飾っていた “淡青色のつらら” を指差して 「あれは何だ?」 と言われる.私は 「新鉱物になる可能性がある未知鉱物ですが,分析が難しく研究がストップしています」 と答えた.するとインド人ポスドクはすかさず 「それではダメだ.こうしている間に誰かが先に研究して発表してしまったらどうする.何の意味もなくなる.今すぐ研究を再開して,論文を書け!」 と発破をかけられた.科学の世界で二番煎じはダメなのである.この言葉に私は非常に大きな衝撃を受けた.
この頃には沼野石の新鉱物申請を経験しており,その知識を駆使して平尾旧坑のZn4SO4(OH)6·H2O組成の新鉱物候補の研究に改めて取り組むことにした.さまざまな検討を行っている中で,この鉱物は約35℃で1分子の結晶水が脱水し,四水和物のナミュー石に変化することを突き止めた.またこの変化は,真空下やX線照射によっても起こることがわかった.面白いことに,脱水してできたナミュー石を水に浸すと,いとも簡単に元の五水和物に戻ることもわかった.そこで,脱水の影響を受けない定量手法として,試料を希硝酸に溶かして測定する誘導結合プラズマ発光分光分析法 (ICP-AES) と粉末をそのまま加熱する熱重量分析法 (TGA) を組み合わせることによって,少量のCuがZnを置換して含まれるもののZn4SO4(OH)6·5H2Oにほぼ一致する分析値を得ることに成功した.これらの分析では約50 mgのほぼ純粋な試料を消費したが,比較的多くの試料が得られていたことが幸いした.結晶学的データについても,脱水と選択配向に注意して測定した粉末X線回折データから十分な精度の格子定数を求めることができた.これらのデータをまとめてIMA-CNMNCに新鉱物として申請した.鉱物名は産地にちなんで “osakaite” とした.鉱物の和名に命名規約はないが,慣例にしたがうと “大阪石” となる.平尾旧坑産の新鉱物候補はほかにもあったが,微小で微量のため新鉱物として確立できる確証がなく,また鉱物産地が少ない大阪府からは他から新鉱物の発見があまり期待できそうにないため,まず大阪の名前をいただくことにした.
待望の大阪石承認通知のメールがIMA-CNMNC委員長であるオランダ・アムステルダム自由大学のE.A.J. バーク教授から届いたのは,私が大学院を修了する1か月前の2007年2月であった.審査結果に大きな問題はなかったが,審査委員からの鉱物名に関するコメントの一つに 「箕面石ならもっとよい」 という一文があり,心に少し引っかかった.ともあれ,念願の新鉱物誕生に喜びはひとしおであった.
鉱物に限らず,動物や植物などもそうであるが,研究に用いて新種の根拠となった標本を模式標本 (タイプ標本) といい,厳重に保管されなければならない.そのため,大阪石の模式標本は日本で最も多くの鉱物の模式標本を所蔵しており,万全の保管体制がとられている国立科学博物館 (科博) へ寄贈することにした.大阪石の模式標本は非常にもろくデリケートなので,厳重に梱包し,当時は東京都新宿区百人町にあった科博の地学研究部 (現在はつくば市へ移転) へ郵便で送り出した.学生ながらに娘を嫁に出す親の気持ちとはこのようなものだろうかと,感慨深いものがあった.長旅の途中で壊れないだろうかと気を揉んだが,科博の松原 聰博士から無事に到着したとの連絡を受けホッとした.しかし,まだこれで終わりではないのである.
新鉱物は,IMA-CNMNCから承認を受けてから2年以内に学術誌で論文としてその内容を公表することが申請者に義務づけられている.そのため論文執筆は新鉱物の誕生を締めくくる重要な仕事なのである.大阪石の記載論文は,世界中から発見された新鉱物の論文が数多く掲載されているカナダ鉱物学会が発行する国際誌The Canadian Mineralogistに投稿した.幸い査読はマイナーチェンジでパスし,2007年末に無事掲載された (Ohnishi et al., 2007).最初に “淡青色のつらら” を見つけてから8年もかかってしまったが,これでようやく肩の荷を降ろすことができた.
振り返ると,大阪石が世に出るまでに,非常に多くのきっかけと人々との出会いがあり,それらに導かれたものだったのかもしれない.もし平尾旧坑が再発見できなかったら…,もし大学で鉱物の研究をする機会がなかったら…,もし分析に必要な量の試料がなかったら…等々,どれか1つでも欠けていたら,私が大阪石の誕生に関わることはなかったであろう.
大阪石の模式標本 (“淡青色のつらら”).国立科学博物館所蔵 (NSM-M28983).標本の左右長約60 mm.
もともと坑壁にぶら下がっていたもので,Ohnishi et al. (2007) のFig. 2の写真に写っているそのものである.科博に嫁ぐ前に撮影.
文献
- Bear, I.J., Grey, I.E., Madsen, I.C., Newnham, I.E. & Rogers, L.J. (1986) Structures of the basic zinc sulfates 3Zn(OH)2.ZnSO4.mH2O, m = 3 and 5. Acta Crystallographica, B42, 32-39. https://doi.org/10.1107/S0108768186098622
- 大西政之,小林祥一,草地 功,山川純次 (2003) 大阪府箕面市温泉町産含水塩基性硫酸亜鉛鉱物について.日本鉱物学会年会講演要旨集,K8-13.https://doi.org/10.14824/kobutsu.2003.0.134.0
- 大西政之,草地 功,小林祥一 (2007) 新鉱物・大阪石 Zn4SO4(OH)6·5H2O.日本鉱物科学会年会講演要旨集,K8-P01.https://doi.org/10.14824/jakoka.2007.0.204.0