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「宇田川源流」【日本万歳!】 スポーツの国際大会になると必ず出てくる日本人のマナーの良さ

2022.02.13 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 スポーツの国際大会になると必ず出てくる日本人のマナーの良さ


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや日本人が世界から称賛されているような内容を、この場を借りて皆さんに紹介し、その中で皆さんの中にもある「日本人のすばらしさ」を共有しようということを企画しております。

もちろん、単なる思い込みというようなところもありますし、また、そのような特性があることで、逆に作用してしまうということもあるかもしれません。しかし逆に作用するということがあっても、それは日本人のすばらしさの一つであるということになりますから、そのことをしっかりと認識しなければならないのではないでしょうか。

さて、今回は「日本人のマナー」についてです。

ワールドカップやオリンピックというように「世界大会」がある時は、必ず言われるのが「日本人の観戦マナー」ということではないでしょうか。例えば、サッカーなどでは、ヨーロッパでは「フーリガン」といわれるような人々がいて、その人々が暴力的に観戦をしてしまうことから、安心して観戦を楽しめないということがあります。

この事も、一つは「熱狂的」ということがあり、またそれが宗教的になってしまって、自分の贔屓のチームが負けたり、あるいは馬鹿にされたりということが、そのまま「信仰上の神を馬鹿にされてしまった」かのような反応になってしまうということになります。

もちろん、そこまで熱狂的に応援できる、心理的に入れ込むことができるというのは、とても良いことなのであろうと思いますが、一方で、スポーツなのですから、神が行っていることではなく、当然に失敗もあり、負けがあるから勝ちがより嬉しく感じるなどのこともあるのです。

そのような感じで「冷静に」スポーツを楽しむことができる。もっと言えば、負けた試合に対しても、悔しいということを思いながら「次は勝てる」というように期待をすることで楽しむということができるのではないかという気がするのです。

外国の人々から見れば「冷たい」とか「面白くない」というように考えるかもしれませんが、日本人の場合は「冷静に楽しんでいる」というような感覚になり、同じチームのファンであってもフーリガンのような行動をされると冷めてしまうという特性があります。

これは「スポーツ」という競技を楽しんでいるのであり、その内容をいかに考えてゆくのかということの問題になってゆくのではないでしょうか。


意外と知らないフィギュア観戦ルール 選手たちが驚くのは「日本人のマナーの良さ」

 元フィギュアスケート日本代表で「THE ANSWERスペシャリスト」を務める中野友加里さんは、ビギナーファン向けに競技にまつわる素朴な「17のギモン」に答えるミニコラムを大会期間中、毎日掲載。7問目は「意外と知らない観戦マナー」。

 ◇ ◇ ◇

 連日の熱戦で盛り上がるフィギュアスケート。五輪を機に、日本で行われる大会を観に行ってみたいと思う人もいるかもしれない。

 フィギュアスケートには、多くの競技と同様に観戦マナーがある。選手の演技中の私語や飲食、撮影もNG。プログラムの音楽と報道カメラマンのシャッター音だけが響く。応援の国旗やバナーはほかの観客の妨げにならないよう、手持ちサイズで肩から下で掲げることが推奨されている。

 そうしたマナーの下、熱心に応援してくれるファンの存在は選手の力になる。

「今は声を上げての応援はできませんが、コロナ以前は素晴らしい応援が選手を後押ししてくれました。私が小さい頃はマイナー競技だったので、観客席はガラガラ。選手の両親や祖父母、所属するクラブの保護者くらいで、演技前に『友加里ちゃん頑張って!』という声が響く。でも、メジャースポーツに駆け上がるにつれ、その声が消えるくらいのファンの方の熱量で、声援が大きければ大きいほど嬉しくて力になりました」

 選手としてフィギュアスケートを経験し、引退後はフジテレビ記者として他競技を含め取材した中野さんは「フィギュアスケートは凄くマナーが整った観客の方が多い」と日本人ファンの姿勢に驚く。

「競技によっては飛んでしまう野次も全くなく、純粋に選手を応援する空気。演技前に選手の名前がコールされた途端、わーっと声援が上がり、スタート位置につく時には誰一人喋らない。あれは日本ならでは。海外では喋ったり、飲食もしたり、ざわざわしながらスタートすることがあります。選手も音楽を聞き洩らさないようするので、小さな音も聞こえます。日本では咳をしたら響くほどの静けさ。あのマナーは素晴らしいです」

    選手がもらうプレゼント、なかには珍しい物も…

 フィギュア選手とファンの存在でいえば、特徴的なものがプレゼント。客席から花やぬいぐるみを投げ入れる光景は、コロナ禍以前はお馴染みだった。実は、競技会場で選手宛のプレゼントを受け付けていることが多い。

「お花は可能な限り持って帰り、家で母が生けて飾ってくれました。プレゼントは仕分けして食べ物やグッズなど種類を分け、持って帰るのですが、ありがたいことにいろんな物を頂きました。疲れを取ってくださいということでバスグッズや、髪飾りをいただいたり、男子選手は汗をかいて得点発表を待つキスアンドクライで目立つこともあるので、タオルをいただいたりすることが多かったそうです」

 なかには珍しい物もある。

「プログラムに使ってほしい曲や自分で作った曲をCDでいただいたこともあります。素敵だなと思ったのは『シンデレラ』という曲を使ったプログラムでいただいたもの。夜の12時にシンデレラの魔法が解けるストーリーですが、その魔法が解けないように12時の4分前で針が止めてある時計をプレゼントしてもらい、今も家に飾ってあります」

 女性ファンが多いフィギュアスケートだが、応援の想いがこもったプレゼントは男女問わず、選手からするとうれしいもの。「いただけるだけで凄く嬉しかったです。ジュニアのグランプリ(GP)シリーズに出始めた頃に初めてファンレターをいただいたことは今も忘れられません」。フィギュアスケートという競技を作っているのは選手だけじゃない。ファンも、だ。

(THE ANSWER編集部)

2022年2月10日 9時3分 THE ANSWER


 今回の北京オリンピックでも同じように「日本人の観戦マナー」ということが話題になっている。

「競技によっては飛んでしまう野次も全くなく、純粋に選手を応援する空気。演技前に選手の名前がコールされた途端、わーっと声援が上がり、スタート位置につく時には誰一人喋らない。あれは日本ならでは。海外では喋ったり、飲食もしたり、ざわざわしながらスタートすることがあります。選手も音楽を聞き洩らさないようするので、小さな音も聞こえます。日本では咳をしたら響くほどの静けさ。あのマナーは素晴らしいです」<上記より抜粋>

海外でもゴルフの競技などでは、ショットの瞬間にかけて「静かに」という札が出て、ギャラリーに何も話さないようにするのが普通だ。単純に、「他人が集中しているとき」に「自分勝手にその集中を妨げる行為をしない」というのは、日本人であれば当たり前である。基本的には、日本人は「自分勝手」を強く戒める文化がある。「和を以て貴しとなす」というのは、逆に言えば「自分勝手で和を乱す」ということを最も蔑んで見ているという文化であることは間違いがない。

もっと難しい話をすれば、日本人の場合は多神教であり、「スポーツ」という競技にも「スポーツの競技の神」があり、また、勝敗にも神がある。そこで自分勝手な行動をすれば、その次にそれらの神々に見放されてしまうというようなことになる。このように「勝負に神」というと、それは勝利を祈願して神に祈るということは、他の競技でもすべてある。

しかし、それが「勝負」ではなく「競技」であっても勝負に見立てて神に祈るのだ。今ちょうど大河ドラマをやっている源平合戦。屋島の戦いにおいて那須与一が、平家の差し出した扇を射抜く時、やはり「南無八幡大菩薩」と祈ってから弓を射かける。見事扇を射落とすのであるが、それは「戦の中の出来事」でありながらも、実際には戦そのものではなく、たんなる「余興」でしかない。その中でも、自分の名誉を掛けて、神に祈っていることを見れば、競技というものであっても神がいるということがみえてくるのではないか。

その意味で「競技」に神を感じている日本人は、競技の勝敗そのものよりも、神を冒涜するようなことはしないのである。そのことまでわかっていて、スポーツの観戦マナーを書いている記事がないのは少々残念なところではあるが、まあ、そこまで難しい記事の紙面を割くことはなかなかないのかもしれない。

今回のオリンピックは、昨年の東京オリンピックと同様に、一般の観客は入場できない。招待客やスポンサーしか入ることができないとされている。その為に、「観戦マナー」といっても、よほど変な人は入ってこないし一般の内容では異なるというような感じになってしまう。しかし、そのような中でも、この記事のように「日本人のマナー」が話題になるということが、やはり日本人の素晴らしい所ではないか。日本人からすれば、「自然に行っていること」でしかないのかもしれないし、また当然の事なのかもしれない。しかし、その当然のことが、海外に行くと当然のことではなくなってしまう。その日本人の国民性が、このように言われているということが、最も良い話ではないのか。

ラグビーのワールドカップや、そのほかの世界大会でも、日本人は「観戦後にごみを片付けてから帰途に就く」など、称賛されていることは少なくない。そのような日本人の素晴らしい所は、自分たちが世界に広めるというような形で、今後日本のすばらしさを体現してゆくことが良いのではないか。