2月13日 主日礼拝
2月13日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書11章20ー24節
主イエスの奇跡とは何か。
何を期待して主イエスは奇跡を行ったのか。
「奇跡が本当か、嘘か」を議論するのが奇跡の受け止め方ではない。
主イエスは怒っている。
奇跡を目撃したのに、ちゃんとした反応をしなかった街に怒っている。
どのような反応が求められていたのか。
奇跡は何を期待されて行われたのか。
「悔い改めなかった」
これに主イエスは起こっている。
奇跡が期待している反応。
悔い改める。
悔い改めとは何か。
「奇跡」と「悔い改め」はどうして連動すると主イエスは思っているのか。
心が「富」に「人の評判」に「家族」に飲み込まれると、自分が分からなくなる。
心が支配されていなければ気が付くはずだ。
目の見えない者が見えるようになる。
足の不自由な者が立ち上がる。
病気の者が元気になる。
死者が復活する。
心が支配されていなければ気が付くはずだ。
見えないものは見えないままだと思っていた。
歩けない者は歩けないままだと思っていた。
病は治らないと思っていた。
死んだ者は、どうすることもできないと思っていた。
思っていたことは違った。
私が思っていた世界と全く別のものが世界にはある。
世界はもっと大きかった。
その発見を「悔い改め」と言う。
主イエスの第一声は「悔い改めよ、天の国は近づいた」。
本当の世界は違っていた。
あたかも別の世界があるかのごとくに違っている。
天の国があった。
その世界を人は受け入れられない。
人の評判、富、家族
人に、人が作ったものに支配されているから。
人が作ったものが世界だと信じ込んでいるから。
世界は人が作ったものではない。
神が造ったもの。
だから人の「知っている」ことを超えている。
その世界を受け入れる。
悔い改める。
反省ではない。
ある一つの世界の規則に反したから、その世界に復帰するために行う儀礼ではない。
本当の世界を喜ぶ。
神の業を喜ぶ。
悔い改める。
自由な心。
喜んで生きる。
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