想像力と創造力のジャンプ。
何一つまとわず、飾り気もなく、溢れる言葉だけを毎日ブログに書いていた頃が懐かしい。
かなりのファンもいたが、いつの間にかあの日常的な情熱をどこに置いてきたのか。
時に怒り、悲しみ、大いに笑い。その感情のままにPCに向かい、ひたすら溢れる言葉を残した。あの経験から、私は筆圧の大切さに気がついたのだが。
写真は2006年サッカーワールドカップの年。
ふと、「ソウルで熱狂的な韓国サポーター「レッドデビルズ」の中で、サッカー観戦をしてみたい!!」と思い立ち、会社のスタッフとともに訪韓した時の1枚である。
赤いシャツを着て、日本をライバル視する韓国サポーターのど真ん中に入るのは、勇気がいることだが、あの熱狂的な韓国サポーターの熱気の中に、韓国サッカーと日本サッカーの温度差みたいなものが見えないか・・・そのような感覚が勝ったのだ。
好奇心は単純だ。見てみたい。それだけで十分。
大学時代への単身のアフリカ旅もそれだけだった。
この夜の前は、明洞のスポーツバーで、ブルーのユニを着て、日本代表を応援。その帰り道、我々のユニ姿を見た韓国人から野次が飛んだことが、逆に翌日の夜のワクワク感を増長させた。
日本人とばれたら、只で済むだろうか・・・・まあ、良い、その時はその時だ。
そんな身軽なジャンプ力こそが、人生を導く。と思う。
一人が歩いてきた人生、また、その価値観などは、しれている。
世の中、かなり自分の意見や価値観に自信がある方を時々見かけるが、その守りの懸命さを見ると、こちらが息が詰まりそうになり、安易な同意に逃げてしまうことも多かった。
いや、そこにいることは、すでにあまり意味がないので、この環境の中で楽しみを見つけることに変更したと言ったほうが良いだろう。
だからこそ、自分のフィールド、居場所はしっかり確保したいのだが、それがなかなか、身近には見つからない。
・・・・。そうだろうか?
やはり、私は想像力と創造力が欠如し始めている。
私を素直に出さないと、私の仲間は現れないのだ。また、私をどんな者なのだ?と興味深く観る可能性がある者とはであう確率が落ちてしまう。
だから、今更ながら、あの時みたいに、素直に、思いつくまま書くこととした。