「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 敗戦という報せの中での女性の争いと「負けていった者たち」への思い
「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 敗戦という報せの中での女性の争いと「負けていった者たち」への思い
水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、私の好き勝手なことを書いている。私自身は歴史好きであり、歴史小説を書いている身でありながら、この平安末期から鎌倉時代についての小説は書いていない。最近、京都府丹波地区(亀岡市・南丹市)などから依頼を受けて、その地区における源平の史跡を交えて「短編小説」を作っているのであるが、これはこれでなかなか面白い。
源平の時代は、天皇と源平の武将の距離が近い。また江戸時代のような儒教的な道徳もないし、また主従関係も全く違うような感じになっている。「御恩と奉公」ということは、学校で習うことであると思うが、まさにそのような「精神的なものを除いた契約的な利害関係による主従関係」ということになるのであり、そのことが、様々な人間関係を生むことになる。江戸時代の表に「武士の棟梁」といわれるものが多くいたり、あるいは、天皇が意外と身近に出てきたりするということになる。
この回のドラマも、後白河法皇がかなりコミカルな「生霊」なのか「夢」なのかは解釈次第だが、そのような感じで出てくる。二年前の「麒麟がくる」のときの坂東玉三郎さん演じた正親町天皇とは全く異なる「軽さ」である。それがまた面白さではないか。
これには、この時代の二つのことがある。一つは、「儒教道徳がない」ということであるが、もう一つは源氏も平家も、「天皇家の血を引いている一族」であり、なおかつ「北面の武士」など、御所の警護をしていたのであるから、かなり近しい関係であるといえる。今で言えば、「旧皇族」の若者が、武装して皇居の周辺を警備しているというような感じであろう。当時はそんな感じであった。それだけに「親族」でありなおかつ「武士」であり、そして「棟梁」なのである。
そのような関係性があったうえでの、ドラマになるので、なかなか面白い。
「鎌倉殿の13人」八重VS政子第2R“夢枕マウント合戦”にネット爆笑!小池栄子“バケツ”蹴りも炸裂
俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は13日、第6話が放送された。
<※以下、ネタバレ有>
ヒットメーカーの三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。
第6話は「悪い知らせ」。1180年(治承4年)、大庭景親(國村)率いる平家方の前に大敗を喫した頼朝(大泉)の一党。この合戦により、北条家を引っ張ってきた宗時(愛之助)ら有力な坂東武者が戦死。敵の追撃から必死に逃れる頼朝は、信頼を置く従者・安達盛長(野添義弘)らとともに石橋山山中に身を潜める。一方、兄・宗時の熱い想いに決意を新たにした義時(小栗)は、再起を図るべく父・時政(坂東彌十郎)とともに甲斐を治める武田信義(八嶋智人)の元へ向かう…という展開。
戦が始まり、政子(小池栄子)実衣(宮澤エマ)りく(宮沢りえ)は伊豆山権現に避難中。そこへ八重(新垣結衣)が訪れる。
八重は「石橋山での負け戦。佐殿は依然として行方知れず。皆さま、さぞ、気を揉んでらっしゃることと思います。されど、佐殿は間違いなく、生きてらっしゃいます。昨日の明け方、夢枕に立たれたのです。佐殿はおっしゃいました。私は生きている、案ずることはないと。少しやつれておられましたが、お達者のご様子でした」と報告。
政子も負けじと「不思議なこともあるものだわ。佐殿は夕べ、私の所にもやって来られました」「私の所に見えたのは、確か夜中でした」。りくは「あなた(政子)の所にお見えになってから、そちら(八重)へ向かわれたのですね」と続けた。
八重が帰ると、政子は「なんで、あの女の夢枕に立つの。腹が立つ。うちには来てません。だって、悔しいじゃないですか。放ってなんかおけません!」と拭き掃除中の実衣の水の入った桶を蹴り飛ばした。
第2話(1月16日)に続く頼朝の前妻・八重と後妻・政子の“直接バトル第2ラウンド”。SNS上には「夢枕マウント合戦w」「政子、バケツに八つ当たりw」「今日も最高だよ、栄子」などの声が相次いだ。
2022年02月13日 20時45分 スポニチアネックス
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-1469698/
逆に、天皇との関係はそのように変わってくるということになるのであろうが、男女の関係は全く変わらない。今回はその内容から始まる。
三谷幸喜の書く男性というのは、「頼りないが魅力がある」という男性が多い。真田丸の時の草刈正雄さん演じる真田昌幸もそうであったが、普段は本音では無し、砕けたっ表情でありながら、いざ決めなければならない時には、頼りがいのある棟梁になる。それこそが「男性の魅力」なのではないか。そのようなことがしっかりと書かれている所が面白い。そして、そのような男性は、なぜか、女性に非常にもてる。今回もそうである。男性から見ればわがままを言い、廻りを振り回し、それでありながらも、源氏の棟梁として武士を率いるというような形になる。そのような一見情けない男性を大泉洋さんが非常にうまく演じているのであるが、そのコミカルでそれでもどことなく魅力のある頼朝に対して、八重(新垣結衣)と政子(小池栄子)がどちらの夢枕に頼朝が来たのかで言い争う。
しかし、今回(第6話)の主題はそうではない。そのようなコミカルな演技をすることによって、逆に、そのあとの悲しみを深くえぐりだす演出になっている。悲しみを表現するのに、その前の「コミカル」を使うことで、深く訴えかける技法は、さすがではないか。
そのあとに八重が、自分と頼朝の間の子である千鶴丸が殺されていたことに気づき、そして泣き崩れる。緑の森の中で、赤い着物、僧侶の茶色と、非常にコントラストに遷り、その赤い着物が石に向かって崩れる映像は、セリフよりもはるかに悲しみを表現している。
一方、北条時政(坂東弥十郎)と義時(小栗旬)も同じだ。兄の宗時(片岡愛之助)がいつまでたっても戻らない。しかし、どこかにいるに違いないというような感じで待っていると、兄が探しに行った仏像が出てくる。それまで武田信義(八嶋智人)の所に行くと「もう裏切ろう」などといい、なおかつ、その後も船で源頼朝をおいて出て行ってしまう。しかし、そのようなコミカルな演技をしながら、最期に宗時の死を知り、そして、そのことから義時は頼朝を説得する。
源頼朝に近しい人の二つの死。その二つの死を「コミカルからの死の報せと悲しみ」というコントラストを非常にうまく使った内容ではないか。そして「死」があり、その死を乗り越えることによって、結束が固くなる。死んでしまった人が、死んでしまったことから「大きな役割を果たす」という、死の先にある「何か」をうまく使った内容ではないか。このようなドラマの作り方をしているので、やはり多くの人を魅了するのであろう。
そして悲しみを乗り越えたところで、人がつながる。今回の物語から、「平家打倒」は「坂東武者のため」ではなく「死んでいったもののため」という意味を含む戦いになるのではないか。その心理描写が非常に面白い。