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渋谷昌孝(Masataka shibuya)

(QPA)

2022.02.14 13:21
Q=問い

P=問題

A=答え



いま便宜上このように記号で表すことにしよう。ここで(QPA)というかたまりを考えてみる。次に個々にこのかたまりがあるとすれば、(QPA)1(QPA)2(QPA)3…(QPA)nと一般化できる。以下この記号の説明を試みたい。


はじめに強調したいのは、問いと問題と答えが分離しておらず、串刺しの三つの団子のように並んでいに違いないという発想である。答えにはその答えに準じた問題があり(問題の設定を誤ると答えは得られない)、その問題にはまたその問題に準じた(適した)問いによってのみ問われることができるという意味である(問いこそが問題を発見する!)。問いこそが問題をつくり解決に至る道の出発点なのだから。オリンピックになぞらえれば、問い=金、問題=銀、答え=銅になるだろう。そしてこの串刺しの三つの団子を(QPA)と記号で書くがもっとわかりやすくしたい。問題というものが単独で存在しないということを主張している。問題と答えは、コインの表裏として切り離すことが不可能な様式で存在しているのではないかというアイデアがまずある(問題が陳腐ならば答えも自ずから陳腐になるだろうし、問題の水準によって答えの水準も決まる)。次に、この問題と答えが表裏一体となったコインに対しての「問い」というものがあるが、この「問い」は、このコインに対して唯一の「問い」であること。すなわちPA(=問題と答え)というかたまりに至る唯一の「問い」が存在し、それをQと表す。「問い」であるQは決して何でもいいのではなくPA(問題と答え)への方向性をもった問いという性質がある。その方向性とは問題を答えに導くべき適切な領域に向かって問う仕方のことである。コイン(PA)が黄金であるのか鉛であるのかは、「問い」=Qの仕方に大いに依存している。問題が解決に向かうような「問い」の仕方によってのみPAが開示されるので「問い」であるQをPAと連続させると(QPA)のように串刺しにされた団子になる。いま存在しないものでも(QPA)とみなすことができる。存在していないときの(QPA)とは初めのQが見つかっていない状態である。Q→(QPA)と書くなら、問いが正しい問いであるQに一致しているときのみ(QPA)の存在は開示されている(Qは問いのこと)。ここではQ=Qであるが、もし、Q≠Qならば(QPA)は存在していないことになる。Qが生きてこないとPである問題さえなかったことになってしまう。答えどころか問題化すらされていないのは恐ろしい。(日本の学校教育は、問題と答えの往復(P⇄A)が主であり、PAを規定しているQにはあまり関心がないようである。Q→PAとなるはずなのに、×→PAとなってしまっている。つまり、Q=(×→)=0として問いが無視されている。Q=0であるときの(QPA)はまったく味気ない。本質的に空回りと言ってもいい)。


ところで、これら一連の(QPA)が無数にあることが予想されるので、(QPA)nと仮に示すと都合がいい。つまり(QPA)1…(QPA)2…(QPA)3……(QPA)n。

さらに簡略化すれば

Σ(QPA)

と表すことができる。

ところでこの記号は何を意味しているのだろうか?