「こゑ」と「おと」と「ね」
法律の話ではないけれども、忘れないように書き留めておこう。
祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声
諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひび)きあり
娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花の色
盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす
奢(おご)れる人も久(ひさ)しからず
唯(ただ)春の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし
猛(たけ)き者も遂(つひ)には滅(ほろ)びぬ
偏(ひとへ)に風の前の塵(ちり)に同じ
日本人ならば、誰もが暗記している『平家物語』第一巻「祇園精舎」の一節だ。
『平家物語』の根底をなす仏教の無常観を端的に表した名文であり、現代語訳するまでもないほど親しまれている。
だからこそ
「なぜ鐘の『音』ではなく、鐘の『声』なのか?」
と改めて問われると、答えに窮するかも知れない。
かく言う私も、ずっとモヤモヤしていたのだが、後に、源信の『往生要集』を読んだら、古代北インドに実際にあった祇園精舎(精舎=寺)の西北の隅、日が沈む方に病気で臨終の人を寝かせた無常院と呼ばれるお堂があり、そのお堂の鐘の音の中から「諸行無常偈(げ)」の説法が聞こえてきたという話があって(上巻20)、あ〜だから鐘の「音」ではなく、鐘の「声」なのかと一人で勝手に納得していた。
「『諸行は無常なり。これ生滅の法なり。生滅滅しおわりて、寂滅なるを楽となす』と。 祇園寺の無常堂の四の隅に、頗梨の鐘あり。鐘の音のなかにまたこの偈を説く。 病僧音を聞きて、苦悩すなわち除こりて、清涼の楽を得ること、三禅に入り浄土に生れなんとするがごとし。 いわんやまた、雪山の大士、全身を捨ててこの偈を得たり。 行者よく思念して、これを忽爾にすることを得ざれ。」
(祇園寺の無常堂の四隅に、 頗梨(はり)の鐘があって、 その鐘の音の中にもまたこの偈(げ。韻文の形式で仏の徳を讃える詩。)を説く。 病気の僧が、 その鐘の音を聞くと、 苦しみがすぐ除かれ、 さわやかな楽しみを感じ、 三禅に入り浄土に生まれなんとするが如しだったという。 いわんやまた雪山で道を求めた大士は、 身を捨てて、 この偈を得られたということだ。 仏道を行ずる人たちよ、 よく思いをめぐらし、 決してうっかりしてはならぬ。)
ところが、下記の記事によると、理由はもっと単純で、『平家物語』の執筆当時は、鐘の音にも「声(こゑ)」が用いられていたからだそうだ。
記事が引用している『日本国語大辞典』(小学館)の「おと【音・声・響】」の[語誌]には、
(1)現代語の「おと」は無生物の発するもの、「こえ」は動物など生物が主に発声器官を使って発生させている(と聞き手がとらえた)ものを表わし、無情物対有情物の対義関係にあるが、古くは「こえ(こゑ)」は生物の声のほか、琴、琵琶、笛など弦・管楽器、また、鼓、鐘、鈴などの打楽器などの音響にも使われた。特に弦・管楽器については原則的に「こゑ」が使われ、「おと」が使われるのは特別な場合に限られた。このことから、「こゑ」は発生源そのものの性質と深く結び付いた独特の音声を指し、聞けばそのものと認識されるような音声に対して使われていたものと考えられる。それに対して「おと」は、古くは原則的に「物と物とがぶつかった時、あるいはこすれあった時に出る物理的な衝突音、摩擦音」を表わし、そのほか、耳ざわりだと感じられる大きな音声、かすかではっきりとは識別しがたい音声など、「こゑ」としては認識されないものの場合に使われている。
(2)類義語「こゑ」(聞き手を意識して出す)と「ね」(おさえきれず自然に出てしまう)とが、意図的か自然発生的かによって区別して使用されるのに対し、「おと」はその区別に中立であって、聞く人の感情移入がない。中古の和歌・和文では、「虫のね」「虫のこゑ」、「琴のね」「琴のこゑ」をはじめ感情移入表現が幅をきかしたが、「平家物語」の頃までに「ね」と「こゑ」の区別は稀薄になり、「ね」が「こゑ」に吸収される傾向が顕著となる。「こゑ」の用法も狭まり、表現も類型化する。
とあった(下線・太字:久保。)。
鐘は、打楽器であり、その音響を聞けば鐘だと認識されるので、昔は、鐘の「おと」ではなく、鐘の「こゑ」と呼んでいたんだね。
なるほどね〜。勉強になるわ!
「本音」を「ほんね」と読むのも、本心が抑え切れずに自然に出てしまうからなのだろうか。