2022年2月26日
誰かのお家を訪ねた時、「こんにちは」や「お邪魔します」と挨拶をする、これは礼儀であり作法です。
黙って入っていくという方もいらっしゃるようですが、親しき仲にも礼儀ありという言葉もあるように、礼儀を怠ると不和にも繋がっていくのです。
これは何も「人の家」を訪問する際だけではなく、様々な場面でも同じです。
神社仏閣、海や山、空き地、どこかに「入る」場合には、やはり礼儀というものが欠かせないのです。
神社仏閣のように礼儀作法が明確にされている場合には、それに則り、失礼のないように心がけましょう。
どうすればよいのか明確にわからない場合には、「立ち入らせていただいます」という気持ちと一礼を心がけてみましょう。
神社仏閣であれば、そこに祀られた神仏と携わる方々に対して。
その他の場合でも、そこに携わる方がいらっしゃればその方々へ、また誰も管理していない場合にも、その土地に対して。
何も知らない人から見たら、立ち止まり、一礼している姿は不思議なものかもしれません。
もし、あなたが一礼をしていることに対して質問があれば、それに答えられるようにもなってください。
私たちは、目には見えない存在というものに対して、見えないゆえに「ない」という態度をとっているのです。
そういう教育がなされていない、これが一番の問題なのですが、教えようにもどうしても宗教的な捉え方しかされません。
昔から「山の神様」とか「土地の神様」などの存在を敬ってきたものがあります。
目には見えなくても敬うべきものがある、そう考えられてきました。
それは私たちの生活に根づき、そしていつの間にか都合よく変化してきました。
つまりは、ご利益等だけが求められ、求めるにも関わらず付き合い方を教えずにきたのです。
本当にあるかもわからないのに、いちいち頭を下げるなんて…と考える反面、初詣で家内安全をお願いする、という矛盾。
信じているのか信じていないのか、この二択ではなく、ある時は信じているように振る舞い、ある時は信じていないと豪語する、中途半端な対応をしているのです。
むやみやたらと、見えない存在に怯える必要はないのですが、見えない=存在しないとして非礼な態度をとることは控えたほうがよろしいかと感じるのです。
なぜなら、そこに何かしらの存在があった場合、人によっては非礼な態度が自分に返ることがあるのです。
体調不良、不運が続く、時には生命の危機さえもあり得るゆえに、甘く考えないほうが身のためなのです。
人によって、と書きましたが、どんなに非礼な態度をとろうと一切関係のない人もいるからです。
あなたがどちらなのかはわかりませんが、ここを読まれているということは、少なからず無縁ではないということでしょう。