キリスト教分裂3-完璧帝ハインリヒ3世の禍根
2017.11.15 05:42
ハインリヒ3世で帝権は絶頂に達する。彼は父コンラート2世の英才教育を受け、1039年、22歳でドイツ王となったときは異論を持つ者は居なかった、さらにフランケン公、バイエルン公、シュバーヴェン公も兼ねており。この所領を弱小貴族に移管することで、ますます帝権を強めていった。
彼は帝国教会政策を強め、諸侯の力と対抗させるべくますます教会勢力を強めていった。それが次の代に仇になるとは思ってもよらなかっただろう。さらに彼は、ボヘミア、ハンガリー、ポーランドの周辺諸国にもドイツ王の権威を認めさせている。
1046年、北方を安定させた王はイタリア遠征を挙行。ハインリヒ聖帝以後ヴァチカンはまた乱脈を極め、ベネディクトゥス9世は何と銀1000タラントでグレゴリウス6世に教皇位を売却!その後も3人が教皇位を争った。ハインリヒは新たにクレメンス2世を立てて混乱に決着をつけてこの教皇により戴冠した。
1055年、イタリアで勝手に領地拡大をしていたトスカナ伯ゴッドフレードを追放。本人逃げ去り、母子が残された。ハインリヒは母子をドイツへ連行するが、残してきた長男と次女が死んでしまう。そして残った子供こそ「カノッサの屈辱」の仕掛け人、女伯マティルデであった。完璧な治世だったハインリヒは1056年病で崩御。残された5歳の息子に抑えられた勢力が襲いかかる。
下はヴァチカンを従えたハインリヒ3世