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「宇田川源流」【日本万歳!】 日本の素晴らしい食文化の中心である「米」を広める運動

2022.02.20 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 日本の素晴らしい食文化の中心である「米」を広める運動


 月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさや日本が世界から称賛されていることを、様々なニュースの中から選び、その内容をご紹介しながら、日本のすばらしさを再検証しようという連載である。実際に、日本の連載そのものの内容に関して、中には「こじつけ」とか「異論・反論」がある人もいると思うが、基本的には、それはさまざまあ考え方に過ぎないので、その内容に関しては、少なくとも私のブログにおいて私の個人の感想をかいているということにほかならないのではないか。

 そのうえで、そこに紹介されている内容は、「日本人の多くが同じ日本のすばらしさを共有している」ということを再認識し、我々「一般の日本人」もそこに賞賛されているのと同じ「日本人の国民性」を共有しているということを考え、そして普段の仕事を頑張っていただけるような活力になるように考えているのである。

 その意味において、まずは「日本人を知る」ということ、そして自分たちを知るということ、そのうえで、自分たちの所属する「日本」という国家とその国民性を考えるということになるのではないか。そのことが重要なのではないかという気がするのである。

 毎週、月曜日になると、休み明けで「マンデーブルー」というような話になっている人が少なくない。いまだにコロナウイルス禍などもあり、自分自身の行動や生活に疑問を持つ人も少なくない。もっと言えば、テレワークなどで人と人のつながりが薄くなってしまう状況の中で自信を失ってしまうような人も少なくないのではないか。そのような人に対して、「自信を持ってもらいたい」ということ、そして「日本人としての誇りを持ってもらいたい」ということが最も大きな内容ではないのか。

 そのような思いで、この「日本万歳!」連載を行っている。

 今回は、その日本の誇らしい中でも「日本食」に関してのことである。

日本産コメの良さを広めたい…NYの小学校でおにぎり配布

 日本産のコメを海外の人にさらに知ってもらおうと、アメリカ・ニューヨークの小学校で14日、子どもたちにおにぎりが配られました。

 ニューヨークのハーレム地区にある公立小学校でランチタイムに配られたのはおにぎり弁当。日本国内でのコメの消費量は毎年約10万トンずつ減り続けているため、海外に日本のコメの良さをより知ってもらおうと、ジェトロなどがおにぎりの配布を行いました。

 小学生「とてもおいしいです。おいしすぎてテンションが上がる」

 弁当を製造した企業の担当者によりますと、おにぎりは安くて手軽に持ち帰りができるため、コロナ禍のニューヨークでは、売り上げは大幅に伸びたということです。

 おにぎりは今後、ニューヨークの企業や病院にも合計約1500食が配布される予定だということです。

2022年2月15日 12時43分 日テレNEWS

https://news.livedoor.com/article/detail/21680225/

 日本食というのは、非常に素晴らしい食事であり、世界の中でも賞賛されている料理の中の一つであると、少なくとも私はそのように思っている。今から20年以上前の話であるが、中国に北京において中国の当時の高官と食事をすることがあった。その高官のおごりであったので、確かになかなか日本では食べることのできないような素晴らしい食材であった。もちろん、違法なものではない。

 その食事会の最中に、一緒に招かれた中国人から「日本ではこのようなものは気軽に食べられないでしょう」といわれた。もちろん、御馳走してもらっている立場もあるので、「非常に高級な食材で初めて見る食材が多く、素晴らしい」と答えた。中国人というのは、そのようにして、ある程度相手に何かを言わせてから、自分の主張を展開する。「では、今まで食べた中で最もおいしい料理はなんだ」と聞いてきたのである。私は、躊躇することなく「日本の料理である。特に、家族の作った料理が最もおいしい。このように高価な食材の前で申し訳ないが、家族の料理の方が素朴かもしれないが、私はそれを早く食べたい」といったのである。聞いてきた中国の高官は不満そうな表情をしたが、しかし、その席で最も高市にいる中国の高官は、非常に感心してこのように答えてくれた。

 「君の言うことは間違っていない。私も今でこそ一流の料理人の食事を毎日のように食べることがあるが、それでも死んだ母の料理を思い出し、もう一度食べたいと思うことがある。そのようなおいしいものを食べているから、この料理のおいしさや珍しさもわかってもらえるのだろう。君たち(そこにいた中国人たち)も、外国に行ったらこのように答えることができるよう、時間がある時は家に帰って家族の料理を食べ給え」

 味覚というのは、「幼い時の記憶」と「日常の生活習慣」である。当然に、その習慣があることによって「自分の味の基準」という物ができ、そしてその基準からの比較で「おいしい」「まずい」ということを決めるのである。当然に、日本人が「こんなモノ食べられるか」というような料理も、別な場所、別な習慣を持っている人にとっては「最高の御馳走」になるのかもしれない。そして「おいしいもの、まずいということを、普段の料理と比較して感じることができることそのものが文化」なのである。同時に、その料理の内容は「一回食べればおいしいが、毎日食べていると飽きてしまう」という物もあるし、また、毎日ずっと食べていても飽きないというような料理もあるのだ。

 さて、そのような意味で、世界から評判が高い日本の料理ということは、非常にうれしい話である。日本料理は、「出汁をとる」など、食材のおいしいところだけを取り出して、それ以上のところは捨ててしまう、それがまだ食べられるにもかかわらず、捨ててしまうのである。一方他の料理は「足し算の料理」である。同じような「ブイヤベース」などは、なんでも入れて、その上そこに調味料を入れて料理を作る。そのままそこに入れた食材も具になってしまうのである。このような文化は、日本の食材や日本の水などがすべて豊富にあり、おいしいところだけを取り出しても、飢餓で苦しむようなことがないという「環境」が整っていたということになる。

 その中心的な食材である「稲」・「米」は、世界でも評価が高い、もちろんそのような歴史的な内容ばかりではなく、コメの品種改良や育て方の工夫、何よりも農家の皆さんの日々の努力がもっとも素晴らしいのではないか。

 そのような食文化の中にあり、また、そのようなコメを毎日食べることができる。実に素晴らしいのではないか。そして、そのおいしいコメを食べることができることによって、笑顔が生まれ、そしてその笑顔が新たな文化を生むのである。日本の芯の強さというのは、この、食事に有るのではないか。私はそのように考えているのである。