試された日々(1)
こんにちは。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
今回は、昨日に引き続き、12月からの怒涛の展開をシェアします。
昨日、
「12月からの全てのことが、一つの『ドラマ』だった」
「『家族 対 わたし』=『わたし 対 主治医』のフラクタルになってた」
「12月からの展開は、すべて、わたしの内側の(学びのための)『投影現象』だった」
と氣づいた。ことをシェアしました。↓
これに氣づいたとき、
「わたし、本当に、自分が書いてきたこと、言ってきたことを体現し続けてる。」
と感じて・・・↓
今回は、この中で書いた
「毎日、毎日、パラレル移動しているような展開」
の部分に特化して、体験したことをシェアします。
12月頭に、お義母さんが、脱水症状&発熱から ”在宅看護” に突入して。
家族の介護力が低い(同居している家族がいろんな意味で十分に看れない)ことを理由に、
”施設入所” が視野に入りました。
もともと、秋ごろから ”特養” に申し込むことは決めていたのですが、
「今のタイミングだと、2月末までに申し込み~4月以降で審査、以降、順番が回ってきたら入所」
と言われていて、
「(お義母さんの病状変化から)それまで待てない」「それまでに家族が破綻する」ということで、
"老健施設" への入所を決めました。
12月頭からの ”点滴治療&尿道カテーテル管理” を経て、改善に合わせてそれらを止める方向にもっていって、
12月末には、”デイサービス” を再開。
(老健施設が視野に入り、可能な限り、お義母さんを11月までの状態に近づけるため)
そうして、お義母さんが自宅に居る時間(家族が看なければならない時間)を減らすことを第一に、
"施設入所" への準備を重ねてました。
(十分に看れない家族との同居は、お義母さんの安全のためにもならないので)
そして、家族の負担を減らすため、
わたしが週2回入る分は、わたしが看護師としての役割を果たし(介護保険の点数を使わなくて済むので)、
それ以外、週5日、にフルに "介護サービス" を使えるよう、点数配分したのです。
(ケアマネさんには、いろいろ頭を悩ませてしまいましたが、細かくやりくりしながら、しのいできました)
例えば、以下のような感じで・・・
・デイサービスに行く際に、家族の体力的な問題で車いすに移せない
→ 送り出し&迎えの時間に1日2回、車いすへの移動&ベッドへの移動のために ”介護ヘルパー” を使う
・なかなか飲食が進まなくなったお義母さんに、家族はなかなか飲食させられない(上手く介助できない)
→ デイサービスの日は1日2回来るヘルパーに食事介助を依頼する。他、介護力の薄い日に、別途ヘルパーに来て介助してもらう。
その他、”訪問看護” ”訪問リハビリ” ”わたしが当番” ・・・
日替わり&時間替わりで、実家に出入りして、
同居している家族の負担を減らすようにしていったのです。
1月に入ってからはとくに、お義母さんの状態が悪化するのに合わせて、
何度も何度も、組みなおしました。
それもこれも、「もうすぐ老健施設に入れるから」を合言葉にして
だったのですが・・・
施設側は問題なかったものの、
施設から退所する予定だった人たちが、行く先でコロナが発生したために、退所できなくなり、
そういう人たちが何人も発生して、老健施設のベッドが空かなくなってしまって。
結果、「お義母さんの入所が、1か月先になりそうだ」となってしまったのです。
1月末のことでした。
この時点でも、だいぶ展開が早く、変化が激しかったのですが、
このあと、2月に入ってから信じられないくらい加速していきます。
まず、1月末に老健施設への入所が延びたとき、
「お義母さんの病状の変化が早く、そこまで待つことはできない」
となり、
主治医と入院治療に切り替えることを探ります。
主治医から言われたのは、
「コロナ禍の今、そこらへんの病院は受けてくれない。
紹介できるとして、療養型の病院。
だがそれも、都内は難しい。地方の空いてる病院にお願いすることになる。
その場合、ケア度の問題で、入院してすぐに肺炎になるとか、褥瘡ができるとか、
そういうリスクがあることも了承しておくことが必要」
ということで・・・
これは、わたしも理解できることなので、
そのまま家族に展開し、どうするかを話し合いました。
そうして、お義母さんのことが大好きな家族たちは、そういう病院へ預けることは選択せず、
「だったら、”有料老人ホーム” へ」
と舵を切ったのです。
そうして、カレンダーは2月に入り・・・
ここから、日々、パラレル移動するような、怒涛の展開に突入するのです。
次に続けます。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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