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紅白歌合戦

2023.12.30 15:00

昭和20年12月31日「紅白音楽試合」

昭38 視聴率№1 紅白歌合戦

細川隆元 丹羽文雄 実川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代

花柳寿輔 佐久間良子 細田芙美子 菊地弘毅

昭40 松下幸之助が審査員となった伝説の紅白

昭47 最後の東京宝塚劇場

視聴率、裏番組、出来事

昭36 紅白77.1%(ニールセン調べ)

昭37 紅白80.4%(ビデオ・リサーチ調べ)、75.4%(ニールセン調べ)

昭38 紅白81.4%(ビデオ・リサーチ調べ)、89.8%(ニールセン調べ)

   この記録は今も破られていない

   最後に「蛍の光」ではなく「東京五輪音頭」

昭39 裏番組「てなもんや東海道」健闘8.6% 紅白72.0%に急落

昭40 裏番組「笑って大合戦」健闘6.4%、「サザエさん」5.4%、

   「ナポレオン・ソロ」2.8%、「ガードマン」1.1%

昭43 裏番組「笑って大合戦」4.5%、「55号」2.3%、「サファリ・ラリー」2.3%、

   「市子と令子」0.7%

昭44 東京12チャンネル「なつかしの歌声」(19:00~21:56)10.9%

   紅白の時間帯に放送された民放番組史上初の二桁

   紅白69.7%と史上初の70%割れ

昭47 関東地区広域調査では史上唯一の平均視聴率80%超え(80.6%)

   最後の東京宝塚劇場

昭48 初のNHKホール開催、10年連続トリだった美空ひばりが落選

昭51 元巨人監督の川上哲治氏が、NHK局長以外で初めての審査委員長

昭53 裏番組「ピンクレディーの大晦日」

   放送直前に20回記念レコード大賞に輝いた余勢をかって8.2%、

   「素晴らしきヒコーキ野郎」5.2%

   ピンク無き紅白72.2%に落とす(関西では53.6%まで暴落)

   山口百恵がアイドル初のトリで「真っ赤なポルシェ」の歌詞を歌いきる

   (NHKでは「真っ赤なクルマ」に変えていた)

昭54 裏番組「紅白歌合戦をブッとばせ」4.8%、「ロックフェスティバル」1.4%で惨敗

昭55 裏番組「笑いは日本を救う」7.2%、「東西BEST漫才」6.2%と漫才ブーム

昭57 裏番組「必殺現代版」11.2%(放送全時間帯が紅白と被って史上初の二桁)

   名曲紅白が低調理由も、ワースト2の視聴率69.9%で司会の山川静夫クビに

昭58 お笑いタレントのタモリが、アナウンサー以外で初めての総合司会

昭59 鈴木アナ「私に一分間、時間を下さい」流行語に

   生方アナ、都はるみを「ミソラ」と間違える(瞬間最高視聴率84.4%)

昭60 裏番組「忠臣蔵」15.3%、「世界紅白歌合戦」4.8% 紅白史上最低66.0%と岐路に

昭61 裏番組「白虎隊」17.2%、「世界紅白歌合戦」3.4%

   加山雄三「仮面舞踏会」の曲紹介を「仮面ライダー!」と間違える

昭62 裏番組「田原坂」13.1%、「ザ・ベストテン」12.9%

昭63 裏番組「五稜郭」13.7%

平2 長渕剛「今の日本人、タコばっかり」と発言、16分間歌う

平3 とんねるず、パンツ一丁で背中に「受信料を払おう」

平4 本木雅弘、巨大コンドーム衣装で登場

平5 裏番組「スーパー電波バザール」9.5%、「FNS大感謝祭」9.4%

平6 裏番組「裏番組をブッ飛ばせ」15.3%

   日テレが開局以来初の年間視聴率三冠を大晦日に決める

平9 裏番組「電波少年緊急特別番組」15.9%

平10 ビデオ・リサーチ調査史上初めて紅白が年間王座陥落

     毎分視聴率 平成最高も平成ベスト3に入らず

     67.9% 平10 W杯サッカーフランス大会1次リーグ「日本×クロアチア」

     67.0% 平6 プロ野球セントラル・リーグ優勝決定試合「中日×巨人」

     66.7% 平5 名古屋場所千秋楽(曙、貴ノ花、若ノ花による優勝決定巴戦)

     64.9% 平10 第49回NHK紅白歌合戦(安室奈美恵の復帰)

平14 裏番組「イノキボンバイエ2002」16.5%

   中島みゆき「地上の星」で黒部ダムから中継

平15 裏番組「K-1」19.5%、「PRIDE」17.2%、「イノキボンバイエ」5.1%

     紅白開始時1分間の例外を除くと、裏番組の紅白超えは記録上初となる

     紅白(長渕剛)vs K-1(関東4分間、関西3分間、名古屋2分間)

     22:59 43.0% 33.1%

     23:00 37.8% 38.7%

     23:01 35.8% 42.4%

     23:02 35.5% 43.0%

     23:03 35.8% 42.0%

     23:04 44.7% 23.5%

平16 裏番組「K-1」20.1%、「PRIDE」18.3%、「細木数子の大晦日SP」14.4%

平17 裏番組「PRIDE」17.0%、「K-1」14.8%、「泉ピン子のウィークエンダー」10.4%

平18 DJ OZMA「裸ではないのか」苦情殺到

平25 裏番組「ガキの使い」歴代最高19.8%

令元 欅坂46・平手友梨奈が歌唱後再び倒れて物議

令2 コロナ禍でTV中継始まって以来の無観客開催

令3 49年ぶりに千代田区(東京国際フォーラム)が会場となる

朝ドラ主演・ヒロイン

近年の単独主演で紅白出演がならなかったのは、

朝ドラの評判も芳しくなかった芳根京子のみであったが、

天才・趣里がまさかの紅白辞退となった

尚、愛知県出身の朝ドラ主演・ヒロインは、開始以来60年以上ゼロとなっている

審査員6名は、上皇ご成婚の年、昭和34年以来62年ぶりの少なさ

(ちなみに、女優の審査員がいなかったのは昭和34年が最後)

6票中1票という事だから、1人あたりの1票の重さも62年ぶりという事になる

女優初の紅白審査員が昭和31年の河上敬子(医師・女優)

芦田愛菜が医師になって審査員になる可能性もあったが、

21世紀生まれ紅白審査員第1号は清原伽耶となったため、

「20世紀生まれ女優、21世紀生まれ女優共に紅白審査員第1号が医師」とはならなかった


河上敬子(昭和6年3月11日生まれ、令和3年末現在90歳)

清原伽耶と同じく、イニシャルがK・Kだ

奇しくも、顔は紅白出演が無かった芳根京子に似ている

女性セブン

2年ぶりに有観客で行われる『第72回NHK紅白歌合戦』(以下、紅白)。NHKホールが改修工事中のため、2021年は東京国際フォーラムで開催される。紅白の裏と表を取材してきた芸能リポーターの長谷川まき子さんと駒井千佳子さん。そして、歌手経験もある日本歌手協会理事長の合田道人さんが、そんな紅白について語り合った。

合田:国民的スターだったSMAPが初の大トリを飾った2003年は紅組が0票で、白組圧勝という珍事が起きました。

長谷川:私のいちばんは1998年の安室奈美恵さん。1997年に結婚を発表し、紅白のトリを最後に産休へ。その後、1998年の紅白を復帰のステージに選び、『CAN YOU CELEBRATE?』を歌いながら階段を下りてきて、いちばん下まで来て頭を下げたら、会場からすごい声援が飛び、安室さんは思わず“うるっ”ときて涙が止まらず、歌も途切れ途切れに。歌い終えて3回ぺこぺこってやったのがすごくかわいかったですね。

〈その後、引退を発表し、最後の舞台に選んだのが2017年の紅白だった。安室奈美恵さんにとって、いかに紅白が特別な存在だったかがわかる〉

合田:お2人が平成の最高の紅白の話をされたので、ぼくは昭和の紅白の話を少しさせてもらいます。ぼくは父の影響で紅白が好きになって、当時4才だった1965(昭和40)年の紅白を覚えているわけがないのに、全部見た感覚があります。それ以来、毎年必ず見ています。そして自分が歌手デビューした1979(昭和54)年第30回紅白を見ながら「来年こそは紅白に」と強く思ったのを覚えています。なにしろ、あの回は美空ひばりが特別出演し、その一方、ニューミュージックといわれた、さだまさしさんやサザンオールスターズ、世良公則さんも出れば、小林さっちゃんや金田たつえさんなどの演歌組も初出場。ジュディ・オングさんなども出て、各ジャンルの大ヒット曲が集結した“これぞ紅白”という回で、最高でした!

駒井:あの頃は私も紅白を見るのが楽しみでした。当時は『輝く日本レコード大賞』(以下、レコ大・TBS系)がまだ大晦日に行われていて、夜9時に終わると、NHKで9時から紅白が始まっていたんですよね。それで、チャンネルをガチャガチャやるとレコ大の衣装のまま紅白に駆けつける歌手もいて、「○○さん、大賞受賞おめでとうございます」と会場で言われたりするのが面白かったし、華やかでしたね。

長谷川:レコ大もらって泣いていた人が、紅白の入場行進にいたりして(笑い)。高揚感がありました。本人だけでなく、見ている私たちの側にもありましたからね。レコ大といえば、私がTBSでラジオ番組のアシスタントをしていた時代にレコ大を見に行って、車で帰宅する道すがらラジオで紅白を聴いていたときに、例の加山雄三さんの失言があったんです!

合田・駒井:(同時に)仮面ライダー!!

長谷川:そう。少年隊の『仮面舞踏会』を「仮面ライダー」と、思いっきり言い間違えた。しかも音声だけだったから死ぬほど面白く、事故を起こしそうになるくらい笑いました。

駒井:紅白って生番組だけにそういう歴史的瞬間ってありますよね!! 1984年紅白の“ミソラ失言”のようなね(笑い)。

〈“ミソラ失言”は、第35回(1984年)の紅白で引退を表明していた都はるみがアンコールで『好きになった人』を熱唱した後、総合司会の生方恵一アナが「もっともっとたくさんの拍手を“ミソラ……”」と口走った騒動。この後、生方アナは大阪転勤、翌年退職と、失言をきっかけに人生が一変したといわれている〉

長谷川:1990年紅白で宮沢りえさんが、どこかの屋上からの生中継でお風呂に入って歌ったシーンも忘れられません。

合田:長渕剛さんがドイツ・ベルリンから衛星中継で出場し、17分間独演したのもこの年です。

長谷川:別の場所からの中継って、距離を感じさせますよね。2018年の紅白でユーミンが別スタジオからNHKホールに登場。サザンオールスターズの桑田佳祐さんと踊って頰にチューをした、あのサプライズは感動しましたね。

合田:ハプニングは、紅白は生だからいろいろありますよね。1985年には、吉川晃司が歌い終わってギターを燃やしたこともありましたね。1992年のコンドーム風船ネックレスはモックン(本木雅弘)、2006年のDJ OZMAの女性ダンサーによる裸体風のボディースーツ騒動とか。

駒井:1991年はとんねるずが、パンツ一丁にボディーペインティングで「受信料を払おう」って背中に書いて登場したり。

合田:あれが、紅白出場者で最安値の衣装かも(笑い)。

駒井:演出面では、1980年代に郷ひろみさんと松田聖子さんがつきあっていた頃……、階段のセットで、一緒に踊るシーンがありましたよね。

合田:その前に中森明菜とマッチ(近藤真彦)も……。そういう、心憎い演出をNHKも結構やっていましたね。2021年の出場者をみると、YOASOBIやSnow Manなどの横文字に、「え?」と思う人も、われわれ世代には多いね。

長谷川:でも、彼らに話を聞いてみると、「おじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれるので、紅白に出る」と言うんです。そんな言葉に最近、ちょっと感動するんですよね。

合田:それも紅白の歴史あればこそ、ですね。それに、対決色の演出という意味では、朝ドラ対決が2021年の大きな見どころじゃないかな、と。

駒井:まったく同感です。いまの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の主題歌を歌うAIさんがいて、前の朝ドラ『おかえりモネ』の主題歌を歌うBUMP OF CHICKENがいて。主役の安子ちゃん(上白石萌音)も、その相手役の稔さん(SixTONES・松村北斗)もいる。『おかえりモネ』でりょーちん役(King & Prince・永瀬廉)もいるから、朝ドラ対決にはうってつけです。

合田:これこそ、NHKっぽくていいよね!

長谷川:従来、朝ドラは別枠企画でしたが、今回は出場者に主役も相手役も主題歌を歌う歌手もいて、すごい!2021年は司会を紅組白組で区別せず、単なる司会に統一されました。男女を紅白で分けることをNHKが相当気にしていて、今後、ますます存続が難しくなるのではと感じます。

合田:でも、そもそも紅白のスタートの理由は、歌なら男も女も同等に対抗できる、ということだったんです。だから、根底に男女平等の精神がしっかりあるわけです。

長谷川:つまり差別とか区別とかではなくって歌で男女が対等に平和に競える番組。

合田:その原点に戻り、紅組白組が勝負に徹した方が面白くなるかもしれない。紅白が始まった年は、戦争が終わった年。敗戦の苦しみのなか、歌で元気を与えたいというのが原型でした。いまならコロナだからこそ歌で元気を。紅白とはそういう番組だということをもっと発信してほしいと思います。だって生まれる前からある番組でこんなに話せる。そんな番組、ほかにないですから(笑い)。


中央日報日本語版

1年最後の日、全国津々浦々の国民が同じテレビ番組にチャンネルを合わせ同じ歌を一緒に歌って新年を迎える? いまの基準ではぞっとする話に聞こえるが、日本ではかなり長い間「実際状況」でした。毎年12月31日午後7時30分に始まり4時間以上にわたり進行される公営放送NHKの「紅白歌合戦」の視聴率は1980年代まで70~80%に達したからです。1951年に始まり実に70年にわたり続いた紅白歌合戦は日本人の年末の大型イベントでしょう。10年ほど前までも11月から紅白歌合戦の司会者と出演陣発表→傍聴客募集・抽選→曲名公開→審査委員団発表など関連ニュースで沸き返りました。伝統歌謡の演歌歌手からアイドルグループまで、1年間愛された歌手が一堂に集まる席、紅白歌合戦出演は日本の音楽家にとってスターになったことを正式に認められる「夢の舞台」でした。歌手を女性は「紅組」、男性は「白組」に分けて対決を広げる構成で、進行者の古典的な衣装と枠にはまったコメント、華麗だが奇妙にやぼったい舞台装置まで「伝統」を続けます。韓国人にもおなじみの「蛍の光」をみんなで一緒に歌うことで終わります。ネットフリックスやアマゾンプライムなど新たなプラットホームとコンテンツがあふれる時代、「伝統」で人々の関心を引くのは難しいです。かつて紅白歌合戦は日本国内の韓流熱風の指標でした。2002~2007年には韓国歌手BoAが6年連続で舞台に上がり、東方神起も2008~2009年に出場しました。第2次韓流ブームが起きた2011年には東方神起、KARA、少女時代の3チーム同時出演で話題になりました。2012年に李明博(イ・ミョンバク)元大統領の独島(ドクト、日本名・竹島)訪問後に韓日関係が冷え込み、韓国歌手が紅白歌合戦から姿を消します。5年間の空白を経て2017~2019年に日本人メンバーがいるTWICEが連続出場しました。2018年にBTS(防弾少年団)が日本で人気を呼び紅白歌合戦出場に対するファンの期待も大きくなったが、「原爆Tシャツ」問題で実現できませんでした。今年も日本はBTS熱風でした。オリコンの集計によると日本で発売されたBTSのアルバム『BTS,THE BEST』は12月中旬まで99万3000枚が売れ、年間アルバム販売順位1位を記録しました。日本で外国人アーティストが年間アルバム販売1位に上がったのは1971年のエルビス・プレスリー、1984年のマイケル・ジャクソン以来BTSが初めてというのでどの程度の人気なのか想像が可能です。しかし今年の紅白歌合戦出演者名簿にBTSはありません。韓国発だが全員日本人メンバーで構成されたNiziUだけ名前を上げました。「視聴者の多様な要求を考慮する」というのが放送局側の論理だが、実際の日本国民の人気を無視して閉鎖的な選択を繰り返した結果が紅白歌合戦の没落で現れたという指摘は避けられそうにありません。


PR TIMES

LINEリサーチは、13歳以上の男女(約55万人)を対象に、「年末年始の過ごし方&来年に期待すること」に関する調査を実施した。年末年始の過ごし方を聞いたところ、1位は「年越しそばを食べる」(52.4%)、2位は「お雑煮を食べる」(39.7%)、3位は「紅白歌合戦を見る」(38.5%)、4位は「初詣(はつもうで)に行く」(36.7%)、5位は「おせち料理を食べる」(35.1%)だった。年代別に年末年始の過ごし方を聞いたところ、例年同様「年越しそばを食べる」が20代以上の年代で1位だった。10代は「紅白歌合戦を見る」(46.9%)が他の年代に比べて高かった。60代以上は他の年代に比べ、1位の「年越しそばを食べる」(62.9%)、2位の「お雑煮を食べる」(53.5%)、3位の「おせち料理を食べる」(48.2%)など、食関連の項目の割合が高い傾向が見られた。22年はどんな年になると思うか聞いた。「とても良い年になると思う」が10.4%、「良い年なると思う」が25.7%、「やや良い年になると思う」が23.3%と、合わせて59.4%が良い年になるだろうと答えた。良い年になると答えた割合は昨年より10.3ポイント増加した。


松谷創一郎(ジャーナリスト)

人気低迷が叫ばれて久しいが、ここ15年ほど『紅白』の視聴率は40%前後(第2部)で推移している。(地上波)テレビ離れが進んだ2010年代以降においては、かなり健闘していると言えるだろう。今年で72回目を迎えるそんな『紅白』にはいくつかの転換点があった。戦後間もない1951年からラジオで放送が始まり、1953年の初のテレビ放送、1973年以降のNHKホールでの開催、1989年の2部制への移行(放送時間の拡大)、そして昨年のコロナ禍における無観客開催などだ。現在に続く歴史において大きな転換だったのは、やはり2部制への移行だろう。その最大の要因は、1984年をピークとした視聴率の急落だ。1989年には、NHKの島桂次会長(当時)が「本当は今年で最後にして、なくしたい気持ちだ」と述べて存続が危ぶまれた。80年代の『紅白』の背後には、音楽とテレビを取り巻く日本社会の変化があった。あのとき、『紅白』になにがあったのか──。

1984年、引退する演歌歌手・都はるみの花道として『紅白』は大きな注目を浴びた。クライマックスは、大トリとして都が「夫婦坂」を歌い終わった後に訪れた。観客席から「アンコール」が連呼され、司会の鈴木健二アナウンサーは都の説得のために「私に1分間、時間をください」とスピーチした。そして、周囲の歌手たちが都を囲んで「好きになった人」を涙を流しながら大合唱した。この年の視聴率は、78.1%を記録した。しかしその後振り返れば、それは『紅白』が70%台に達した最後の年でもあった。翌年から視聴率は急落する。1985年は前年から12%減の66.0%、1986年ははじめての50%台となる59.4%、そして1988年には53.9%にまで下がった。たった4年で視聴率が約24%も落ちた。1989年の島会長の発言も、歯止めがかからない視聴率急落を踏まえてのものだった。

この『紅白』の人気低迷の背景には、80年代のテレビと音楽をめぐるメディアの大きな変化があった。まずテレビにおいて生じたのは、受像機側の技術的な進化だ。具体的には、リモコンとビデオデッキ(VTR)の普及だ。リモコンは、1980年頃から一般に普及し始める。具体的な普及率は確認できないが、赤外線リモコンを使ってカチャカチャとチャンネルを替える“ザッピング”が定着したのはこの時代からだ。また、ビデオデッキが急速に普及したのも80年代だった。同じ放送時間の裏番組を録画したり、残しておきたい番組を録画したり、あるいは録画した番組の好きな部分だけを観たり、リアルタイム以外のテレビ視聴が広がっていった。1984年は18.7%だったビデオデッキの普及率は、1988年には53.0%にまで急上昇する。1985年は、日本テレビが裏番組として2夜連続ドラマ『忠臣蔵 後編』を放送した。『紅白』と完全に時間帯がかぶるものの視聴率は15.3%となり、その後は他局も裏番組に力を入れるようになる。こうしたなかで『紅白』がビデオ録画の対象となったことは十分に考えられる。裏番組がヒットするようになったのも、ビデオデッキが普及したからこそだ。テレビリモコンやビデオデッキと同じ時期に、音楽メディアでも大きな変化が生じた。それがCDの普及だ。それまでいちいち盤面をひっくり返す必要があったレコードに対し、CDは「コンパクト・ディスク」という名のとおり非常に扱いやすいものだった。CDの統計は1984年からしか残されていないが、その普及はあっという間だった。CDソフトの生産金額は1984年は全体の5%ほどだったが、1987年にはレコードのシェアを上回るほどの急成長を見せる。たった4年であっという間にマーケットを塗り替えてしまった。それは80年代に入って停滞傾向を見せていた音楽産業にとっても大きな起爆剤となった。1984年のソフト生産金額は約2741億だったのに対し、1988年には約3430億円にまで伸長する。そして、これ以降も1998年に約6075億円になるまで音楽産業は右肩上がりの成長を見せる。しかし、そこで気になるのが『紅白』とCDの関係だ。前述したように、『紅白』は1984年をピークに視聴率が急落する。つまり、CDが普及して音楽産業が成長していくのに対し、『紅白』の視聴率が下落していく。言い換えれば、音楽人気は拡大しているのに、音楽番組の人気が落ちていく──80年代中期、そんな現象が起きていた。1985年度のトップはチェッカーズ「ジュリアに傷心」(発売は前年11月)の70.2万枚、86年度は石井明美「CHA-CHA-CHA」の53万枚、87年度は瀬川瑛子「命くれない」の42.2万枚と、ついに50万枚を割ることになる。しかも「命くれない」にいたっては、前年3月発売だった曲がロングセラーで火がついた結果だった。年間ヒットがミリオンを回復するのは、B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」が130万枚を越した1990年のことだ。この時期、さかんに指摘されたのは「国民的ヒット」の不在だ。老若男女だれもが口ずさめるような曲がなくなり、音楽が多様化した──しばしばそう分析された。それはデータからも裏付けられる。年間上位10曲の累計売上枚数は、1986~87年に500万枚を割っている。その一方で音楽産業全体は拡大しているので、一極集中のヒットが生まれにくくなっていたことは間違いない。こうした志向の多様化は、音楽に限らず日本社会に漂うひとつの思潮でもあった。たとえば1985年の「ユーキャン新語・流行語大賞」では、新語部門・金賞に「分衆」が選ばれた。これは、日本人がもはや全体で同じような傾向を持つ「大衆」ではなく、さまざまな価値観を持って多様化した「分衆」だとする広告代理店のマーケティングタームだ。こうして「国民的ヒット」=「大衆歌謡」が成立しない時代が到来した。

80年代中期から後半にかけては、若者を中心に音楽志向の変化が見られる特徴的な現象が複数確認できる。ひとつは、1985年7月にデビューしたおニャン子クラブの人気だ。フジテレビの夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』から生まれたこのアイドルグループは、番組内のオーディションコーナーで毎週ひとりずつメンバーを増やしていく前代未聞のシステムだった。無論のこと、これが後のAKB48や坂道グループの原型であり、手掛けたのも同じく秋元康だ。大ヒットが生まれにくかったこの当時、おニャン子クラブはヒットチャートを席巻した。とくに一年を通して活動した1986年は、おニャン子クラブやその派生ユニットとソロメンバーの曲が、オリコンランキングで47週中31週で1位となった。アイドルに歌やダンスのパフォーマンスを求めず、テレビを活用しながらアイドルシステムの内幕も暴露したおニャン子クラブは、中高生男子に喝采をもって受け入れられた。もうひとつは、バンドブームだ。80年代中期から90年代前半にかけて、ロックを中心とした音楽が若者に広く好まれるようになる。それは単に聴くだけでなく、若者たちが自分たちでバンドを組んで演奏するブームでもあった。そのなかから生まれたのが、プリンセス・プリンセスやたま、ブルーハーツ、ユニコーンなどだった。この動きに率先して追従し、そして活性化させる役割を果たしたのは雑誌メディアだった。86年に『PATi・PATi』(CBS・ソニー出版)と『ロッキング・オン ジャパン』(ロッキング・オン)が創刊され、『宝島』(JICC出版局)は判型を大きくした。そして、88年にはバンドブームを象徴するような雑誌『バンドやろうぜ』(JICC出版局)が創刊される。その誌名が「音楽やろうぜ」でも「ロックやろうぜ」でもなかったところが、コミュニケーションツールでもあった当時のバンド人気を示唆している。中高生を中心とする80年代後半の若者とは、1971~74年に年間200万人以上が生まれた団塊ジュニアを中心とする。彼/彼女らは従来の「歌謡曲」ではなくバンドサウンドに向かった。アイドルとバンドのファン層は明確に異なっていたが、80年代後半から90年代前半にかけては後者が前者を徐々に侵食していった。おニャン子クラブは1987年9月に解散し、1989年以降はジャニーズの光GENJIとバンド形式の男闘呼組の人気にも陰りが出始める。その一方でバンドの大ヒットが相次ぎ、まるでアイドルかのように支持を集める。実際、1989年に「Diamonds」と「世界でいちばん熱い夏」で年間ランキングトップ1・2位を占めたプリンセス・プリンセスはもともとアイドルグループ・赤坂小町であり、1990年に「今すぐKiss Me」が大ヒットしたLINDBERGのヴォーカル・渡瀬マキももともとアイドル歌手だった。

この時期、テレビでは『紅白』以外の人気音楽番組が相次いで姿を消していったのだ。なかでも象徴的だったのは、80年代の音楽番組の中心にあったTBS『ザ・ベストテン』が1989年9月に終了したことだ。変化が現れたのは1988年10月頃からだ。この月、急激に視聴率が下落してはじめて10%を割った。すでにおニャン子クラブは解散していたが、デビュー2年目の光GENJIは全盛期であり、長渕剛の「乾杯」がスマッシュヒットとなった年だ。『紅白』の視聴率が急落して2部制になるのはこの翌年からだ。日本テレビの『歌のトップテン』は1990年3月に、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』もジャンル別に分化した後に1990年にすべて終わった。

80年代中期まで、放送業界-音楽業界-芸能界のスクラムで構築された歌謡曲は、年末の『紅白』を頂点として“歌謡界”を成立させてきた。都はるみの引退が大きく盛り上がったのもそうした時代の産物だ。そして、この“歌謡界”が80年代中期から後半にかけて段階的に崩れていき、『紅白』も2部制へ移行する。しかし、歌謡曲が不人気になってもポピュラー音楽がなくなったわけではない。歌謡曲の人気減退と入れ替わるように登場したのは、J-POPという新たな概念だった。テレビリモコン+ビデオとCDの普及、音楽志向の多様化と音楽番組の低迷、そして歌謡曲からJ-POPへの移行と『紅白』2部制の始まり──80年代後半に日本のテレビと音楽を取り巻く状況は大きく変わった。

この日何の日? 12月31日

1984 驚愕の視聴率78.1% 日本歌謡の分水嶺、第35回NHK紅白歌合戦

キャスター辛坊治郎氏(66)が、ニッポン放送「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」(月~木曜後3・30)に生出演し、NHK紅白歌合戦で忘れられないシーンについて語った。番組では、昨年大みそかに放送された第73回紅白歌合戦の第2部の平均視聴率が、35・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、過去最低だった21年から1ポイント増だったことを伝えた。辛坊氏は年末年始に台湾へ行っており、紅白を生で見ていなかったそうで、「誤差の範囲内ですから、長期低落傾向に歯止めかからずという表現が恐らく一番適切なんじゃないかと思います」と分析した。そんな中、辛坊氏は過去の紅白の平均視聴率についての資料に着目。「直近で高かったのが、50年も60年も前には80%台はあったのですが、1984年、78・1%。都はるみラストステージ。ここからぐっと80年代後半に下がっていく」と紹介した。84年の紅白は、引退を発表していた演歌歌手・都はるみが最後のステージに臨んでいた。しかし、その舞台で、辛坊氏も忘れられない出来事が起きていた。「80年に局に入って、84年にはテレビというか放送の仕事をしていましたので、あの時のアナウンサーの失敗というのは、すごく身につまされる、ぞくっとする感覚が」。総合司会を務めたアナウンサーが、都を「美空…」と呼び間違えてしまったことに言及した。「都はるみさんのラストステージで、紹介する一番、聞いているところで、都はるみさんを“美空”と言った瞬間に血の気が…私も引きましたけど、本人の血の引き方は想像できるんですよ」と、失敗したアナウンサーに同情した。80%近くの視聴率だった番組で起きたことだっただけに、当時は大きな話題になった。辛坊氏は、「別にこれを言ったからといって、誰かが死ぬわけじゃないし、大きな不祥事でもないし。謝るべきっちゃ謝るべきだけど、社会的混乱や命にかかわるような間違いではない」としつつも、「この曲で絶対にやっちゃいけない痛恨のミス。だけど、分かるんだわ。すごいプレッシャーの中で国民の8割が見ている、視聴率78・1%ですからね。8000万人くらいが見ている中で、“美空”って、一番やっちゃいけない失敗をするっていう気持ちが、痛いほど分かった」とコメント。「自分が失敗したわけじゃないけど、生涯あの時のゾクッとした感じは忘れないんじゃないかなと思います」と振り返っていた。

紅白と箱根駅伝の差(加重平均)

1990~91  22.7

1991~92  20.8

1992~93  22.8

1993~94  21.4

1994~95  19.1

1995~96  19.6

1996~97  23.1

1997~98  20.7

1998~99  25.8

1999~00  20.6

2000~01  17.9

2001~02  16.5

2002~03  12.2

2003~04  15.3

2004~05  8.6

2005~06  10.9

2006~07  7.5

2007~08  9.7

2008~09  12.0

2009~10  11.8

2010~11  11.6

2011~12  11.0

2012~13  10.5

2013~14  14.7

2014~15  11.3

2015~16  9.6

2016~17  10.5

2017~18  8.5

2018~19  8.7

2019~20  8.3

2020~21  5.9

2021~22  6.0

2022~23  5.2

2023~24  3.6


令3(2021)第72回NHK紅白歌合戦

  1部 平均2777.5万人 到達4956.4万人

  2部 平均2981.0万人 到達5818.4万人

令4(2022)第73回NHK紅白歌合戦

  1部 平均2809.0万人 到達4930.5万人

  2部 平均3164.5万人 到達5700.9万人

令5(2023)第74回NHK紅白歌合戦

  1部 平均2584.2万人 到達4675.1万人

  2部 平均2819.1万人 到達5285.9万人


司会者なんてアナウンサーだけでやった年が48.5%で21世紀最高だから、

アナウンサーが一番適任という事だよ

台本のある司会のプロはアナウンサーなんだから

昭和の紅白なんて宮田輝、山川静夫アナウンサーがメイン進行、

女性司会者は紅組歌手紹介コメントだけの添え物だった

箱根視聴率は関西地区が最低

これは関西人の読売アレルギーがある

日テレ系のアナウンサーの実況自体が関西人に好かれない傾向があるのでは

実況に独特の癖がある