能楽
能とは
能は音楽劇であり、能面という仮面を用いる仮面劇でもあります。また舞を中心とした舞台表現をすることから、舞踊劇であるともいえます。
能の主人公のことをシテといい、相手役をワキといいます。立ち役のほかに地謡というコーラス隊、囃子方と呼ばれる器楽演奏者がいます。能の囃子は四つの楽器で構成されており、能管、小鼓、大鼓、太鼓です。これに謡を加えると五人囃子になるのです。
また狂言はセリフ劇で、笑いの芸能ともいえますが、能の一部であり能と狂言を総称して能楽と呼んでいます。
能の歴史と流派
能は室町時代の初め、観阿弥と世阿弥の父子を中心として現在のようなスタイルに大成されました。それより以前から寺社への奉納を担う芸能集団が数多くあり、中でも奈良の春日大社へ出仕する大和四座の流れが観世流・宝生流・金春流・金剛流として現在も伝統をつないでいます。喜多流は江戸時代の初めにそれまで金剛座に所属していた喜多七太夫が徳川幕府によって一流樹立を許されて生まれた流派です。武家好みの質実剛健な芸風が人気を博し、全国の大名家に好まれたと言われています。
広島での能の伝統と現在
江戸時代には武家の式楽(公式の芸能)として能役者は各藩に仕えていましたが、明治時代以降には主要都市を中心に各地の能楽師がそれぞれ伝統を継承し活動しています。
広島県では、宮島厳島神社の桃花祭における御神能が300年以上にわたり現在も続いています。また広島城内あるいは下屋敷などにも能舞台があったのではないかと推測されますが、資料も戦火で失われ詳しいことが分かっていません。ただ、現在の平和公園の一角が昭和20年までは猿楽町という能役者の住まいを表す町名だったことからも、広島で能楽が盛んだった歴史が偲ばれます。
また福山市では豊臣秀吉が持ち運んでいたと言われる移動式舞台を福山城築城の際、藩主水野勝成が譲り受け、江戸時代初期には鞆浦の沼名前神社に寄進し、現在も据え置かれています。
現在、広島県内在住でプロの能楽師として活動しているのは福山市在住のシテ方喜多流・大島政允、大島衣恵のほか、広島市在住の囃子方小鼓幸流・横山幸彦の3名ですが、広島所縁の能楽師は数多く流派も多岐にわたっています。明治以降、多くの能楽師が東京・大阪など大都市へ移住しましたが、その流れをくむ現在の能楽師たちは、愛好者の指導や公演のために度々広島へ帰郷して能楽普及に努めています。
また広島県内で能の上演が可能な能舞台は次の通りです。
・宮島厳島神社能舞台(4月中旬3日間の御神能、秋に観月能など年に数度の公演がある)
・鞆浦沼名前神社能舞台(正月3日に大島家による奉納、他に不定期の企画公演がある)
・アステール中ホール能舞台(能の催しの際に電動で能舞台が設置される。原則貸し舞台)
・喜多流大島能楽堂(年4回の定期公演のほか、能学習や愛好者の発表会など)
*その他、能の公演は仮設舞台や各ホールでも行われています