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「宇田川源流」【マスコミ批判に関する一考NEO】 日本人の失敗の場面を数多く放送して何も思わない日本のメディアの罪

2022.02.21 22:00

「宇田川源流」【マスコミ批判に関する一考NEO】 日本人の失敗の場面を数多く放送して何も思わない日本のメディアの罪


 日曜日に北京オリンピックが閉幕した。もちろん日本の選手の活躍は素晴らしかったし、競技が増えたこともあって、日本が過去最高のメダル数を獲得したことは非常に嬉しい。また、日本の選手ばかりではなく、世界のトップアスリートの競技は、それが日本の選手ではなくても、やはり素晴らしい者ばかりではなかったか。

そのような中、今回のオリンピックはあまりにも「競技以外の内容」が多すぎたのではなかったか。今回に限らず「ドーピング」の問題に関しては、毎回様々な問題を生じる。それだけでは無く、今回は、審判の問題が大きくあった。高梨沙羅選手の服装の違反の問題に、平野歩夢選手の同じ技をやったのに点数が全く異なっていた問題、韓国の選手のスケートショートトラックの問題など、様々な問題が存在した。

そもそも、前にこのブログでも取り上げたが、開会式からの盛大な「政治利用」はあまりにもひどかったし、アメリカやイギリスが訴えたウイグル人やチベット人の人権問題に関する「政治的ボイコット」などに関しても非常に大きな問題が生じたのではないか。しかし、これらの事件問題に関しては、なぜかウクライナの問題が大きくなるにつれて、誰も何も言わなくなってしまった。まあ、ウクライナで大変なのもよくわかるが、それ以上に中国のこれらの人権違反の方が問題ではないのか。今回はウクライナの問題を話すのはこの辺にしておくことにするが、しかし、何かアメリカの対応も中途半端ないがしてしまう。

さて、オリンピックに話を戻そう。

上記に挙げた問題は、いくつかのパターンに分けられる。一つは「政治的な問題」ということになる。もちろん政治利用などは完全に政治の問題である。そしてもう一つは競技が未熟というような問題だ。このようなことを言えば、「何を言っているのか」というようなことが言われるが、しかし、平野歩夢選手の問題などは、これが北京であってもなくても起きる問題ではなかったか。そして高梨沙羅選手や韓国のショートトラックの問題などは、「競技と中国」の力関係の問題なのではないか。

高木菜那の“転倒シーン”垂れ流しに疑問の声…「公開処刑」「見てられない」

 北京五輪で注目を集めていたスピードスケートの女子団体パシュート決勝が、2月15日に開催された。決勝に出場した高木菜那選手にアクシデントが発生したのだが、その様子をしつこく放送する日本のメディアに、ネット上で批判が続出している。

 2018年に行われた平昌五輪の女子団体パシュートにて、見事に金メダルを獲得した日本チーム。連覇を懸けた今大会でも、日本チームは順調にコマを進めていき、決勝では今シーズンのワールドカップで全勝という強さを誇るカナダチームと対決することに。日本チームは高木菜那、高木美帆、佐藤綾乃という、平昌五輪で金メダルを獲得した最強メンバーで挑んだ。

 しかし万全の態勢で臨んだ決勝で、予期せぬアクシデントが。序盤から終盤まで相手をリードしていたが、勝利目前の最終コーナーで菜那選手が〝転倒〟してしまったのだ。結局その隙にカナダが追い抜き、日本は惜しくも銀メダルという結果に。レース後にはショックから菜那選手たちは泣き崩れていた。

   悲劇を垂れ流すメディアたち…

 金メダルは逃してしまったが、日本国民に感動を与えた女子団体パシュートチーム。ところが翌日の『スッキリ』(日本テレビ系)や『モーニングショー』(テレビ朝日系)をはじめとした情報番組やニュースでは、彼女たちの活躍と栄光を讃えるどころか菜那選手が転倒したシーンばかりを放送していた。

 しかも番組によっては「なぜ転んだのか?」と、転んだことばかりに注目。あまりに選手への配慮に欠ける日本のメディアに、ネット上では、

《マジでどこもパシュートの転倒映像ばかり。そうやって簡単に「悲劇性」で盛り上げるって作りをやってるからTV離れが加速するのでは?》

《パシュートでの高木姉妹のことを報じすぎだよ。転倒シーンを何度も流すとか、やっているのは公開処刑》

《テレビつけて見たら、どこもパシュートでの転倒シーンばかりで見てられない…》

《パシュートで日本選手が転倒したシーン、テレビで何回流せば気が済むんだよ》

《パシュートは転倒した場面の解説なんていらない。頑張りだけを讃えてあげるだけでいいと思う》

などの批判が殺到している。

「10日に行われたフィギュアスケート男子フリーにて、羽生結弦選手が4回転半ジャンプを失敗した際にも、翌日のメディアはこの失敗で持ち切りでした。選手の失敗を必要以上に取り上げるのは、日本のマスコミの悪しき風潮と言えるでしょう。そろそろ大胆な改革をしなければ、誰からの信用も得られなくなってしまいそうですね」(芸能ライター)

 今、本当の意味で報道の在り方が問われているのかもしれない…。

2022年02月17日 11時04分 まいじつ

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12156-1476141/

 さて、これ等の問題をしっかりと捉えて報道するのが、本来の報道の姿勢であると思われる。しかし、なぜか日本の報道は「政治に負けてしまう」というか「中国に遠慮している」報道しかしていないのでないかという気がしてならない。そもそも、このブログが詠まれている頃、つまり、オリンピックの後半になって人権問題や政治的ボイコット、または開会式にウイグル人選手が使われた問題など、しっかりと報道しているところはあるのであろうか。もちろん私もすべて見ているわけではないので、何とも言えないが、そのような「改善できる問題」に関してしっかりと報じるべきではないか。

同じ「事実」であったとしても、「プロの失敗」を流すことに罪悪感や問題性を感じたことはないのであろうか。今のマスコミは「事実ならば、本人が傷ついても、また、社会的に意味がなくても興味本位で何を放映しても構わない」と思っているようである。しかし、実際にそのようなことでよいのであろうか。

。ところが翌日の『スッキリ』(日本テレビ系)や『モーニングショー』(テレビ朝日系)をはじめとした情報番組やニュースでは、彼女たちの活躍と栄光を讃えるどころか菜那選手が転倒したシーンばかりを放送していた。<上記より抜粋>

日本人は、日本人が本気で頑張り、そして精一杯やって、それでも力が及ばなかったことに関して、このような対応をしてよいと思っているのであろうか。日本人は、助け合う文化があり、それに対して某国(あえて某国としか言わないが)は、「川におぼれた犬は房で叩け」というようなことを言うような国もある。どうも日本のマスコミに関しては、日本人が忌み嫌う「某国」のレベルに落ちてしまったのではないか。

このようなことでは、当然に「若者のテレビ離れ」が進むであろうし、また、マスコミがどんなに事実を報道しているなどといっても、だれも見向きもしなくなるのではないか。そのようなこともわからないほど、日本のマスコミは劣化してしまったというようなことなのであろう。

「助け合う」のではなく「他人を蹴落とす」ような、酷い文化を作ってゆくこれ等のメディアは、本当に何かがおかしいとしか思えない。

この事は以前にも同じことがあり、浅田真央選手の転倒シーンを静止画で使っているなど、ネット上ではかなり前から指摘されていた問題である。はっきり言って「日本のマスコミは、一生懸命頑張る人、日本を代表する人を貶めて楽しんでいる、日本を害する琴しか考えていない、日本人のすばらしさを伝えることをしない」放送しかしなくなっているのではないか。

上記のように、当然に「批判が殺到する」野派当然であるし、また、若者はテレビを見なくなるのではないか。テレビやマスコミ離れが進む原因は、このような、マスコミ地震の報道の在り方に由来しているのではないか。