Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

バンクシー展から考える渋谷カルチャー

2022.02.20 08:00

絵描きとしての自分は「美術館でバンクシーを観るなんて邪道」と言うが、広告人としての自分は「企業のメセナ活動見学としてギャラリーではなく“美術館”と言う意義があるのか検証」と言うし、個人の自分は「パン買うお散歩ついでに行けば」と言うので、『バンクシー展 世界一小さな美術館@GMOデジタル・ハチ公』渋谷フクラスへ行ってきた。


まず、バンクシーは言わずもがな、メインの表現スタイルはグラフィティである。グラフィティは何処に描かれたのかや行為そのものに意味がある。だから、絵描きとしての自分は、パレスチナの壁に描かれた防弾チョッキを着た鳩のグラフィティを観に行くのは有りだが、経済活動として切り取られ御大層に美術館に入れられた彼の創作物の断片を観るのは作品鑑賞としては成立しないと考えている。勿論、美術品は元は貴族の肖像や宗教的イコンや戦利品などルーツは様々だが、現在もリアルタイムで活動中のアーティストに向き合う意味で、社会に対するメッセージ性を切り取って消費活動にしてしまうのは皮肉だと思う。


『バンクシー展 天才か反逆者か』という巡回エキシビションはバンクシー本人から「フェイク」と言われているという。実は以前その展示イベントにお誘い頂いたのだが、仕事の予定を理由にお断りした。絵描きとしての自分が、上記理由で観に行く事を拒んだのだ。


さて、次に広告人としての自分が本展を観に行く意義についてだが、社会に価値提供する企業活動としての見学対象と判断したからである。現代の勃興勢力であるインターネットを主体とする企業が文化事業を手がけるのは正しいパトロネージュであるのと、パンデミックやオリンピックを経た渋谷という街で「美術館」を作るということは文明と文化の軸から見て適切と考えられる。問題は、「世界一小さな美術館」と名付け、ギャラリーではないことを運営者がどれだけ社会に証明できるかである。


美術館というのは展示や収集だけではなく、教育や研究を行う施設である。渋谷エリアには多数の美術館があり、積極的な教育や研究活動を行っている。

そこで、GMO社が美術館を運営していくのなら、インターネットを活用した芸術教育サービスやオンラインでの研究活性化等を行うのが妥当と考えられるが、現時点でそれはまだしていない様なので今後に期待したい。

たとえば

「現代アート」というテーマなので、原始・古典、中世・近世、近代、現代、の西洋美術史の流れと代表作、コンテクストで考えてみるという見方、現代アートのベーシックなテーマ例等を動画にして「GMOARTeducation(仮名)」としてWEB展開するとか、絵を描きながら加筆もできるオンラインミーティング・ブレスト的なサービスを開発する等を提案する。


実際の展示については、企業によるアート系イベントとして程よく作り上げたラインで、広告イベントや展示イベントをディレクションしてきた自分としてはまあ納得のライン、アートファンからは辛口な意見が出そうなアンバランス(映像パートで企業ロゴを出すのは良いがサウンドロゴを出されるとお金払ってCM見せられた気分になるリスク、作品現物の鑑賞タイムのBGMが大きすぎる、作品現物の横でSNS用のフォトスポットが展開され鑑賞を阻害されるリスク、悪気は無いのはわかっているがスタッフの方が展示品やアートに明るく無いことが伝わってきてしまう他諸々)。


駅近で有名アーティストの作品が見られるというのは文化普及の観点からは良いと思う一方、スペースやコロナ禍の為しょうがないがオンライン予約の手間と少人数勢で一般客が気軽に立ち寄るにはワンクッションあること、予約してでも美術鑑賞したいアートファンからはツッコミ所が多い内容であったこと、今後の展示設計が良くなることを願っている。 


広告企画・制作ディレクションという仕事柄、様々な企業のTOPにお話を伺い世に良き情報を伝えて行く立場なので、商業や体制を考えなしに批判・敵対するファッション○翼や幼稚さには線を引く。この美術館もエキシビジョンも良き面はもっと広がるべきだと思う。


尚、GMOグループのオンラインサービスは表現活動で活用させていただいている。

帰りに渋谷エリアのリアルのグラフィティを30箇所くらい観て回った。世界平和の願い、金がないという呟き、コロナ禍のプロジェクト名や地下格闘団体など、渋谷の今のリアルを観て、パンを買って帰った。


(本記事は、2022.1.3にInstagram等にUPした鑑賞レポート・提案の転載です)

(C)夜の魚