孤独・孤立こそが課題か・・。
●●が課題である。故に、×××な対応が急務である。
こうしたフレーズは、行政の計画、懇談会での結論、メディアのコメンテーターから頻繁に聞く。また、時々、私もこうした話し方をしてしまう。
しかし、いつも、その後に思う。
んじゃ、どうすりゃいいんだ。やらなきゃ、始まらない。
私たちがすべきなのは、具体的な対応だ。だから、知識でもフィールドワーク的な知識が重要で実際の活動現場を見るか、活動団体に入り、実態を見て、具体的な対応を講じなければいけない。
だから、議会で資料を読み、行政と意見交換をしているだけでは、何かを改善することは不可能だ。
また、これだけの変化だ。行政も安定的な業務だけをしていてば良いというわけにはいかない。働き方改革を並行するなら、さらに効果的且つ合意的な手段を模索し、着手していくべきだ。慣例に縛られ、明らかに無駄になる予算や事業は、新な方向にすぐに転換するぐらいのスピード感は必須である。市民の命にかかわるのだから。
この2ヶ月。子どもの居場所、不登校支援、地域のつながりを中心に、様々な研修に参加し、団体訪問、インタビュー等を行ってきた。
この研修結果、真の課題の輪郭がはっきりしてきたのは、孤独と孤立である。
今の世の中の課題の根本原因は、劇的な社会構造の変化から、簡単に孤独・孤立に陥る可能性だと考えた。また、孤独・孤立をすれば、社会の趨勢(幻想的なスタンダード)から落ちこぼれたという差別を受け、また、自己否定に入り、強固な殻の中に心理的にとじこもってしまう。多分、世の中、成功や夢などキラキラしたものばかりの情報が垂れ流され、SNSでの無意識的な自慢大会が連日行われ、あいかわらず学歴至上主義、成功者至上主義が、追い打ちをかけるのではないか。
戦後のようにみんなが貧しい時代はよかった。
負け組やおちこぼれなどという言葉や概念もなく、みんなが助けっていく互助意識があった。
いや、多分、こうした時代でも、カーストはあったのだろう。貧困もあったのだろう。
見えにくかっただけか・・・・。
現場を見たい。そこで、体験をしたい。
実際に現場で対応をして、孤独や孤立を防ぎたい。
そう思うようになった。
書を捨てて、まちに出よう。
まちに、心を受け止める温かい繋がりの網の目をいっぱい張っていかなければ。
そう考えると、そうした活動をされている方々、全てが大切な種といえよう。