波多(はた)神社ー秋例大祭 後半
では、休憩後の後半です(^^)
後半の始まりは、三番叟(さんばそう)と言われる七座と能舞との間に舞われるのが三番叟です。
↑ 三番叟の様子。
写真右手一人が千歳、左手三人が三番と言われる役です。
三番叟について -パンフレットよりー
お酒開き(昔は、七座の後にはお酒開きと言われる酒宴が開催されていた。現在は休憩・夕食となっています)もたけなわになったころ七座と能舞との間に舞われるのが三番叟である。三番叟は能楽の祝言曲「式三番」を神楽に取り入れたものである。
翁・千歳・三番(2人)の4人で舞うが、翁の舞は舞われなくなり、稚児が三番となり、児童が千歳を舞い、子供の舞として人気の高い舞の一つである。
一生懸命に舞う子供たちも可愛いですが、それを見て必死に真似て踊る小さい子たちを見ていると、継承に繋がる大切なところを見た感じがしました(^^)
巫女舞。
↑ 2枚 巫女舞い
巫女舞その1
巫女舞その2
巫女舞はパンフレットには載っていない舞でした(^^)
面は稲田姫でしょうか。舞の仕草の中には、地面に対して何かを植えるようにも思える仕草などもあり、五穀豊穣を願うような舞いに感じられました。
21代目のご神職のお囃子と22代目のご神職による舞いの競演は、他とは少し違う、父娘の息の合った感じのある素晴らしい舞でした。
飴蒔き・<大国主(?)>
↑ こちらは、演目と演目の間に行われた飴まきです。
こちらもパンフレットにも演目表にも載っていない演目。
でも、こちらの舞はおそらく大国主命の舞で、福(飴)を蒔いて観覧者に福を授けるもののようでした(^^)
動画では撮影している私の方にも飴が蒔かれました。
動画を見ながら、福をキャッチしてみてください。きっとご利益があると思いますよ(^^)b
岩投げ
↑ 岩投げの様子。写真の二人は天照大神の使者。
岩投げ
神話ー国譲りにおける一部の演目。
大国主命の2番目の御子神タケミナカタ命に天照大神から遣わされた使者が、国を譲れと迫ります。
既に大国主命と兄神である事代主命は、国譲りを承諾していますが、タケミナカタ命は国譲りに反対をします。
タケミナカタ命は、千引岩を振り回して使者に挑みますが、戦いながら追い込まれて行き、諏訪湖まで追い詰められます。
その諏訪湖で、ようやくタケミナカタ命は国譲りを承諾。
祝いの舞が舞われると言う、ストーリーになっています。
中・高生の演者3人が肩で息を切らせながら、必死に演じていました。
激しい舞のあとには、観覧しているおじいさんから、
「がんばれー!」と声援を受けていました(^^)
舞台と客席と一体になる神楽。本当素晴らしい舞です(^^)b
八頭(やとう)
↑ 舞台中央にある樽は八塩折の酒
↑ 大蛇が酒を飲んでいるところです。
奥飯石神楽の大蛇は「幕蛇」といって胴が長い幕で出来ているのが特徴だそうです。
パンフレットには、大原神楽のイモリ蛇・佐田神能の鬼型蛇・石見神楽の蛇腹胴蛇との違いがわかるように写真が掲載されています。
同じ演目である大蛇でも地域によって特色があることを初めて知りました(^^;
↑ スサノオ命と酔っぱらった大蛇です。
※八頭・・・動画(約21分)です。
八頭(やとう) -パンフレットよりー
神話の斐伊川の大蛇退治の物語である。
足名椎命(あしなづちのみこと)と手名椎命(てなづちのみこと)が娘稲田姫命を連れ舞座に上がり、これまで7人の娘が大蛇に奪われたことを話し嘆き悲しむ。そこに須佐之男命が現れ、嘆き悲しむ様を問い、姫を自分の后にくれれば大蛇を退治することを約束する。
足名椎命・手名椎命は姫を命(みこと)に捧げ毒酒を作る。蛇は毒酒を飲み酔ったところを命に退治される。命は謡いに合わせ嬉しの舞をなし楽屋に入る。
説明不要な演目ですね(^^)
動画を見ると分りますが、大蛇の動きがとてもリアルな感じで、何度みてもゾクゾクします!
酔った動き、警戒する動き、寝ている感じ。どれも関心するばかりでした(^^)
日御碕(ひのみさき)
↑ 巫女舞の面と同じようですが、巫女舞の面よりも顔にシワがあったりして、少し年を召した女性の面です。
※日御碕 動画(約16分)です。
日御碕(ひのみさき) -パンフレットよりー
奥飯石神楽では最後の舞である。この舞には胴長太鼓を使う。
以前は一晩中舞ったのでこの舞のころには夜が明け始めたので「夜明けの十羅」ともいった。
異国より攻め来る魔人(十羅彦春)を日御碕明神が退治する舞である。この舞の見所は十羅の台詞の部分であり、命に向かって金山を掘る所作がある。また、彦春の面は社中によって異なるが大きな面を用いる。
この後、神棚に居られた神様・ご神体はご神職によってご本殿へと御戻りになられました(^^)
今回、機会に恵まれてこうして初めて神楽を体験することが出来ました。
神楽については、まだまだ勉強不足なところが多い私ですが、七座から能舞まで見させて頂いて、予てから思っていた想いが確信へと変わったことがありました。
神社を巡らせて頂くにつれ、神話にはどうしても触れなくてはならなくなります。
それは、神話に登場する神様のことをより知るためです。
そうすると、
神話➡古事記・日本書紀・風土記➡伝承➡語部
こんな構図が頭の中に出来上がってきています。
この語部ー。
かつては、国の役職でもあり、豪族の首長でもあったりしています。
手塚治虫の「火の鳥」では、語部はテープレコーダー人間として表現されたりしていますが、
『語部とはいったいどんな人だったら語部と言えるのだろう?』
そんなことをいつからか考える様になっていました。
古事記を太安万侶と共に、編纂した稗田阿礼。
稗田阿礼は猿女と言われる、帝に仕える舞や音楽を奏でる役職。
そこから、
神楽の演者=語部
こういう構図がいつの間にか私の頭の中で出来上がっていました。
今回、奥飯石神楽を拝見することができて、このことが私の中では確信に変わりました。
演じることだけでは、繋がることは難しい継承も、地域の行事として老若男女を問わない一大イベントとして行われる、温かい神楽であるからこそ、現代まできちんと引き継がれてきているのだと感じました。
この素晴らしい伝統のお祭りがずっと続いていくこと。
そして、多くの人に知られ、見られることを願って今回ご紹介しました(^^)
来年も是非お邪魔したいと思います(^^)
そして、今年よりクオリティーの高い動画や写真でお伝え出来るよう頑張りたいと思います(^^)
波多神社 年表
波多神社 由緒